起動
そんなこと言っていて、結末がこれなんてあまりにも酷い裏切りだ。
なんで僕を庇ったんだ。
逃げろと言ったのに。
戻ってくる奴がどこにいる。
そんな悔いはないと言わんばかりに穏やかな笑顔じゃなくて、いつもみたいにふてぶてしい笑みを浮かべながら、皮肉の一つでも言ってくれよ――!
悠々とした足取りで、キャンサーが接近してくるのが音で分かった。
走らずとも目の前の獲物は逃げられないとタカをくくっているんだろう。
そしてその分析は正しい。
既に僕の体はボロボロで、まともに戦える状態じゃない……いや、元から戦いにすらなっていなかった。
僕がやっていたのは、黛を旧校舎から逃がすためのただの時間稼ぎ。
しかし結果はご覧の有様。
結局、黛は死んだ。
僕を庇って。
僕を、守ったのだ。
「そうだ……守って、くれたんだ」
それなのに僕はなんでこんな所で突っ立っている。
「こんなところで、何やってんだ馬鹿野郎……!」
それは黛の行いを無意味にする行為だ。
命を賭けた彼女への冒涜に他ならない。
生きなくてはならない。
せめて、この瞬間だけでも。
だがどうやって、生き延びる……?
考えれば考えれば考えるほど、袋小路に迷い込む。
本当に、どうすればいい……!?
キャンサーの翼と一体化した腕が僕に伸ばされた、その時だった。
どくん
義手が僕の脳が命令していないのにも関わらず、勝手にキャンサーの胸元に食らいついた。
「え……?」
義手は溶けるように本来の形を失い、蛇の口のような形状になって、キャンサーの装甲を食いちぎった。
キャンサーの装甲を咀嚼しているのは、間違い無く僕の腕だ。
これまで僕の体の一部として機能していた義手が、今はまるで個別の意思を持つ生き物のように動いている。
キャンサーもその異常を感知したのか、後退して襲いかかってこようとしない。
「ぐあっ……!?」
突如襲ってきた衝撃に、思わず声が押し出された。
「……っ……っ!」
静脈にエナジードリンクをぶち込まれたような衝撃に、キャンサーが目の前にいるにも関わらず、地面にのたうち回ることになった。
「なんなんだよ……これっ……!」
義手から出て来た根が、全身に張り巡らされるような感覚。
あり得ないはずなのに、現実として自分が体験している。
どくんどくんどくん
どくんどくんどくん
義手の鼓動と、心臓の鼓動。
最初はバラバラだった鼓動が重なり合い、一つになっていく。
神経が蹂躙されるような感覚に悲鳴を上げそうになる。
死ぬのではなくその逆だ。
その証拠に、体の痛みが徐々に引いているような感覚がある。
高密度のエネルギーを打ち込まれた故に、体が一時的に拒絶反応を起こしているということか。
それが収まった、その時。
『……a』
「え?」
『a、A、ア、あ……言語能力、習得しやがりました』
突如聞こえてきた鈴を鳴らしたような女性の声に、思わず周囲を見渡すが、それらしき人影は一つも見当たらない。
そもそもこれは耳を通した物ではなく、
いや、そもそもこの声の主は人間なのか……?
『一人称と口調は複数存在します。僕、俺、私、拙者、ワシ、あたし……まあ、これにしとくか。ったく、最初の食事がコレとかイマイチにもほどがあるけど、動けるようになっただけマシか』
やろうと思っていないのに、義手がグーパー運動を始めた。
その言葉と動きでで一気に理解する。
声の主は、僕の義手であることに。