死神の夜想曲
本編より数年前の話です
この国には光と影がある。平和という光を守る為に犠牲となる者がいる。それでも運命は等しく残酷だ。残された者に哀しむ暇すら与えない。
僕はまだ知らない。分からない。何が正解で、何が間違っているのか。その答えを考える時間すら僕にはない。そもそも考える権利すらないのかもしれない。
国の秩序を保つ為に命を狩る。
そう、僕は死神なのだから──
今日は2ヶ月ぶりの休日のはずだった。
僕たち死神に休みは少ない。だから今日は1人で酒でも飲みながら過ごそうと思っていた。
しかし数日前、指令書が送られてきた。内容はある1人の女性の写真と「見定めるベシ」と書かれたものだった。どうやらお偉い方々は僕に休む暇を与えてくれないようだ。
僕は裏に書かれた待機場所でその女性を待った。集合時間の少し前、写真の女性が来た。僕の学生時代の後輩だった。
「先輩、来てくれたんですね! お忙しいようなので来てもらえないと思ってました」
彼女はそう言って笑った。
「今日は元々休みだったからね。じゃあ、行こうか」
僕たちは普段あまり話す間柄ではなかった。だから大して親しいわけではない。それでも彼女は楽しそうに笑っていた。僕にはなぜ彼女が笑顔でいられるのか分からなかった。
「今からどこに行きましょうか?」
そう彼女が俺に訊く。
「水族館とかどうかな? 残念ながら大したイベントなんて無いけどね」
「安心してください! 先輩と一緒なら、私はどこでも楽しいですから」
彼女の笑顔は眩しかった。
水族館なんて何年ぶりに来ただろうか。
ただ魚が泳いでいるだけの光景が、こんなにも美しいことを、僕は忘れていた。
僕たちは水族館を出て街を歩いていた。
「綺麗……でしたね」
「ああ、そうだな」
そのとき見覚えのある小さな看板が見えた。
「この近くに喫茶店がある。そこで少し休もう」
僕たちが入ったのは時代遅れな古風な喫茶店だった。客も少ない。ただ、マスターの淹れるコーヒーが美味く、どこよりも静かで落ち着ける場所だった。
「先輩、ここって……」
「ああ、学生時代、僕たちがよく集まってた場所だ。問題児と呼ばれる僕たち6人が集まって騒いでたせいで、こんな静かな店が賑やかになってた時期があったな」
そんな話をしている間にマスターが1杯のコーヒーを出した。
彼女はそのコーヒーを一口飲み、笑顔で「美味しい」と言った。
「君はここに来たことは?」
「1度だけあります。いつも賑やかな先輩たちが、静かな喫茶店で飲むコーヒーの味を知りたかったから」
そして彼女は苦笑いしながら続けた。
「あの頃のコーヒーの味は苦かったです」
僕は彼女の言葉を聞き、少し冷めたコーヒーを飲んだ。今日のコーヒーは少し苦かった。
くだらない学生時代の話を続け、気づけば夜になっていた。
「そろそろか……」
そう僕が呟くと、彼女は真剣な表情でこちらを見ていた。何も言わず、ただ真っ直ぐに。そんな彼女に僕は言った。
「月を見に行こう。」
たったそれだけ。彼女は軽く頷いて、僕の1歩後ろを歩く。
涼しい風の吹く丘の上。今日は満月より少し欠けていた。
「月が綺麗ですね!」
僕は何も言えなかった。すると
「すみません、言ってみたかっただけです」
と彼女が言った。その笑顔は月の周りで光る星々より輝いて見えた。
運命は等しく残酷だ。
「……時間だ雪坂白音、君を処刑する」
何度も似たような経験をしてきた。
「何か言い残すことは?」
そして、また繰り返す。
「真宮先輩、私の名前覚えてくれていたのですね」
曖昧な正義の為に奪う。
「水族館の綺麗な魚たち」
大切な人の明日を。
「学生時代は苦かったあの喫茶店のコーヒー」
大切な思い出を。
「そして何より、先輩と沢山話せたこと」
僕は……
「私にとって、今日が人生最高の日です!」
また、この手で命を奪う。
「先輩! 貴方が好きでした!」
それでも、哀しんで良いのだろうか。
彼女は最期の瞬間まで笑顔だった。
任務完了の報告のために通信機を手に取る。
「真宮だ。任務は完了した」
「〈お疲れ様でした、隊長。これで3年後の爆破テロの1件を未然に防げました。仕事の話はここまでです〉」
通信の相手は副隊長であり、学生時代からの友人だ。だから思っていることを遠慮なく話せる間柄だった。
「……なあ、これで本当に良かったのか?」
「〈それは私も分かりません。ただ1つだけ言えることは、泣きたいときは泣いて良いのですよ、遊理君〉」
……僕の頬を1滴の雨の雫が伝った。この街で僕にだけ雨が降っていた。それでも立ち止まってはいられない。
この国には光と闇がある。僕は平和という光を守る為の闇だ。だが僕自信も、何も見えない暗闇の中で答えを探し続けている。
それが僕たち、《死神》だ──