(十二)
(十二)
「気に掛かるのは、ハルディンマゴが介入している事です」
夜半を過ぎた病室。サディオのベッドを囲む形で、私達は議論を重ねていた。
皆が少し眠れと勧めたが、時間を惜しんでサディオが聞く耳を持たなかったのだ。白く清潔なシーツの上には、黒い外套の男が残して行った腕輪が載せられている。
これは死の商人の印だった。
許された石の数は、役割を示してもいる。腕輪の石が一つなら運び屋。二つは密偵。三つは最高料金の暗殺者だ。
ハルディンマゴはこれら三種の人材を使い、任務をこなす事で国を潤す。魔術師の国と呼ばれる中で、特にこの任に就く者を死の商人と呼ぶのだ。
この場に残された腕輪には、石が三つ。私達が相対したのは、暗殺者だと言う事を示していた。
「どこが気に掛かる。戦に際し、死の商人を雇う国は多いぜ?」
「国ならね」
疑問を呈したギサンテと、病室の入り口を警戒するパパ。そしてベッドの上で緩く起した半身を、枕で支えるサディオを見回す。ゆっくりと纏めた考えを、彼らに語った。
一石や二石と違って、国でさえ三石はそう簡単には雇わない。実は要人を一人や二人消しただけで、滅んでくれる国はそう多くないからだ。
しかも桁違いに高額な料金は、小さな国なら財政を傾け兼ねないほどになる。
そのために国家でさえ、三石を使うには慎重にならざるを得ない。それほどの存在なのだ。どんな富豪であろうと、とても個人では雇えないだろう。
「だから、どこかの国が背後にいるのは間違いないと思うのです。ですがあの男の言っていた通りなら、その計画は内通者なしには有り得ません」
「何故?」
息をするのも苦痛なのか、サディオが短く説明を求めた。
「一つは、私が黒い風だと知られていた事。もう一つは、あの男は私にこれから起こるのは簒奪だと明言した事」
簒奪とは、臣下が王位を奪う事。他国の侵略は、これに当たらない。故意が過誤か、暗殺者はこの言葉を用いた。これに、意味がないとは思わない。
パパが促す。
「内通者に、心当たりは」
「あります。ですが、それが一番解らない」
「そりゃ、裏切り者の気持ちなんか解らんだろ」
ギサンテのもっともな言い分に、苦笑した。
その私の頬に、包帯の巻かれた手が触れる。自分のために、傷付いた手だ。そんなものに柔らかく包まれて、嘘なんか吐けない。
そのままサディオの胸に引き寄せられて、顔を伏せた。
理解できなかった。
あの人が、裏切った事実ではなく。裏切る理由が、どうしても。
翌日。
再び、セタが私の護衛に付いた。今度こそ必ず守ると堅く誓い、ドレスの裾に触れんばかりに膝を突く。これではまるで、我が国の臣の様だと呆れてしまった。
「昨日の事は、仕方がありません。まさか本当に、あんな不思議な力を使うとは」
知らなかった。
死の商人はミスをしない。その魔法の様な手腕を例えて、魔術師の国と呼ばれるのだと思っていたのだ。
正直に言うと、魔法や奇跡の類を私は信じない。けれども昨日の様に目の当たりにすれば、自分には理解できない何かがあるのだと認めざるを得なかった。
セタは、自分が動かぬ人形の様にされた事も、その間の記憶もないのだと言う。その責を問うのは、酷だろう。
だが、彼は苦い顔で首を振る。
「師団長閣下からも留意する様にと、特にお言葉を頂いていたのです。近隣国が騒がしいなら、姫や兄上様にも何か仕掛けてくるやも知れぬと」
思わぬ言葉に驚き、息を詰めた。
では、私があの暗殺者から聞かされる前に、サディオ達は誰かがこの国を狙っていると知っていた事になる。
その辺りを聞くと、セタが皆から遅れてこの城に入ったのはそれが理由だった。どんな形であれ、敗戦に浮き足立つ時機を狙う国がないとは言い切れない。念のため、近隣国の動向を探っていたのだそうだ。
「調べる内に、本当に不穏な噂を耳にしました」
とにかくその時点で手ずから情報を持ち帰り、残してきた内偵から事が起こるなら近いと知らされたのが昨日だそうだ。
ただそれも剣呑な動きが見られると言うだけで、首謀者や詳細については全くと言うほど掴めていない。
「兄には?」
「お伝えしました」
「では、知らなかったのは私だけ?」
「師団長閣下が……」
話してしまってよいものかと、迷う様子で言葉を濁す。だがどこから聞いていたのか、セタの背後からヒョイと姿を現してギサンテがばらした。
「黙っとけっつったんだよ。心配掛けたくなかったんじゃねーの?」
「……解り難い人……」
指先の下に隠して、ため息を吐く。
しかしそれなら、あの朝急によそよそしくなった態度も腑に落ちた。
「いいか?」
悪戯っぽい笑みを引っ込め、神妙な顔を作ってギサンテが問う。青い鎧の二人に挟まれ、私は長い息を吐き出してから頷いた。
「始めましょう」
高い天井から垂れた布を左右に開き、足を踏み入れた先を王の間と呼ぶ。
これは隙間なく石を組み合わせた、堅牢な造りをしている。壁の高い位置には幾つもの小窓が切られ、床は美しく掘り込まれた溝が飾る。
だが背丈の数倍もある高い天井に比べ、意外に思うほど奥行きは狭い。それは普段、王が謁見を許した者に会うための部屋だからだ。一部の選ばれた者しか足を踏み入れる事ができず、そのために五十人も入れば一杯になってしまう。
入り口から一番遠く、細長い部屋の奥に王座がある。だが今、一段高いそこは空だ。代わりに、椅子が三つ手前に並び、中央にアサレアが腰を下ろしていた。
その隣、まだ誰も座っていない椅子は私の席だ。だが、逆隣。まるで当たり前の様に座るサディオを見付け、危うく悲鳴を上げそうになった。
死に掛けたのは、昨日だ。
どんな無茶をしたら、この場にいられるのか解らない。今朝見舞った時は、起き上がれもしなかったのだ。それから、数時間しか経ってないのに。
先に立つギサンテが、背を向けたまま囁いた。
「わがままに死ぬ事しか考えなかった男が、あんたのために命を張ると言ってるんだ。好きにさせてやれ」
賭けたのだ。
光の様に、激しい思いが瞬いた。サディオを守るべき側近達までが、彼の命懸けとも言える決意に。
竦む様に止まった私を、手を差し伸べて兄が促す。
「こちらへ」
ギサンテに伴われ、ぴたりと寄り添うセタに守られて足を進める。途中、壁際に控えて礼を取るラウレル親子が見えた。他にも部屋のドア周辺と四隅には、インヴィオの兵士が数人ずつ配されている。
私が席に着き、側近達が所定の位置に散らばったのを確認するとサディオは隣に頷いて見せた。それを受け、アサレアが呼ぶ。
「ラウレル卿、前へ」
「はっ」
私達の正面に進み出たラウレルは膝を突き、口髭と同じく白髪混じりの頭を下げた。
「急に呼び付けて、悪かったねぇ」
兄はいつも通り、聞いているこっちの力が抜けてしまいそうな口振りだ。アサレアを初めて見る様なインヴィオの兵士は、何とも妙な表情を浮かべた。
だがさすがに、長年仕えるだけはある。ラウレルは軽く俯く程度まで体を起こし、このまま世間話でも始めそうな主を本題へと導く。
「陛下のお召しとあれば、いつなりと。……しかしこれは、どうした事ですかな」
「すまないねぇ。今はサディオ殿に、警備をお願いしているんだよ」
室内の状況をピリピリと窺うふうのラウレルに、おっとりと答えた。そして、ついでの様に言葉を続ける。
「お前に寝返られたら、動かせる手勢がいなくってねぇ。さぁ、ラウレル。どうして反乱を起こすのか、理由を聞かせてくれないか?」
核心に触れた兄の声に、私は肩の力が抜けるのを感じた。口振りのせいではなく、これを例えるなら安堵に近い。
自分に打てる手は打った。
後は、しっかりと終わらせるだけだ。