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マシな選択

「逃げろ黛。ここは僕が抑える」

「抑えるって、RCユニットも無しに戦うなんてあまりにも無茶すぎます! 波沢先輩じゃないんですよ!?」


 いや、いくら渚沙でも生身でキャンサーを倒すことは出来ないと思うけど……


「こっちだって、二年前まで隊員だったんだ。普通の人よりは時間を稼げる」


 黛の表情は見えないけど、きっといい顔はしていまい。

 無論勝てるなんてちっとも思っていない。

 けど、これが最善の方法だ。

 片方が抑えて片方が逃げる。

 両方共倒れになるよりは、何倍もマシだろう。


 先に動いたのはキャンサーだった。

 翼をはためかせ、一直線にこちらに向かってくる。

 反撃を受けることをまるで考えていない――いや、たかだか生身の人間の反撃なぞ問題にならないと判断したんだろう。

 がぱりと口が開き、血に濡れた牙が覗く。


 キャンサーはそのまま僕の腕に食らいついた。

 しかし痛みは感じないし、血を吸い上げられる感覚もない。

 当たり前だ。

 ガードした腕は天然物じゃないんだから。

 僅かに戸惑うキャンサーの腹に、固く握った拳を叩き付ける……!


「ぐっ――!」


 ぐきっと、何かに亀裂が入った音がした。

 キャンサーの体には傷一つ付いていない。

 悲鳴を上げたのは、僕の体の方だ。

 分かっていたことではあったけれど、ロクな武器を持たないまま、生身でキャンサーにダメージを与えることはほぼ不可能だ。


 血を吸えないことを悟ったキャンサーは首を上に捻り、まるで背負い投げのような要領で僕を投げ飛ばした。

 叩き付けられた衝撃で、口の中に鉄の味が広がる

 激突した本棚が僕の重さに耐えきれなくなり、大音量と共に倒れる。


 倒れる方向が逆だったなら、僕は下敷きになっていた。

 大量の本が詰め込まれた本棚は、倒れればいとも容易く人の命を奪う凶器と化す。


「それでも、結果があまり変わりなさそうだけど……」


 キャンサーに敗北するのが、今か数分後かくらいの違いでしかない。

 けど、その数分のタイムラグこそ、僕が望んだものだ。

 それくらいの時間さえあれば、黛は校舎から逃げることが出来る。


「それまで付き合って貰うぞ、コウモリ野郎……!」


 床に散らばった本をキャンサーに投げつける。

 本を思いっ切り投げるとそれなりに痛いはずだが、キャンサーはその歩みを少し止めたくらいだった。


「なら……!」


 椅子を手に取り、キャンサーに向かって振り下ろす。

 木製の椅子はあっと言う間に砕けた。

 そしてやはり、キャンサーがダメージを喰らった様子はない。


「これも駄目か……」


 だがそれでもいい。

 一定の距離を取りながら、武器になりそうなものを片っ端から拾い集めて、キャンサーに投げつける。

 僅かに動きを止めなかったとしても、それが何重にも重なれば充分時間が稼げる。


 蝙蝠型は隠密行動に長けてはいるものの、他のキャンサーのような見るからに危険な凶器は体に付いていない。

 じゃあなんで僕達に見つかったのかというと――まあ隠す気も無かったんだろう。

 キャンサーにとって、生身の人間というのはそんな程度の存在だ。


「――――――――――――――ィッ!」


 頭の内側を引っかき回されるような深い極まりない音波が、僕に叩き付けられた。

 忘れていた。

 蝙蝠型の最大の武器――三半規管を大きく狂わせる超音波。

 凄まじい吐き気とめまいが、容赦なく襲ってくる。


 平衡感覚も曖昧になり、自分が立っているのかすら曖昧だ。

 RCユニットを装備した状態でも、警戒されるキャンサーの超音波。


 生身で受ければどうなってしまうのか……その疑問の答えを今、身を以て知ることになった。

 キャンサーが繰り出した蹴りが、僕の鳩尾に食い込む。


「がっ――」


 傷ついていた内臓の一つが限界を迎えてしまったのか、口の中から血が込み上がり、吐き出される。

 よろめきながら後退するが、すぐに倒れている本棚に躓いて尻餅をついた。


 キャンサーの攻撃によるダメージも大きく、立ち上がることさえでさえこんなにも難しい。

 けど、時間はそれなりに稼いだ。

 蝙蝠型は自身のテリトリー外の人間は襲わない。

 恐らく奴のテリトリーはこの図書室……もしくはこの旧校舎そのもの。


 どちらにしても、黛が脱出するのにおつりが出るくらいの時間は稼いだ。

 それで自分まで助かろうなんて贅沢という物だ。


 復活してきた視界で、滑空しながら一直線に向かってくるキャンサーを見ながら、そう思った。

 その時だった。


「草部君――!」


 どんと、突き飛ばされた僕はほこりっぽい床に転がった。

 さっきまで僕がいた場所に入れ替わるように立っていた人物は、キャンサーに捕らえられ、そのまま天井へ舞い上がっていく。


「なん、で……」


 乱入してきた人物を見た瞬間、全ての骨や内臓が凍り付いたような錯覚を覚えた。

 それは、もうここにいなないはずの人間。

 ここにいてはいけない人間。

 黛流歌。


「嘘、だろ」


 やめてくれ黛。

 こんなの、僕は望んでいない――!

 キャンサーの口が開き、鋭利な牙が見えた。

 これから何が起こるかなんて、考えるまでもない。

 手を延ばす。

 間に合わない。


「やめろ――!」


 僕の叫びを嘲笑うかのように、キャンサーの牙が、根元まで黛の首元に沈み込んだ。

 生き血を啜る不快な音が、図書室に反響する。

 黛はその体をびくびくと痙攣させていたが、やがて力なく手足の動きが停止する。


 数秒の後、キャンサーは黛を手放した。

 ごきりと、不吉な音と共に黛の体が床に激突する。

 首が、腕が、あり得ない方向に、曲がっていた。


 元々インドアで色白だった肌が、今はぞっとするほど――まるで陶器のように青白い。

 まるで死体のような――いや、比喩を成していない。


 死体に死体のようだと言うのはそれは比喩では無く現実というのだ。

 その証拠に脈が、止まっている。。

 首元の傷から流れている血が、青白い肌との鮮やかなコントラストを描いている。


 死んだ。


 黛流歌は、死亡した。


「――」


 悲しいとか怒りとか、そのような感情よりもどうしようもない喪失感が僕の心に穴を開けていた。

 それなのに。

 それなのに! 


「なんで、おまえは笑ってるんだよ――!」


 まるで何かをやり遂げたような笑顔で、黛は死んでいた。


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