第38話 招かれざる来訪者
フィリスは全ての修行を終えて現実世界に戻ってきていた。
夜中になっていたが、まだ日付は変わっていない程の時間だ。
魂の領域へ干渉した影響で、ティルが気怠そうにしてたまに胸を押さえて血を吐き出していた。
「魂への干渉だけなら行けると思った自分が愚かだった……」
「むしろそんなボロボロな状態で干渉できたことの方がボクは凄いと思うけどな」
「誉め言葉として貰っておくよ。……じゃあ、お風呂を作ろうか。アルビオン、魔力回路を貸して」
「仕方ないな~」
ティルがアルビオンの背中に手を置いて、自身の魔力回路と臨時接続を行う。
そして魔力をアルビオンへ流し込むと土属性の魔法を使って土の浴槽を作る。
浴槽の下には、薪を入れて水を温めるための簡易的な窯も同時に作ってあった。
「じゃあ、ボクはこの辺で」
「おやすみ」
「ああ、おやすみ」
そう言って人格がフィリスに入れ替わると髪の色が変わった。
「お風呂に水を入れようか」
「こんな所にあるの?」
「こちらをご覧ください。今、アルビオンと一緒に作りました」
「……」
行動の速さに少し呆れたようなフィリスが無言でティルを見つめる。
「あのー感想は?」
「不用心です」
「ほ、ほら結界もあるし魔物除けの薬も撒いたから」
ティルがチラチラとフィリスを見るが、彼女の表情はあまり変わらなかった。
その辛さを誤魔化すようにティルがフィリスに指示を出す。
「フィリス、魔法の練習がてら水を張ってみて。魂の領域で、掴んだ感覚をこっちの体に慣らすために」
「うん、わかった」
「あ、ついでに窯に火もお願い」
フィリスが頷くと魔法を使った。
浴槽に時間をかけて水を入れた後に、窯に火を点ける。
「調整も上手くいったみたいだね」
「でも、あの世界ならもっと上手くできた……」
「それは仕方ないよ。本来は先に体が技術を覚えて魂がそれを保存するけど、今回はその逆に魂が技術を習得して、体がそれを使おうとしてるから。でも、慣れるまでそこまで時間は掛からないと思うよ。現に体質の制御が前よりも上手くなってるじゃん」
「実感がない、かな」
「ま、慣れだよ慣れ」
そう言ってティルが浴槽への階段がある裏側に、フィリスの背を押して歩いて行った。
「ほら脱いで」
「え!? ま、待って!」
ティルに服を脱がされてフィリスが止めようとしたが間に合わなかった。
汚れた下着を見られて、フィリスが顔を赤く染め、耳まで赤くなっていた。
そして恥ずかしそうに耳が垂れる。
「恥ずかしいだろうけど、体は洗わないと。それに私には妹がいるからこういうのには慣れてるんだ。だから、嫌ったりしないから安心して」
ティルが優しい声音で言うとフィリスの頭を撫でて、下着を脱がして彼女の体と髪を洗う。
「この服と下着はどうする? 私のお下がりになるけど、それでいいなら破棄しちゃうよ?」
フィリスが小さく頷くと、ティルは魔法でフィリスの服を焼却した。
「さーて風呂だー!!」
ティルが勢いよく入ると慌てて飛び回る。
「あっつ!! アッづ!!」
浴槽の底が直火で温められて火の温もりがあった。
足の裏を火傷させて慌ててティルが浴槽から這い出てくると、フィリスが小さく笑う。
「ちょ、ちょっと待ってて」
ティルが大急ぎで木を倒して板に加工し、表面を錬金術で整えてから浴槽の床に敷いた。
「これでよし! 入っても大丈夫だよ」
床が熱くないのを確認するとティルがフィリスを手招きした。
フィリスが浴槽に入ると、二人は気持ちよさそうに肩まで浸かって疲れを癒す。
「どう? 感覚は馴染んだ?」
「もう少しかかりそう」
「慌てないでゆっくりでいい。時間はたくさんあるから」
「うん」
フィリスが小さく頷いた。
そして二人は入浴を楽しんだあと、フィリスが先に就寝したのだった。
それから一カ月の間は森に留まってフィリスの感覚の調整に費やした。
ティルも剣の鍛錬に励みフィリスに模擬戦を挑むが何回も負けてしまい、悔しさのあまり剣の練習量をさらに増やしていた。
そして現在、フィリスの手に武器を馴染ませるための模擬戦を行ったが、いつも通りティルが敗北して悔しそうにしながら罰ゲームを行っていた。
「あー! 悔しい!! また負けた!」
「そりゃあ、ボクの加護があるから当たり前だよ」
アルビオンが腕立て伏せをするティルの背中の上に座りながら言った。
「境界の加護ってそこまでできるの?」
「装備したすべての武器の技能を使用者に合わせて最適化する効果も含まれてるよ」
「それってどれくらいのレベルまで技量が伸びるの?」
「達人以上極致者未満ってところかな。細かいレベルは使用者の元の技量に依存するし、戦闘経験の差もでるから実際の所は達人に匹敵するかどうか止まりかな」
「それでも十分反則な気が……」
ティルが不服そうな顔をしていると、アルビオンが彼女に問いかけた。
「フィリスのできはどう?」
「いい感じ。飲み込みも早いし、向こうでの感覚をちゃんとこっちでも使えるようになってきてる。でも、人里に行くにはもう少し掛かりそうかな。強い力だから制御しないとトラウマを量産しかねない」
「あの時みたいに、かな。ボクにはその感覚はよくわからないけど、フィリスの絶望は伝わってきたから」
アルビオンが共感はできないが、理解はできると態度で表していた。
ティルも感情を無くなった時の感覚は知っており、アルビオンの言葉には共感を覚えた。
「こ、これでラスト!」
ティルが最後の一回をやり遂げて達成感を嚙み締めた。
「じゃあ、もう一本お願い」
「わかってる。ほら変わった変わった」
ティルの言葉に従うようにアルビオンとフィリスが人格を入れ替えた。
そしてそれからティルによる訓練が行われるのだった。
あれから一週間と三日が経った。
ティルとアルビオンの助力により、フィリスは力をほぼ完全に制御できるようになっていた。
生物に触れても無差別で殺すことは無くなり、自分の意志で命を刈り取れるようになっており、二人は荷物をまとめてついに森を後にすることにし、街道を目指して歩き始めた。
その道中、何者かがティルの頭の中に話しかけてきた。
『だ……か……誰か、聞こえますか? お願いです。聞こえていたら返事をしてください』
「誰?」
『誰か。お願いします! 災いが近づいて……』
ティルが念話に波長を合わせるが、返事が返ってこない。
むしろ何者かに邪魔されているかのように念話が途切れ途切れになってきた。
『……が来ま……備……て……。第……目の……災が……』
『誰なの!? 今、厄災って言った!!?』
ティルが焦りの混じる声で話しかけるが、何も返ってこない。
「姉々どうしたの?」
「フィリスには、この声が聞こえないの?」
「声?」
フィリスの反応を見て自分にだけしか聞こえていないと気が付き、確かめるためにアルビオンにも話かけようとした時だった。
空間が破られる異変を感じたのは。
「!?」
『!?』
ティルとアルビオンが異変を感じ取り、ティルは自分が抱いた嫌悪感に心当たりがあった。
その直後に空間が破られた影響で発生した空間振とそれに伴う衝撃波が世界を襲った。
強烈な衝撃波から少し遅れて禍々しい魔力の波動が襲ってくる。
「きゃっ!」
フィリスが衝撃波を体中に受けて、少し後退った。
まるで花火が爆発した時に感じる体を震わせるような衝撃波とその感覚を何倍にもした物だった。
「こ、この感じってもしかして……」
「そのもしかしてだよマスター」
アルビオンがティルに話しかけた。
彼女もまた、ティル同様に衝撃波の正体に気が付いていた。
「まさか厄災が現れるなんて。だけど、私の知ってる現れ方じゃない。まるで空間を抉って出てきたような……まさか異界の厄災……」
「まだ断定はできないけど、恐らく異世界から来たとみて間違いはないと思う……いや、そう仮定したほうがいい。世界記録にアクセスしようにも特殊な力場で阻まれてるから」
アルビオンが状況を把握するために、管理者権限を使って世界の中枢に接続を試みるが失敗に終わってしまう。
ティルが魔力を手掛かりに座標を特定し、片目を潰す代償を支払って負担なしで千里眼を使用した。
厄災の姿を見ると彼女の顔が青ざめた。
本能的な恐怖を刺激され、体が小刻みに震えていた。
「こ、この私が恐怖している……だと……」
ティルが目を丸くして驚いていた。
それは自分が恐怖を抱いたことに対してであり、厄災の力を知ったからでもあった。
「我が事ながら、驚愕で言葉が見つからない」
ティルが小さく呟いて苦笑する。
「どうだった?」
「世界を渡ったことで力を使い切り、今は休眠状態に入ったみたい。状態的に刺激しない限り、当分は目を覚まさないから大丈夫。そんなことより、問題はあれが何番目の厄災かってこと」
「下手したら討伐不可能って可能性もある。ボクの推測だけど、あれは番号以上の力を秘めている。あの存在規格を保ったまま世界渡りなんて普通はできないし、仮にできたとしてもマスターみたいに何らかの弱体化を受けるか一時的な制限を受けるのに……」
「となると、目覚めるまでの間に対処法を見つけないと」
「ああ。ボクも同じ考えだ。あれをどうにかする方法を考えながら、あれの元に向かおう」
ティルとアルビオンの考えが同じであることを共有すると、二人はこれからのことを話し合いながら森の中を歩いていくのだった。
そして街道に出ると、道に沿って近くの街を目指す。
街道は至って平和であり、厄災顕現の爪痕はなかった。
「人が整備した道って素晴らしい!」
「ずっと森の中でしたからね」
「空気が澄んでて森もよかったんだけどね~」
「不便でも楽しかった」
「たしかに」
ティルが小さく笑ったのを見て、フィリスが嬉しそうに頬を緩めた。
二人が雑談しながら歩いていると、後方から馬車が走ってきた。
「お嬢さん方、どこまでいくんだい?」
「隣町まで行くつもり。ここからだとまだまだ掛かるの?」
「徒歩だと早くて一週間くらいじゃないか? 良ければ乗ってくかい? おいらもルイトまで行く途中なんだ」
「いいの! じゃあお言葉に甘えさせてもらうね」
ティルの言葉を聞くと若い商人が馬車を止めて二人を荷台に乗せた。
「ありがと。助かるよ」
「ありがとうございます」
二人がお礼を言うと、商人が軽く手を振って返事を返す。
「いいってことよ。そういえば名前を聞いてなかったな。おいらはメメル。見てのとおりの駆け出し商人さ」
「私はソロモン。こっちが妹のフィリス。血は繋がってないけど、それくらい大切な子なの。よろしく」
ティルが即興で適当な設定を作り上げ、変に詮索されにくく無難そうなもを選んだ結果である。
「よろしくおねがいします」
フィリスがスカートの裾を摘まんでお辞儀をした。
「きゃっ!?」
「走ってる馬車で立つと危ないって」
ティルが倒れそうになったフィリスを受け止めた。
「二人は何をしに行くんだい?」
「私の目的は情報収集かな」
「情報?」
「ソリエティア領で発生した転移災害についての情報を知りたいんだ。メメルは何か知ってる?」
「あー聞いたことはあるけど、おいらも詳しくはわからないな。何せ隣国の事だから、こっちにまで情報があまり流れてきてないのか、伝達速度の問題で知られてないって感じかな。……もしかしてソロモン達はそこの出身なのか?」
「フィリスは違うけど、私は巻き込まれてこっちに飛ばされてきたの。この子の事情は聞かないでもらえると助かるよ」
「そうか……。二人とも大変だったんだな」
メメルが二人のことを知ると、彼女たちがどれだけ大変な思いをしてここまで来たのかと考えてしまった。
そんな二人に何か出来ないかと思考を巡らせるも、良い案が思い浮かばず歯痒い思いを抱く。
「おいらに出来ることは少ないと思うけどさ。商人仲間に聞いてみるよ。行商をしてるから色々知ってるかもしれない」
「いいの! ありがとう。それだけでも助かるよ。正直、情報が集まる確証が無くて困ってたから」
「そう言ってもらえるとおいらも頑張りがいがあるよ」
こうして三人は楽し気に話ながら次の街を目指すのだった。
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