新しい仕事
「盟約の花嫁Ⅱ」の外伝です。「砂糖菓子の花嫁」の後の話になるので、その二つを読んだ後をお勧めします。天の花嫁の夫候補の一人だったマティアスのその後の話です。フェリシテ&ジェラールにリリアーヌ&ギスランも登場します。このカップルのその後の様子などもお楽しみいただけるかと思います。それでは堅物マティアスのお相手に(私から)選ばれたジョゼットの恋物語をお楽しみくださいませ。
「どうしたの?ジョゼ。元気が無いみたいだけど」
オラール王国の王都のオベール公爵邸では小さなお茶会中だった。
お茶会と言っても招待客は一人。最近出来たリリアーヌの友人ジョゼットだ。
彼女の身分でいえば王族のオベール公爵邸に招待されるものでは無かった。ましてその婦人でもあるリリアーヌと普通なら対等な関係になれるものでも無い、王宮に出入りの出来ない貴族とは名ばかりの下級貴族の娘だからだ。
しかしリリアーヌの趣味がもとで知り合いになり、今では身分を越えた大親友と言ってもいいくらいだった。もともと人見知りで人付き合いの苦手なリリアーヌにとっては一番大切な同世代の友人だろう。
そのジョゼットはというと、リリアーヌの楚々とした可愛らしい雰囲気とは反対で活発な感じの少女だ。くるくると落ち着き無く動く瞳は若草色をして、ふわふわと広がる髪は黄色いひな鳥の様だった。特別に美人でも無いが明るい笑顔は誰もがつられて微笑んでしまうような人を和ませる魅力があった。
心配そうに訊ねるリリアーヌにジョゼフィーヌは肩を大きくすくませて答えた。
「やっぱり分かる?リリアーヌには誤魔化せないわね」
「誰でも分かると思うわよ。だってジョゼはすぐ顔にでるもの」
「えっ!そうなの?まいったなぁー」
「それで何かあったの?」
「いつもの事よ。また首になったの」
「ええーっ!また?」
ジョゼットは頷いた。貴族と言っても父親は下級役人で病気がちな母と食べ盛りの小さな双子の弟達の五人家族では生活は苦しいものだった。だからジョゼットは働きに出かけているのだが・・・長続きしないのだ。
「食堂の給仕をしていたのだけどね。お客が私のお尻を触ったのよ。だから持っていたスープを頭からぶっかけたの。そしたら当然だけど首になっちゃった」
「まあー許せないわ!正等な理由があるのに一方的よ!」
「仕方ないわ。世間ってそういうものだもの・・・私の我慢が足りないと言われたわ。確かに私はすぐ頭にくるし、おっちょこちょいだしね。こうも長続きしないと自信無くすなぁーと思って落ち込んでいたの・・・」
リリアーヌは彼女の性格は良く分かっていた。正直者で曲がった事は大嫌いで、気が早くて間が抜けた失敗をする。でもそれが彼女の魅力になっていて憎めないのだ。そんなジョゼットに世間は厳しいみたいだった。
彼女の仕事ぐらい幾らでも手助け出来るリリアーヌだったが、それをジョゼットが嫌がるのも分かっていた。オベール家で雇えば解決する事だったが彼女は受けないだろう。
でも此処じゃなかったらいいのでは?とリリアーヌは思いついた。
「ジョゼ、あのね。気を悪くしたらごめんなさい。実はお仕事の心当たりがあるのよ。受けて頂くと嬉しいのだけれど…」
ジョゼットがその言葉に、むっとした顔をしたのでリリアーヌは慌てて話を続けた。
「違うの、此処では無くて違う場所よ。でも王宮で・・・資料室の整理に人が必要なんですって。それも場所的に当然だけど身元がはっきりして信用が出来て、そして重要なのは記憶力が優秀な人材という話なの。だから貴女にぴったりでしょう?」
この話は先日、王太子ジェラールから聞いた話だった。昔からそうだが彼は気軽にひょっこり現れては息抜きにお茶をして帰るのだ。
そのジェラールが言うには王宮の資料室をもっと活用しやすくする為、膨大になったそれらを整理する事となったそうだ。そこで責任者としてマティアスが担当となり始動し始めたところ、彼の要求に対応出来る者がいないとの事だった。マティアスが誰か遣せと言って煩い、と王子はお茶をしながらぼやいていたのだ。
ジョゼットの記憶力は特技と言ってもいいぐらいだった。彼女いわく一度見たら覚えるらしい。しかし頭が良いとはいえなかった。その覚えたものを活用するという感覚が無いのだ。数式は覚えるがそれをどれに使ったらいいのか?というように応用しきれないのが難点だった。
「私の記憶力?それって?」
ジョゼットは怪訝そうに聞き返した。あっても逆に疎まれるだけだったそれを欲する人がいるとは信じ難いものだった。
「資料を分類するにはある程度内容だとか、何処にどの資料があったとか分かっていないと時間がかかるらしいのよ。闇雲に出来る程の量では無いらしいから。ジョゼは得意でしょう?もし良かったら条件とかの内容を詳しく聞くけど・・・どうかしら?」
ジョゼットは少し考え込んだ。願っても無い話だが、リリアーヌとは彼女が公爵夫人だから友達になっている訳では無い。そんな美味しい話は彼女を利用しているようで返事をためらってしまったのだ。そういうのを期待して彼女の周りに集まる連中のようになりたくなかった。リリアーヌもそう感じていたから〝気を悪くしたらごめんなさい〟と言ったのだろう。
「あのね…リリアーヌ」
「駄目!ジョゼ、断らないでちょうだい。貴女がこういうのを嫌いなのは知っているわ。だけど私は私なの。ジョゼにしか出来ないのもあるけど、私にも私にしか出来ない事があるのよ。だから自分で出来る事は大切なお友達の為に何かしたいの。だからお願い」
自分の為にそう言ってくれるリリアーヌにジョゼットは負けてしまった。甘えるのは嫌いだが友達なのだから甘えてくれと言う彼女に感謝してその話を受けて貰うようにした。
そして数日後、リリアーヌがジョゼットの家に飛び込んで来た。彼女が来れば目立つから此処に来るのは駄目だと言っていたのだったが・・・・
「ジョゼ、大変なの!でも約束してしまって・・・」
「落ち着いてリリアーヌ。どうしたの?ほら、深呼吸して」
リリアーヌは深呼吸をして泣きそうな目でジョゼットに言った。
「先日の件なのだけど、ジェラール王子とマティアス様とにお話して早速、明日から来て欲しいと言われたのよ」
「明日?それはまた急なのね。でも私はいいわよ。暇だし、早く働いてお給金もらいたいしね。それを伝える為に急いで来てくれたの?」
リリアーヌは首をふった。
「違うの!お話をしていて何だかおかしいな、と思っていたら欲しいのは男の人だったみたいなの。マティアス様が言われるには女は気が散漫で集中した仕事が出来ないから男に限るって…王子はそれ偏見だろう?と笑ってらっしゃったけれど…」
ジョゼットは女には無理だという話にむっときた。女が働くには厳しい世の中だがそういう男がいるのが頭にくるのだ。
「女だからって馬鹿にするのはいつもの事だけどむかつくわね。でも仕方が無いわね…」
リリアーヌがまた首をふった。
「私もそれを聞いて胸から熱いものが湧いてきて、つい言いそこねてしまったの…推薦したのは女性だという事を…」
「えっ?まさか…」
「ごめんなさい!王子は大喜びだったし…それに私、ジョゼの事知らないのに馬鹿にされたような気がしたから思わず黙ってしまったの…それに王宮に住み込みになるの…」
ジョゼットは唖然としてしまった。男の振りをして王宮に住み込み?しかし馬鹿にしたマティアスとかいう男を見返したい気持ちが湧き上がってきた。
「大丈夫よ。リリアーヌ。私、やるわよ。女としては物凄く情けないけど私は前も後もペッタンコ。男の子の格好をすれば少年でとおる自信はあるわ。仕事が完了した時には正体を明かして女を馬鹿にする奴を懲らしめましょう!でも…まぁ、記憶以外でドジ踏んで首にならなければの話だけどね。これには自信が無いもの」
ジョゼットはそう言って片目を瞑った。
リリアーヌは驚いた顔をしたがジョゼットのやる気に安心したようだ。
それでジョゼットの名前はジョゼと短くして、リリアーヌ推薦の王宮資料室の雇用が決まったのだった。
ジョゼットはリリアーヌに付き添われて王城へと足を踏み入れた。幾つもの門をくぐり馬車を降りた時は、呆然と見上げてしまった。城下から遠くに見えていた壮麗な王宮が目の前にそびえていたからだ。広大な敷地に点在する宮殿は神殿で聞く天界のようだった。
そして中に入れば、目が慣れるのにしばらくかかったぐらいの豪華な造りだ。ジョゼットは思いっきり場違いな感じがして来た。
待たされて十数分、扉から現れたのは太陽神の如きと言われるジェラール王子だった。
「やあ、リリアーヌ、早速ありがとう」
リリアーヌは立ち上がって優雅に礼をした。ジョゼットはその綺麗な動作に、溜息をついて感心した。
(さすがリリアーヌね。私なんてあんなに出来ないもの)
それにしても見るだけで頬が熱くなるような美貌の王子を間近で見て、目眩がしそうだった。
呆然としているジョゼットにジェラールが目を止めた。
「―――彼?なの?」
「はい。私の友人でジョゼ・アルトーでございます」
「ふ~ん。友人ね?叔父上は気が気じゃないようだろうな。こんな可愛い子とリリアーヌが付き合っているなんてね」
ジェラールはふざけたように言ったが、ジョゼットはむっ、として思わず言った。
「お言葉ですが、リリアーヌは大事な友達です!邪推されるものなど何もありません!」
リリアーヌも驚いたが、ジェラールはもっと驚いたようだった。王子に食って掛かるような言い方をするものなどいないからだ。
ジャラールは吹き出して笑った。
「はははっ、ごめん!悪ふざけが過ぎたね。だって君、女の子だろう?だからちょっとした冗談だったんだけどね」
ジョゼットとリリアーヌは同時に青くなった。
リリアーヌは恐る恐る言った。
「あの…王子。申し訳ございません。騙すつもりは無かったのですが…あの…」
「リリアーヌは悪く無い!彼女は言い出せなくて…だけど私がやろうと言ったのです!お咎めなら私にしてください!」
ジョゼットはリリアーヌを庇うように言った。リリアーヌも違うと言って彼女を庇っている。
「本当に二人は大親友なんだね。女の子だって別に構わないよ」
「えっ?」
「でもそこの部署は男ばっかりだし、頭の固いマティアスだからこのまま男の子の格好でいたほうが良いと思うけれどね」
ジェラールはそう言って片目を瞑った。
「あの…でも大丈夫でしょうか?」
リリアーヌは聞いた。自分達では結構上手く変装出来たと思っていたのに、直ぐ見破られたからだ。
「ああ、たぶん大丈夫だよ。私は分かるけれどマティアスみたいな仕事の虫なんか全然分からない筈さ。あれにとって女性とはドレスを着ていたら女だと認識する程度のものだよ。あれの部下達も似たり寄ったりだしね」
リリアーヌは何の事やらさっぱりだったがジョゼットは分かった。この王子はひと目で見破るぐらい女性に慣れていると言う事だ。
今は天の花嫁が現れて彼女に夢中らしいが、昔はかなりの女たらしのようだったと聞くからそうなのだろう。しかも面白がっているのが目に見えて分かる。
「王子。面白がられていませんか?」
ジョゼットの不満気な言葉にジェラールはにっこり微笑んだ。
「わかる?面白いよ。だから私も協力するから是非、勤めて欲しいな」
溜息が出るような碧い瞳を妖しく光らせて、ねだるように言う王子に逆らえる女性はいないだろう。
「でもやはり心配です」
リリアーヌは段々自信が無くなって来たようだった。男ばかりの所でもし女性だと分かったらと思うと心配になって来たのだ。そういう事に疎いリリアーヌでも容易に危険だと予想が出来たようだ。
「心配は分かるけれど一応彼らは獣では無いから、女の子だと正体が分かったからって急に襲い掛かるなんて事は無いと思うよ」
「襲い掛かるですって!」
リリアーヌは気絶しそうにふらついた。
「わーっ!リリアーヌ!ごめん、冗談だよ。冗談!そんな事にならないように私も気にかけているから。それにフェリシテにも頼んでおくからね」
「そんな…フェリシテ様にご迷惑をおかけしたら申し訳ないです」
「リリアーヌ、フェリシテ様って?」
「私の愛しい婚約者だよ」
ジェラールが嬉しそうに笑って答えた。
ジョゼットはそれが〝天の花嫁〟の名前だと知った。それに王子はどうしてもこの企みを続けたいらしい。
「本当に困っているんだ。君の事リリアーヌから聞いた時、天界神に感謝したぐらいだよ。マティアスが煩くて毎日夢まで出て追いかけられていたんだ。君は一度見たものは覚えているらしいね?リリアーヌともそれがきっかけだとか?」
ジョゼットの母は今では病気がちで寝ている事が多いが、菓子の研究家で有名だった。それこそ教本まで出していてリリアーヌが教授願いたいと訪問したのだ。普通なら呼付ければ良いのにそうしないリリアーヌにジョゼットは好感を抱き直ぐに親しくなった。そこでリリアーヌが先ず驚いたのは本を色々開いて探す必要は無かった事だった。ジョゼットが全て覚えているから便利な目次みたいなものだ。その記憶力にリリアーヌは驚いたという訳だ。
「それにね。本当に大事な友達なんだろう?リリアーヌがこんなに積極的なのは珍しいから是非協力してあげたいんだよ。元婚約者としてはね」
「えっ!」
ジョゼットは驚いた。オベール公爵も王族だったが、この王子の婚約者だったとは知らなかったのだ。リリアーヌは本当に生粋のお姫様なんだと感心した。
しかしリリアーヌは少し頬を赤らめて小さな声で言った。
「王子、そのお話しは…」
「ごめん、リリアーヌ。いつもの癖でね。ここに叔父上がいると面白いんだけれどなぁ」
「ですから、その話題は…」
ジェラールはいつもそういう言い方をしてギスランが嫉妬で、むっとする顔を見るのを楽しんでいるのだった。
「本当に叔父上ときたらリリアーヌが可愛くて仕方が無いんだよね。元婚約者っていう肩書きにも嫉妬するんだから心が狭い、狭い」
リリアーヌはもう真赤になっていた。
結局、王子の強力な押しにも負けたがジョゼットは続ける事にしたのだった。
早速、ジョゼットは王子に連れられて魔の資料室へと向った。〝魔の資料室〟と自分は呼んでいると王子は笑いながら言った。その監督指揮をしているのがジェラール王子の従弟のシャブリエ公爵家の嫡男マティアスという人物らしい。彼は次代の宰相と言われる王国一の頭脳を持つ切れ者という事だ。しかし王子が言うには真面目で融通の利かない完璧主義者の鉄仮面。だから今回の仕事は彼についていけず逃げ出す者が多いということだった。
「だからジョゼ、無理せず適当に頑張ったらいいよ」
「王子、その仕事はどうでもいい仕事なんですか?」
「?どうでも良くはないけど…これが完了すれば短時間で検討書類が用意出来るようなって、政務が比較的に早く片付くようになるかな」
「それでは適当にする事は出来ません。働く以上お給金分、しっかりと精一杯頑張ります」
ジョゼットはきっぱりそう言った。
「頼もしいね。じゃあ宜しく!さあ、此処が資料室だ」
王子が笑って扉を開いた。