お見舞い
駅からしばらく歩いたところに、渚沙が入院している協同病院がある。
県内では五本の指に入るくらい規模が大きく、病院の建物はショッピングセンター並だ。
もっとも、ショッピングセンターみたいにテンションは上がる場所じゃない。
それどころかダダ下がりだ。
「うっ……」
中に入った瞬間、漂ってきた消毒薬の匂いに眉を潜める。
病院は嫌いだ。
右腕を失った時のことを思い出すから。
機械と肉体の境界線が、異常がないのにじくじくと痛み始める。
ここに入院していたのはもう二年も前だっていうのに、この様子じゃ一生病院嫌いは治りそうにない。
傘を畳んで、受付のお姉さんに教えて貰った病室へ向かう。
「305号室……ここか」
ドアをノックをすると、
「どうぞ」
と、聞き覚えるのある声。
スライド式のドアを開けると、ベッドから上体を起こした渚沙の姿があった。
髪を結んでいない渚沙を見るのは久しぶりだ。
「おお仁。来てくれたか」
そう言って、渚沙はにぱっと笑みを浮かべた。
「まあね。怪我の様子はどう?」
「大した事はないぞ。肋骨が二本折れて、数カ所打撲があるだけだ」
全然大した事あった。
頭に包帯巻いてるし、頬に絆創膏も貼ってあるが、それは怪我とはカウントしないのか?
まあ両脚複雑骨折よりはマシだけども。
「それなのにしばらく入院しろというのだぞ。まったく、頭の固い連中だ。理不尽だとは思わんか?」
「正常な判断だよ。むしろそう判断してくれた人に感謝した方がいい」
入院と言うよりは、軟禁って感じだけど、渚沙の健康とってはその方がいい。
「それで仁、例のものは持ってきてくれたか?」
キラリと渚沙の目が細められる。
「一応持ってきたけど……本当にいいのか?」
「御託はいいから早く頼む。もう我慢できそうにないんだ」
妙に熱っぽい吐息にドキリとしながらも、僕はポケットから取り出したブツを渚沙に手渡した。
「ああこれだ! これが欲しかったのだ……!」
渚沙は恍惚の表情を浮かべながら、ぎゅっとブツ――ハンドグリップを握りしめた。
これが渚沙が希望した見舞いの品だった。
見舞いにハンドグリップってどうなんだとは思うけど、本人のオーダーなのだから仕方ない。
「持ってきておいてなんだけどさ、入院中はトレーニングを休んでもいいんじゃないか? オンオフ上手に切り替えていかないと」
「馬鹿者。肉体は動かさないと日に日になまっていくのだぞ。入院なぞ言い訳になるか」
渚沙はハンドグリップを握りながら、ふんすと息を漏らす。
「普通はなるんだよ」
「心は納得しても体は正直なのだぞ。NTRモノでも真っ先に墜ちるのは体からと相場が決まっている」
「やめい」
「くっ、私は肉体の衰えなんかに屈しはしない……!」
「おまえは何と戦っているんだ」
「自分自身だ!」
「格好いいけど前の台詞で台無しだよ」
「しかし、本当にこんな所で入院していいものか……少し罪悪感があるな」
渚沙の病室は完全に個室になっている。
「いいんじゃないの? ナギはエースなんだからさ。もっと傍若無人に振る舞ってもバチは当たらないぞ」
「私が戦っていられるのも、支えてくれる仲間達の協力があってこそだ。私の功績は同時に彼らの功績でもあるんだぞ」
そう言って、渚沙の視線が落ちる。
「それに、エースなんて過大評価もいいところだ。私は昨日、ジャグラーを取り逃がした……!」
ミシミシと、ハンドグリップから聞こえてはいけないような悲鳴が聞こえた。
「でも、渚沙だって手を抜いてた訳じゃないんだろ? ベストを尽くしたのなら、そこまで自分を責めなくてもいいじゃないか」
「奴を取り逃がした事実は変わらん。ブラストリアも大破してしまった……私は、ジャグラーに負けたんだ。今生きているのも、奴の気まぐれだ」
気まぐれじゃなくて必死で止めたからなんだけど……
「奴は今でものうのうとこの街に潜伏している。今、人を襲っている真っ最中かもしれないのだぞ……!」
今は入院している幼なじみのお見舞いに来てますよ、なんて言っても信じてくれないよなあ。
「……すまないな。おまえに愚痴を言っても何にもならないと言うのに」
「言葉を吐き出せただけ、いいんじゃないか。溜め込んで押しつぶされるよりはよっぽどいいだろ」
「新しい鍛錬になりそうだな」
「リスキーすぎるから絶対やめてくれ」
ふっと渚沙の表情に笑みが戻る。
「よし、次は仁の番だぞ」
……うん?
「私の愚痴を聞いてくれたんだ。次は私がおまえの愚痴を聞く番だ。悩みを打ち明けるのもいいぞ」
「いや、別にそんなのはないけど……」
嘘だ。
今大絶賛お悩み中である。
だが馬鹿正直に言えない……言えるはずがない。
「そう言う訳だから。僕はもう帰るよ――」
席を立った瞬間、何かが僕の頬を掠めて壁に突き刺さった。
小刻みに震えるソレは、紛れもなく果物ナイフ。
「いいから話してみろ、仁」
渚沙はにっこりと穏やかな微笑みを浮かべて僕を見た。
その目は笑って……いるな。笑っていないより怖いぞ。
「いやでも」
「溜め込んでは……なのだろう?」
「ぐっ……」
まさか自分の言葉が即行で返ってくるとは思わなかった。
恨むぞ数分前の僕。
けどあの様子じゃ、話してくれるまで返してくれそうにない。
渋々ナイフを壁から引き抜いて、椅子に座り直す。
「ええっと……実は僕、その、最近人助けのボランティア? みたいなこと始めてさ」
内容がまんまヒーロー活動の事だったけど、渚沙は怪しんでいる様子はない。
「ああ、確かにやっているな。黛と知り合ったのもそれがきっかけだったのだろう?」
ヒーロー活動をする一年も前なんだけど……何か誤解しているのか?
そんなことを考えながら、話を続ける。
「それが最近、色々言われるようになってさ。自己顕示欲が高いだとかただの承認欲求だとか……」
「まったく許せんな。それをほざいた奴の名前を言え。ぶちのめしてやる」
「絶対に止めてくれ……けど、それもあるんじゃないかと思うようになってさ。それってさ、誰かの不幸を望むのと何ら変わりないんじゃないか……って結局それって、ゲームみたいに楽しんでるだけで、覚悟がなかったんじゃないかってさ」
堰を切ったように、言葉が流れてくる。
ブランカの前では何でもないように思っていたけど、結果はご覧の有様だ。
飄々なんてしているもんか。
滅茶苦茶凹んでいるんだぞこちとら。
でも実際、渚沙と相対した時、僕は殆ど何も出来なかった。
説得も抵抗できずに気絶して、全部ブランカが割を食う羽目になった。
まったくもって、情けないにも程がある。
「ふむ……」
渚沙はしばし天井を睨んでいたが、突如毛布を引っぺがし、片足だけでマットレスを蹴って跳躍した。
「ちょっ!?」
病院の天井はそこまで高くない。
ごちんと頭がぶつかり、真っ逆さまに落下する。
渚沙はあろうことか受身を取っていない。
このまま落ちたら大惨事だ。
慌てて両腕を広げて渚沙を受け止める。
ずしりと人間一人分の重さが腕にのしかかる。
女性は羽のように軽いって言うのは大間違いだ。
性別が変わったくらいで体重が大幅割引される筈も無し――なんて言ったら怒られそうだから黙っておくけど。
それくらいのデリカシーは持っているぞ。
「何やってんだよ、死にたいのかナギ!」
僕の怒声なんて知ったこっちゃないとばかりに、渚沙は僕の首に腕を回した。
まるでお姫様抱っこだ恥ずかしい。
「そら、ちゃんと受け止められたではないか。そういうところだぞ」
「だからなんだよ。こんなの普通じゃないか」
自分の力で惨事を防ぐことが出来るというのなら、迷わずやるだろうに。
「それを普通と認識している時点で、おまえは筋金入りなんだ」
筋金入りって……まるで僕が病気みたいな言い草だ。
「私が戦う理由だってそんな上等なものじゃない。復讐だぞ? 十年経った今でも、両親を手にかけたキャンサーを殺すことを夢見ている。民衆を守るヒーローだなんだと持ち上げられても、本質はそんなものだ」
渚沙は自嘲気味に笑った。
「そう言ったって、ナギは大勢の人を救ってるじゃないか。動機なんてどうだっていいだろ、それで助かった命があるんだからさ」
渚沙はあきれ果てたと言わんばかりの表情で嘆息した。
「まったく、なんでおまえは私を肯定できて、自分を肯定できんのだ。その論理をそっくりそのまま自分に当てはめてみろ。私とおまえ、何が違う」
「それは……」
「楽しんで何が悪い。それくらい当然の報酬だ。辛気くさい顔をして人を助けるのが正しいのか?」
「アリだとは思うけど」
ちょっとダークヒーローっぽいよな。
「だがおまえは違う。人を助けるのが楽しいのだろう? なら楽しめ。自己顕示欲? 上等だ。天下に草部仁ありとでもでっかく知らしめてやればいい」
ナギは指で僕の口の端をぐいと引き上げた。
それで笑顔に……多分なってないな。
なってたとしても、滅茶苦茶引きつったものになっている。
「それに、楽しかろうが楽しくなかろうが、おまえは人助けを止められんタチだ。まあ仮にそれでピンチになったらその時は私が助けてやる。そりゃあもう、ヒーローのように颯爽と駆け付けてやるぞ」
にっと渚沙は笑った。
今まで何度も見た、不敵で、けれど全てを包み込んでくれるような渚沙の笑顔。
「ナギには敵わないな……」
普通だったら、そこはもっと諫めるとかあるだろうに。
まさかの全肯定か。
全肯定渚沙なのか。
「当たり前だろう。おまえの姉なのだぞ?」
「それは絶対に違うけどね」
いい加減2人とも成人を迎えようとしているのに、姉だの弟だのそういうのは止めた方がいいと思っていると、病室のドアが勢いよく開いた。
「ナギ! 見舞いに来てやりました……わ?」
そこにいたのは、お見舞いに来たと覚しきACTの皆さん。
知っている顔もちょこちょこいる――と言うか、同期だったり訓練生時代にお世話になった人達ばかりだ。
と、ここで今の状況を確認してみよう。
僕は渚沙を抱えていて、渚沙は僕の首に腕を絡めている。
これって端から見れば……その、なんていうか、凄い誤解を招きかねない状況だ。
「「「「「……お邪魔しましたー」」」」」
「ああ。あと一時間くらいしてから頼む」
「待って下さい誤解です退散しなくていいですから――!」




