(十三)
(十三)
父親の裏切りを知った息子は、蒼白に血の気を失った。ラウレルに向けられるノーチェの眼は、動揺の色しか映していない。
彼はこの件に加担してないと確信し、胸の内でほっと息を吐いた。この国を創り直すには、ノーチェの力が必要だろう。
今にも倒れそうなその姿から視線を戻すと、ラウレル卿は立ち上がってこちらを見ていた。
まるで、私達が糾弾を受けている様だ。いや、もしかすると、あちらはそのつもりだったかも知れない。
「先に大逆を犯したのは、どなたか。身勝手に、祖国を売ったのは!」
打つ様な言葉に、はっとして自分の手を握り締めた。ずっと解らなかった反逆の理由が、少しだけ見えた気がする。
ラウレルもまた、この国を守ろうとしているのではないか。
ただ望む形が、私達とは違うだけで。
「国を守らぬ王は要らぬ。王座を明け渡すがいい、アサレア陛下! 我らは新しき王の下、更なる繁栄を切り拓く!」
「売ったつもりは、ないんだけどねぇ」
「買った覚えもないな」
「何を呑気に言っているんですか、あなた達は!」
火焔息巻くラウレルとは温度差激しく、隣で交わされる呑気な会話に頭を抱えた。脳天気さとは、うつるものなのだろうか。
ぺろりと舌でも出しそうな調子で、アサレアは話を戻す。
「援軍はこないよ、ラウレル」
「何……?」
「君が金を握らせて掻き集めた二千の傭兵は、こちらで押さえた。援軍は、なしだよ」
にっこりと、笑顔さえ見せて告げる。と、サディオが後を継いだ。
「腑に落ちないのは、国境に動きの見られない事だった。例え反乱を支援するのがどの国であろうと、国境を越えず兵を送り込む事はできないにも関わらず」
「かと言って、我が国の軍はインヴィオ軍によって制圧されているからねぇ。動かせる兵は、ないはずだった」
だが、いたのだ。
二千の兵が、この王都に。
兄が私を見る。視線を受け、その腕にそっと触れながら私は口を開いた。
「そこで、インヴィオに雇われた傭兵はどうかと考えました。あれは金で動く。しかも戦場はここ。行軍の必要がないから、ギリギリまで反乱の動きにも気付かれ難い。疑えば疑うほど、打って付けの遊軍です」
だがこれは、予測に過ぎない。
確証を得るために、いつだったか川原で私を襲い掛けた傭兵を探し出した。自分達が襲った相手は誰かを知らせ、どれだけ拙い立場にいるのかを教えてやる。そうなると、人の口は幾らでも軽くなる。
「それからも、大変でしたよ。街中の宿や酒場に内密に御触れを出して、傭兵達を酒で潰してくれる様にお願いしました」
酔い潰してしまえば、いかに戦い慣れた傭兵でも比較的容易く拘束できる。だからこちらが動かした兵は、最小限で済んだ。
敗北を悟らせたはずの私の言葉に、ラウレルは顔を歪めた。だが、そして、声を上げて楽しげに笑った。
「見たか! どれだけ時間を費やし抜かりなく準備しても、姫は一晩で始末を付けてしまわれる。これが、黒い風だ!」
「お見事」
知らず、震えた。きっと恐怖だ。
気付いた兄が、腕に触れた私の手をそっと押さえる。けれども眼は、私も、サディオも、唐突に姿を見せた男に囚われていた。
黒い外套の暗殺者。
それは長い裾を揺らし、入り口から悠々と王の間に足を踏み入れた。
警備兵は何を?
訝しんで視線をずらすと、折り重なって倒れる兵の姿がそこにあった。動かない体の下に、血溜りが広がる。
それを踏み付ける様にバラバラと硬い足音を響かせて、暗殺者の背後から武装した男達が現れた。少なくとも、二十はいる。彼らだけで、部屋のほぼ半分を埋めてしまう。
こちらの警戒を掻い潜り、これだけの私兵を城の中に潜り込ませていたのだ。今更ながらラウレルのその手腕に、内心で舌を巻いた。
青い鎧が視界を塞ぐ。側近達が素早く駆け寄り、自らを盾に私達の前方を守ったのだ。
自分に呆れる。その後ろに守られて、まだ恐いとは。冷静な部分がしゃしゃり出て、声が震えないのがせめてもの救いか。
「褒められた話ではないでしょう。せっかく、あなた方が教えて下さった事ですから。これくらいは、やらないと」
「いよいよ、小賢しい」
鼻で笑う。黒いフードに隠されて表情は解らないが、暗殺者の態度は正解を仄めかす。
そうだ。私は、敢えて導かれたのだ。
首謀者は尻尾も見せず、反乱の計画だけははっきりとこちらに伝わってくる。こんな事があるか? だが、わざと情報を流したなら、有り得る。
当初、暗殺者が私の前に現れ、今回の反乱について洩らす事は計画にはなかったのに違いない。そうせずとも、インヴィオに情報を掴ませば私まで伝わって当然と考えたはずだ。
しかし、そうはならなかった。サディオが混乱から私を遠ざけたために。
「だからあなたは姿を晒し、私に反乱の情報を伝えなくてはならなかった。でも、何のために? 知れば必ず、私はこれを止めるのに」
けれども、逆なら?
この反乱は、私に止めさせるために起したのだとしたら?
「黒い風が健在であると。姫がその人であると、証しを立てねばならなんだ」
切っ先が、自分に向いても無頓着に。ラウレルは、まっすぐ私へと腕を伸ばした。
「儂の手をお取りになられよ。姫、あなたさえおられれば、我がトルトゥガリスタはどの列強とでも渡り合える。インヴィオ如きに、隷属する必要などありませぬ」
「それは、お前の考えかい?」
アサレアは私を自分の陰に押し込むと、年老いた臣下に問うた。それを受け、ラウレルの表情がわずかに動く。
「何を申されたい」
「いやぁ、どんな話を吹き込まれたのかと思ってねぇ。ラウレル、お前はどこぞの国から支援を受けたのだろう? その理由を考えたかい?」
理由なく、敗戦国である我が国に他国がわざわざ味方する訳がない。そして理由になり得るのは、何らかの利益だけだ。
「考えたとも。が、無意味じゃ。あちらの目的が何であろうと、黒い風さえこちらにあればどんな思惑も蹴散らせる。欲を、利用してやればよい」
「甘いよ、ラウレル。確かに、黒い風は優れた軍師だ。でもね、だからこそ有り得ない。予なら、黒い風をトルトゥガリスタに置いたままにはしない」
そうだな、例えば。
アサレアはよく手入れされた指先で、自分の唇を突っつきながら天井を見上げた。まるで、悪戯でも考える様に。
「例えば、馬鹿な王に絶望した臣を甘い言葉でたぶらかして、黒い風の正体を探るとかね。そして、攫ってしまえばいい。脅威が一つなくなって、強力な力を得られるからね。一石二鳥だ」
いや、それだけでは済まない。
今更ながら気付いた可能性に、私はサディオの背中へそっと寄った。
兄の隣に立つ彼は、重症を負っているとは信じられない。だがサディオは柄に手を掛けたまま、まだ剣を抜いていない。恐らく怪我のために、長剣の重みを手では支えていられないのだ。
「安心なされよ、アサレア陛下。姫は、儂がお守り申し上げる」
「いいや、無理だ」
「父上……!」
こちらとあちらの、ちょうど中間。壁を背にしてへたり込むノーチェが、悲鳴の様に声を上げた。けれども父親は、息子の呼び掛けには応えない。応えられない。
鎧を着けない胸板を、背後から長剣が貫いていた。口の端から赤い線がつっと垂れて、顎先から滴る。
それが自身のつま先を濡らす前に、胸から突き出た剣先は背中側に引き抜かれた。と同時に、その体が力なく崩れる。自分の身に起こった事を、ラウレルは理解しただろうか。
血泡を飛ばして咳き込む音は、二、三度で絶えた。
父の元に駆け寄ろうとするノーチェを、インヴィオの兵が二人掛かりで抑え止める。
「死の商人を引き入れた時から、アンタの命は終わっていたのさ」
男の言葉は酷く遠い。他人事の様に。悪夢の様に。
冷たくすらない。ただひたすらに、男の声には温度がなかった。