変身
「なんだ、おまえ……」
『そんなこと聞いてる場合なワケ?』
「え……?」
突如キャンサーが、奇声をを上げて襲いかかってきた。
まるでその声の主が、不倶戴天の敵であると理解したかのように。
「くっ……」
再び義手でガードしようとした時には、義手の拳の一撃が、キャンサーにめり込んでいた。
派手に吹っ飛んだキャンサーだが、翼を羽ばたかせて空中でバランスを取って着地した。
致命傷と言うにはほど遠いかも知れないが、
『あんた、アイツを倒したい?』
「それはどう言う……?」
『人間ってこんな簡単な問いにも答えられないの?』
「いや……でも、それは」
殺したいか殺したくないかと言えば、僕の答えは紛れもなく前者だ。
「殺したいよそりゃあ……いや、これは違うな」
口元に滲む血を拭って、続ける。
「僕は……僕はあいつを、殺さなくっちゃいけないんだ」
奴は友達を、黛を殺した。
これ以上の動機が他にあるまい。
復讐は何も生まない、ただの自己満足だという一般論なんて知ったこっちゃない。
今の僕は、目の前の怪物を殺したくてたまらない。
『オーケイ。なら、契約成立ね』
瞬間、義手から染みだした何かが、あっと言う間に僕の全身を包み込んだ。
それはアメーバのような感触だったが、不思議と圧迫感も閉塞感も感じない。
自分の皮膚がもう一つ出来たような、不思議な感覚だった。
突き出されるキャンサーの爪の一撃を、今度は左手で受け止める。
生身の左手のはずなのに、まったく押し負けずに拮抗している。
『拮抗してるくらいで喜ぶな。あたしの力はこんなもんじゃないんだから……!』
妙に悔しそうな声が脳に響く。
腕を掴んだまま蹴りを繰り出す。
後方へ吹っ飛ぶキャンサーを応用に地面を蹴り肉薄、さらに追撃を加えていく。
今の僕は飛び道具を持っていない。
使える戦法は肉弾戦のみ。
アウトレンジでの戦闘では体のいい的に過ぎない。
そもそもこの戦いは義手の異変によって成り立ってはいるが、あくまで今の僕の身体能力は、蝙蝠型とトントンと言ったところ。
複数のキャンサーを相手取れるRCユニットには遠く及ばないが、充分戦いにはなる。
キャンサーの爪が二の腕を抉る。
鋭い痛みに顔を顰めた。
「この装甲結構脆くないか?」
『食った量が少ないから仕方ないでしょ、文句言うなバカ』
バカ呼ばわりされる筋合いは無いが、彼女(?)の口ぶりでは、この装甲は捕食したキャンサーの体によって生成されているみたいだった。
確かにあの量で全身を覆っているのだから、ペラペラの装甲になってしまっているのも仕方がない。
それでも、何もなかった生身の状態よりは何倍もいい。
体内に動脈がもう一個出来たみたいに、尋常ではないエネルギーが全身を駆け巡っていく。
いける。
これならば、キャンサーを倒せる――!
確信したその時、
「――――――――――――――ィ!」
三半規管を引っかき回す音波が、至近距離から叩き付けられた。
「くっ……!」
来た。
蝙蝠型の十八番である超音波が。
『うっわ、何これキツ……っ』
装甲を纏ってはいるおかげで緩和されているが、やはり嘔吐感と目眩を完全に打ち消すことは不可能だった。
『絶対吐くんじゃないわよ。吐いたらあんたから先に殺してやるから』
「善処する……!」
さすがに命がかかっているのであれば、全力で我慢するしかない。
マスクを被った状態で吐いたら、僕も大惨事に巻き込まれるのでどっちにしたって堪えるしかないのだが。
形成が逆転したことを確信したのか、こちらに牙を見せつけながらキャンサーが迫る。
「まだ、吸い足りないのか――!」
この装甲では、キャンサーの牙を弾くことはできない。
今までないくらい頭を回転させる。
「……!」
電撃の如く思いついたアイディアを義手の声に告げた。
『それくらいなら出来るけど?』
「じゃあそれで頼む!」
僕の首元に、キャンサーの首元に沈み込む――
「――!?」
しかし、キャンサーが血を吸うことは出来なかった。
「どうした。吸ってみろよキャンサー」
牙を突き立てられた瞬間、僕は首元の装甲の密度を一気に引き上げて、牙を受け止めたのだ。
それ以外の装甲が今まで以上に脆くなってしまうが弱点だけど、予想通りの結果をもたらしてくれた。
焦ったキャンサーが牙を引き抜こうとするが、柔らかくしていた装甲が牙に纏わり付き、全く抜けない。
がら空きになったキャンサーの腹に拳を叩き込む。
軋むような呻き声を上げるが、未だに牙は装甲から抜けない。
こちらの拳がダメージを受けることも構わずに、キャンサーを殴りつける。
何度も、何度も。
拳を振るう度に、体の内部に怒りが蓄積されていく。
キャンサーにここまでの殺意を抱いたことは、この十六年の人生で一度もない。
ハザードデイで両親を失ったときも、ビスクドールに敗れて右腕を失ったときも。
何度も殴られて限界を迎えたのか、牙は砕け、その反動でキャンサーは大きく後退した。
キャンサーは人間を凌駕する修復能力を持っているが、その時間も与えるつもりはない。
「殺してやる……!」
自分でも驚くくらい、低い声が出た。
冷静になった方がいいと言うことは理解している。
けどこればっかりは、標的を完膚なきまでに破壊しなければ気が済まない。
キャンサーは後ずさり、回れ右して翼を使って逃亡を試みた。
無論、こっちも逃がすつもりはない。
その翼を掴み、強引に毟り取る。
キャンサーの絶叫と翼が引き裂かれる音の二重奏。
これてキャンサーは、完全に逃げる術を失った。
だがそれでも諦める気はないのか、キャンサーは再び超音波を撃とうとする――
「させるかっ――!」
それよりも早く首を掴む。
キャンサーの超音波は声帯を震わせて喉から発せられる。
そこを圧迫させてしまえば、もう超能力は使えない。
これで、チェックメイトだ。
キャンサーの胸に手刀を叩き込んだ。
元々胸部はダメージを受けていたこともあって、手刀はすんなり装甲を突き破った。
少し固い感触の後に、少し柔らかい感触がして――何かを掴む。
それが何であるのかは見えない。
しかしそれが何であるのかは、既に理解している。
命の危機を感じ取ったキャンサーがみっともないくらい体をばたつかせるが、それに構わずにそれを引き抜いた。
どくんどくんと脈打つ、エメラルド色の球体こそが、キャンサーの心臓部であるコア。
これを引き抜く、もしくは破壊されればキャンサーは活動を停止する。
今まで壊れた玩具の如く暴れていたキャンサーは、電源を落とされたように活動を停止した。
キャンサーの血と肉片に塗れたコアを見ながら、キャンサーの死体を放り出す。
戦闘が終わったからなのか、波が引くように装甲が崩れ、義手へと戻っていく。
さらに義手が再び蛇の口のような形状になって、そのままコアを丸呑みにした。
「ちょっ……」
『うん上々。中々やるじゃない、あんた』
再び例の声が、僕の脳内に響く。
『あ、そっちも食わせなさいよ。放置とか絶対に許さないから』
「食うって……これを?」
『当たり前でしょ? 何のために殺したと思ってんのよ』
言う否や、義手の口は人を一人丸呑みできるんじゃないかと思うくらい巨大になり、地面に転がったキャンサーの体を包み込み、その状態のまま咀嚼していると覚しき音が聞こえてくる。
あの中がどうなっているのかは、絶対に見たくない。
顎門が引っ込み、義手の形に戻った時にはキャンサーの姿は影も形もなくなっていた。
『くえっぷ、これならしばらくは大丈夫か』
満足げな声とは対象的に、僕は頭を抱える。
「何なんだよ、本当に……」
もう何もかもぐちゃぐちゃだ。
黛は殺されるし、僕は変な装甲を現在進行形で装着してるし、義手は喋るしキャンサーを食うし。
冷静になれと言われて冷静になれる奴なんていない。
少なくとも僕はそうだ。
黛の仇であるキャンサーを殺して、一応胸はすっとした。
けれどそれも一瞬で、それなんか問題にならないくらいの喪失感があった。
「黛……」
彼女の亡骸を抱き上げる。
熱はまだ残っているが、それももうすぐなくなって冷たくなるんだろう。
当たり前だ。
人が死ぬということは、つまるところそう言うものなのだから。
もう目を開いてくれない。
一緒に軽口を叩き合うこともできない。
『いつまで死体に構ってんのよ。さっさと――』
「うるさいよ!」
我慢できずに叫んだ。
「何なんだよさっきっから! 状況考えずにぺちゃくちゃ喋って! 黙れよ! 今くらいは黙って――」
言い終わる前に義手が勝手に動き、僕の頬をぶん殴っていた。
視界がブレて倒れそうになると、ぐいと義手に胸ぐらを掴まれた。
自分で自分を殴って胸倉を掴んだ、なんて冗談みたいな光景。
『ぎゃーぎゃーぎゃーぎゃーやかましいってのよ。いちいち叫ばなけりゃ声も発せられないっての?』
また、この声だ。
「悪いけど、今は構ってる暇なんてないんだ。放っておいてくれ――」
言い終わる前に今度は押し倒された。
『勘違いしてない? あんたはあたしに命令を下せる立場になんてない。あたしが命令して、あんたが従うの。オーケイ?』
「人が死んだんだぞ!? そんなこと悠長にやってる場合じゃないだろうが!」
『キャンサーも死んだじゃない。これでトントンでしょ』
「納得できるかそんなの! 黛とあのキャンサーの命が等価だとでも言いたいのか!?」
『当たり前でしょ? 同じ生命じゃない。何言ってんだか』
呆れ返ったような声に、絶句せざるを得なかった。
『……はあ、まったく埒が明かないわね』
義手は何かを納得したように指を鳴らすと、黛の横顔に触れた。
指の先端からアメーバ状の何かが分離して、黛の耳に入り込んだ。
「おい、何を――」
止めようとした瞬間、びくんと、黛の体が跳ね上がった。
そして変貌が始まった。
栗色の髪は銀色に、虚ろな瞳は深紅に染まり生命の輝きを取り戻した。
傷口も塞がり、折れていた首や脚も、ゴキゴキと元に戻っていく。
呆けた顔で膝立ちしている僕を他所に、黛は立ち上がった。
目の前の光景が信じられなかった。
何事もなかったように、黛は生きてい――いや、
目の前にいる少女は、本当に僕が知っている黛流歌なのか――?
「ふうん……これが人間の体、ね」
疑問はすぐに氷解した。
この口調は黛のものではない。
黛の声で、まったく違う別人が喋っている。
黛もどきはしばらく指を動かしたり、首をこきこき鳴らしていた。
まるで、初めて使う物を慣らしているかのように。
「意外と悪くないけど、色々変なことしているのね、こいつ」
そう言うと、三つ編みを解き眼鏡を外した。
眼鏡を外した黛を見たのはこれが初めてかも知れない。
――実は私、このクソダサ眼鏡を外したら結構な美人さんかもですよ?
以前そんなことをそう言っていたけど、確かにその通りだったよ黛。
けど、シチュエーションがあまりにも最悪だった。
目の前にいるのは黛の肉体で喋っている何かだ。
「黛の体に何したんだ、おまえ」
「見りゃ分かるじゃない。死んだ肉体を端末として動かしてんのよ」
黛の体のそいつは、何言ってるんだこいつと呆れた目で、俺を見た。