(三)
(三)
下女の部屋は狭く、粗末だ。城内に部屋を与えられているだけ、まだいい方だとは言われているが。
その粗末な私の部屋は今、大量の祝いの品で埋め尽くされようとしている。あろう事か、療養する私のベッドまで浸食しかねない勢いで。
「狭いねぇ、この部屋は。もっと広い部屋に移ればいいのに」
「一人部屋ですから、悪くないですよ」
「でもその内、この荷物に潰されるんじゃないかねぇ」
美しく飾られたそれらの贈り物といい勝負で、この部屋に全くそぐわない男がのんびりと言う。
そうしながら、ついでの様に積み上げた贈り物を突く。バランスを崩したそれらは、ベッドの足元に腰掛けた元凶へと倒れ込む様にシーツの上に散らばった。
「陛下、暇なんですね?」
転がる箱から痛めた足を庇いながら、問う。すると上等の絹に包まれた男は、箱のぶつかった頭を押さえ、幼子の様に笑った。
「幽閉って、詰まらないものだねぇ」
「国を潰しておいて、何の娯楽を期待しているんですか? アサレア陛下」
あはは、きつーい。などと、全く頓着しないアサレアの向こうで、戸の傍に立つ監視役が眼を丸くしている。
現在の立場は微妙だが、仮にも自国の王にこの態度と言うのが信じられないのだろう。
当の本人は、全く気にしていない様だが。
「いやぁ、だからねぇ。楽しくって! 評判だよ。君、サディオ師団長をたらしこんだんだって?」
「……どう言う、尾ひれの付き方をしたんですかね?」
私はアサレアではなく、監視役の兵士に向けて言った。身に着けた青い鎧は同じだが、今ここにいるのは昨日、事件だと叫んでこの状況を招いたギサンテとは別の男だ。名前をパパと言うらしい。
「自分が聞いた話では、この国の女性のお腹には既に子供がいる事になっていましたね」
「おめでたい話だねぇ。アイレ、本当かい?」
「だとしたら、私は今回の戦が始まる前からインヴィオと通じている事になりますね」
実に楽しげなアサレアを横目に、私は頭を抱えた。
サディオがこの城に入ったのは、三日前だ。幾ら何でもこれは嘘だと、何故誰も言い出さないのか解らない。
……いや、信じたいのだろうか。少なくともこの国の人間は。
部屋の中を埋め尽くす贈り物は、インヴィオの兵士が面白がって届けた物もあるが、ほぼトルトゥガリスタの臣からだ。現在国に残っているのは、それなりの地位と覚悟の者ばかりだ。
それほどの覚悟を持った者達は、どう感じたのだろう。
サディオと私の間に、別ちがたい縁ができたと聞いて。
「いやぁ、でも、安泰だよねぇ。本当に結婚でもしちゃったら。師団長さんて、インヴィオ王家の人でしょう? そんな人と、うちの……。あの、怒ってる?」
私の視線に気が付いて、アサレアが言葉を濁らせる。
この場に監視役が同席しているのを、忘れていたのではないだろうか。危ない感じだった。これには冷たい視線で刺す様に、答える。
「怒ってません。ですが、もし他の方達もそんなふうに期待しておられるとしたら、私は自分の迂闊さが許せないだけです」
「本当の話にはなりませんか?」
こう口を挟んだのはパパだ。私は驚いて、そちらを見た。
「本当にしたいのですか? 負けたこちらはともかく、インヴィオに得はないでしょう?」
「自分はただの軍人なので、政治は解りません。ただ師団長は、ああ言う方ですから」
「……婚期の遅れを、心配してらっしゃる……?」
恐る恐るそう問うと、横でアサレアが噴き出した。パパは困った様に、少し笑う。そうすると、酷く印象が和らぐのを知った。
言葉少なで、ちょっと離れた所から全体を見ている様な。パパと言う兵士はそんな雰囲気を持っていたが、サディオの事は大事にしているらしい。
きっとこんなふうに、あの人は部下達から慕われているのだろう。
なのに、どうしてだろう。
頭に浮かぶサディオの姿は、いつもどこか、何かを拒絶しているかの様だ。
それでも埋められない孤独があるのだと。あの人の瞳は。あの人の背中は。あの人の、自らを顧みない戦い方は。語っている。
インヴィオはすぐ隣の国だが、異国とは遠いものだ。隣国の戦況は噂の様に耳にして、それだけでしか知らない。なのに思う。紺碧の盾は、命を惜しみはしないのかと。
三万近い敵兵相手に、たった五百の騎兵を率いて自ら斬り込んだのは有名な逸話だ。
よく言えば勇猛、裏を返せば無謀。それに付き合う部下も部下だと思っていたが、放っておいたら、本当に死んでしまうのではないか。実物を見て間もない私でさえ、そう思う。ならば彼を慕う周囲の人間は、命懸けにもなるだろう。
なのに、罪深い。
そんなふうに大事にされて、なのに満たされはしないのだ。
どれだけ大事にされても、どんなに多くの人間に囲まれていても。この胸の奥底に空いた穴は、埋められはしない。
そして罪深い孤独を知れば知るほど、何も大事になどできなくなるのだ。
少しだけ、解る。もしも、サディオの胸にこの穴が空いているのだとしたら。
ふわり、と。真っ黒な穴の中に落ちかけた私を、白金の毛並みが柔らかに撫でた。
もちろん、想像に過ぎない。
だがその瞬間、洗い流された様に自分の魂が綺麗に、軽くなったのを感じた。
私はいつの間にか握り締めたシーツを離し、パパを見上げた。尋ねたかった。あの狼は、どこにいるのかと。どう言う理由でここにいて、会う事はできないのかと。
サディオの側近ならば、知っているだろうか。
「何か?」
「――いえ……」
訊きたかったが、思い止まった。
何故知りたいのかと問われたら、きっと巧く答えられない。それに、と、アサレアを盗み見る。
私が狼に夢中などと知ったら、この人はきっと茶化す。この確信に、半分拗ねた気分になった。
今度診察を受ける時に、ネウト医師にでも訊いてみよう。一人でそう決めて、頚を横に振って見せた。
それからも散々ふざけた事を言い、更にもう二つ三つの贈り物の塔を崩して部屋を荒らしてからアサレアは去った。
どっと疲れたのかどうかは解らないが、いつの間にか寝入ってしまった。目が覚めた時は、すでに陽が傾き始めていた。
目覚めたままぼうっとしていると、控え目なノックが耳を打った。慌てて返事をする。そうか、きっとこのノックで目が覚めたのだ。
そっと開いたドアから、パパが顔を出す。
「女性の寝所に、一人で申し訳ない。アサレア陛下から頼まれたもので」
「陛下から?」
戸を開けたまま部屋に入って、パパが差し出したのは赤い表紙の本だった。
「退屈だろうからと」
「そうですか……。わざわざ、ありがとうございます」
パパは何か言いたげだったが、私から謝礼の言葉を受け取るとそのまま退室して行った。
改めて本に眼を落とすと、それは幼い頃に何度も読んだ覚えのある童話集だった。最後から二番目の話が残酷で、兄が読んでくれる時にはその腕にしがみ付きながら聞いた。
確かに懐かしくはあるが、今はもう開く事さえしなくなった本だ。どう言うつもりかと、ぱらぱらめくっているとしおりが膝の上に落ちた。
拾うと、指先で摘んだ紙片から香水の香りが広がった。これは、知っている。先ほどまでこのベッドの足元に腰掛けて、軽口を叩いていたアサレアの香りだ。
本としおりを胸に抱くと、その人を連想させる香りが私を包む。まるですぐ傍にいるかの様に。
知らず知らずにほっと息が零れ、そして苦笑した。
頼りにならないと思っていながら、私はいつもどこかでアサレアに支えられている。
どうしてだろうと、不思議でたまらない。
あんなにふざけているくせに、あの人はどうしようもなく私の兄なのだ。