魔手
「……あー、酷い目にあった」
お見舞いってこんなに疲れるもんだっけ、と肩を揉みながら病院を出る。
あれから来美に絡まれたりなんだったりで、結局僕が解放されたのは予定の30分オーバーだった。
ちなみに渚沙は、ハンドグリップを没収されていた。哀れ。
彼女の名誉のために詳細は省くが、煙草を取り上げられたニコチン中毒者はきっとあんな感じなんだろう。
何事も適量が肝心だという話……なのかね?。
「まあ、悩みは晴れたと言えば晴れた……のか?」
情景と僕の心境がリンクして空は晴れ渡って……いませんね。
未だに降り続けてるね、雨。
昨日戦ったばかりの相手に助言を貰うなんて、敵に塩を送ってもうってレベルじゃない。
それに加えて野菜と肉とフライパンと醤油も貰ってしまった感じだ。
おかずが一品出来てしまうぞ。
まさか渚沙も、昨日戦ったキャンサーの相談に乗っていたとは夢にも思わないよな……なんて考えながらアパートのドアを開ける。
「ただいまー……って、なんだこれ」
まだ日が沈むにはまだ早い時間だというのに、カーテンが締め切っている。
雨が降ってることもあって、薄暗いことこの上ない。
ブランカはベッドに蹲り、帰って来た僕のことを見ようともしなかい。
いや、そこら辺は概ねいつも通りなんだけど、どこか様子がおかしい。
心ここにあらずというか、抜け殻状態というか。
感情が表に出やすいブランカにしては珍しい現象だった。
「何があったんだ? 随分と、らしくないけど」
ぴくりと体が震え、顔を上げる。
「……なに、それ」
「え?」
「らしくないって、何……? あたしらしいって何? 何だっていうワケ……!?」
その声は、今まで聞いたことがないくらい震えていた。
「ブランカ……?」
いよいよ様子がおかしいというか、何かに脅えているみたいな――
ブランカはゆらりと立ち上がると、覚束ない足取りのまま僕に近づいていく。
「何も知らないくせに。あたしも知らないのに、偉そうなこと言ってんじゃ――ない!」
ブランカは僕の襟首を掴むと、そのままぐいっと体を捻ってベッドに押し倒した。
彼女の瞳は、忙しなく揺れている。
まるで、何かに脅えているような、そんな表情だった。
「それは……自分が何者かなんて、ちゃんと理解している奴の方が少ないだろ。僕だって正直怪しいし」
「あんたはイカれたヒーローオタクよ」
「そこまで言う?」
まあ否定はしないけどさ。
じゃあ今度はこっちの番ってことでいいんだろうか。
「じゃあブランカは……食い意地張ってる相棒?」
引っぱたかれた。
ちょっと理不尽だ。
「じゃあ……なんだろう。捻くれてる?」
今度は睨まれた。
これも駄目か。
「顔が可愛い……は、違うな」
「なんで撤回すんのよ」
「だって、元々この体は黛のものなわけだし……あ」
そうだそうだ、これがあった。
「なんだかんだでお人好し」
口では色々言ってるけど、黛を助けてくれたり、ヒーロー活動のバックアップをしてくれたり、なんだかんだで手伝ってくれる。
元々自分の利益にならないにも関わらず、だ。
「……!」
マッチのようにブランカの日が赤く染まる。
「あ、あんた、ねえ……! マジで言ってんの?」
「巫山戯てこんなこと言うわけないだろ。おまえがお気に召す答えかどうかは分からないけど」
「~~!」
ブランカはしばらく身もだえしていたけど、やがて力が抜けたようにぼすっと僕の胸に頭を乗せた。
重いとか言ったら怒られるかな――いや、今はそんな悠長なことを言っている場合じゃない。
そもそも今、ブランカは僕はベッドに押し倒している。
別に当人がどんな意図があるか分からないけど、この状況はとてつもなく危なっかしい。
僕とブランカの体が密着しているから、心臓の鼓動とか肉体の体温とか何か甘い匂いとか色々感じてしまうわけで。
何のシャンプー使ってるんだろ……僕と同じでした。
どうしよう、ここは抱きしめるべきだろうか。
いやいや落ち着け草部仁。
この肉体は黛のもの。
不用意なことをしようものなら後々、
『草部君のド変態! ラノベ主人公!』
とか罵倒を喰らうことは目に見えてる。
けど何もしないと言うのも、それはそれでどうなんだろう。
「仁ってさ、なんであたしとこんな風にしようって思ったの?」
「は……?」
「だっておかしいじゃない。あたし、キャンサーなのよ? キャンサーと一緒に暮らしたりヒーロー活動したり、おかしくない? あの女からすれば発狂モノでしょ」
「まあ、そうだな」
渚沙に関してはブランカがキャンサーだろうがそうじゃなかろうが、目くじら立てそうな予感がするけど。
そこら辺過保護というか何というか。
けど今更と言えば、今更すぎる。
だってもう半月以上経ってるんだぞ?
「……もしかして、ブランカだからって、言って欲しいのか」
「うっわ、デリカシー皆無すぎない?」
言って欲しかったらしい。
「そこは僕も分からないよ。ズルズル引っ張られて、いつの間にかこんな風に収まったって感じだし。最悪ブランカじゃなかったとしてもそうなってた可能性は充分にあったって思う」
「一発ぶん殴っていい?」
「駄目」
運命の出会いとか宿命とか、そう言うのは結局結果論で、現実は単なる偶然だとか行き当たりばったりとかその場のノリだとか、そういうフワフワしたものの積み重ねをそれっぽく言ってるだけだ。
「一歩間違えたら、殺し合うこともあり得ただろ……あ、いや、そう言えば二年前に殺し合ってたか」
もし数年前の僕に、
『今僕は右腕を吹っ飛ばしたキャンサーと同居してるんだ。ああそうそう。ついでに一緒にヒーロー活動もしてるよ。そのせいで渚沙に殺されかけたHAHAHA』
とか言っても頭がおかしいと思われるだろう。
「――っ」
僅かに、ブランカの体が震えた。
「まあ偶然とか僕は隣にいてくれるのがブランカで、本当に良かったって思ってる。諦めかけてた夢を叶えることも出来たしさ」
それは偽らざる本音だ。
「テレビであれだけ叩かれてるのに?」
「ヒーローの宿命ってヤツだろ。むしろ定番イベントまである」
渚沙にアドバイスされなくちゃ結構ヤバかったってのはあるけど、それくらいは格好付けさせて欲しい。
「ついでにその、さ。ヒーローとかキャンサーとか抜いたとしても、ブランカのことは嫌いじゃないし」
そもそも嫌だったら同居なんてするはずもないよね。
拒否権が無かったから、僕がどう思おうが強行されていたこともあっただろうけど。
「ふーん……そう、その言葉が聞けて良かった」
「え?」
「承認欲求が満たされたってヤツよ……」
顔を上げたブランカの瞳は、まるで獲物を狙う猛獣のようだった。
「ごめんね、仁」
ブランカの両手が、頬に触れた。
「あたしに――あんたの全てを頂戴?」