同居とアボカド
「……今、なんて?」
「だから、今日からあんたの家に住むっつったのよ」
ブランカも納得するようなコスチュームのデザインを考えている間に午後の授業も終わり、僕達は家路についていた。
ここまではまあ、大体いつも通りだったんだけど、その途中でブランカが、
「ああ、言い忘れてたけど今日からあんたの家に住むから」
と、何気ない態度で爆弾を投下したのだが――どうやら聞き間違いではなかったみたいだ。
「ダメに決まってるだろ」
「あんたのアパートって二つ部屋があったわよね? まるで使ってないガラガラのやつ」
「広さの問題じゃなくて。なんだってそんな突飛なこと言い始めるんだ!?」
「端末も近くにあった方が色々都合がいいでしょ」
「ぐっ」
「それに黛流歌の両親は仕事で海外を飛び回っているし、わざわざ家を訪ねるような友達もいない……つまり長期間家を空けていても問題無い環境ってことでしょ」
「ぐぐっ」
意外にもそこそこまともなカードを切ってきたぞこやつ。
「ついでにあんたの家なら何もしなくても食料が出てくるし」
「それだろ、なあそれが本来の目的なんだろ」
あと何もしなくても食事が出てくるのはそう言うシステムなんじゃなくて、僕が作っているからなんだけどな。
「だとしても、駄目だ。絶対に駄目」
いくらなんでも異性と同居なんて早すぎる……じゃなくて世間体とか僕の精神とか色々な者に対してよろしくない。
遊びに来る程度ならばありかもしれないけど、同居となれば話が違う。
何せ朝から晩まで生活を共にするのだ。
余程の信頼関係を結べていなければ不可能な芸当だ。
だが僕のアパートに転がり込もうと画策しているブランカは、昨日知り合ったばかりだ――まあ義手に潜んでいたことを考えれば丸二年の付き合いということになるんだろうけど。
「なんで駄目なのよ」
「逆になんでいいと思ったんだ!?」
「空いてるスペースがあって、一緒に住んでも問題無い人間関係で、明らかにその方が有利に事が運ぶからに決まってるじゃない。なんであんたはそこまで嫌がるのかさっぱり分からないんだけど」
きょとん、と首を傾げるブランカ。
こちらを小馬鹿にしているのではなく、純粋に疑問に思っているといわんばりの表情だった。
「え、ええっと……」
これを僕の口から説明するのは何というかそう言うのを意識してますよと表明しているようなもので凄まじく気が引けるというか。
「何、まさか特に理由がないのに拒絶してるワケ?」
ブランカは一瞬で不機嫌モードに突入した。
「いや、ちゃんと理由はあるけど……!」
「なら言ってみなさいよ」
「……」
「やっぱりないんじゃない」
「違う、あるにはあるんだよ!」
堂々と拒絶するいい言い訳が見当たらないだけで――
「言うほどのものじゃないってことでしょ? じゃあいいわよね」
「だから――」
言ったら色々アウトだから言えないんだよ――! と反論することは最早出来ず、僕とブランカの同居生活が決定してしまった。
これ以上ゴネたら義手で首を絞められかねないので、渋々諦めざるをえなかった。
確かに効率とかその辺のこと考えたら悪くはないんだけど……
「……ブランカはまず人の心の機微を理解した方がいいと思う」
「はいはい、気が向いたらね」
絶対にするつもりないだろこいつ。
ブランカとの同居が決まってしまったため、放課後のスケジュールは大幅に狂うことになってしまった。
まずは黛の家に向かい、着替えや日用品を回収する。
あんたも手伝えとブランカに言われたが、さすがにそれは勘弁して下さいと泣き落としで逃れた。
意識がない間に男子生徒が家の中を物色してましたなんて黛に知られたら、絶交状叩き付けられるどころの騒ぎじゃない。
不法侵入と窃盗のダブルパンチで有罪待ったなしだ。
着替えと日用品でパンパンになったスーツケースを転がしながら次に向かったのは、いつもお世話になっているスーパーマーケット。
食材の買い出しは明日行く予定だったんだけど、急に食い扶持が増えたためこれまた予定変更して行くことになった。。
スーパーに足を踏み入れると、やや過剰気味な冷気が僕達を出迎えた。
「うわぁ……すごい。食料がこんなにあるなんて」
ブランカが珍しく感嘆の声を上げた。
「あれ、黛の記憶にスーパーの記憶とかなかったのか?」
黛は実質一人暮らしみたいなもので、自炊も行っていると聞いたことがあるんだけど。
「記憶を覗くのと、実際に見るのとでは違うのよ」
そう言ってブランカはキョロキョロとスーパーの中を見渡す。
その様子が少し、あどけないリスのようで思わず笑みが漏れる。
「何?」
ギロリと睨まれた。
訂正、蛇みたいだ。
「別になんでもない」
ちょっと可愛かった、なんて感想をしていたら義手でぶん殴られそうな気がして慌てて訂正した。
「さて、何を作ろうかな……」
そんなことを考えながらスーパーを闊歩していると、
「これ何? 砲弾?」
そう言って、ブランカが野菜を一つ手に取った。
表面が少しでこぼこしながらも黒々と輝くその野菜は、確かに砲弾にもみえなくもないが、
「アボカドだな。そんな物騒なものじゃないよ」
もしかしたら砲弾としても使えるだろうが、わざわざ大砲に詰めるよりは素直に調理した方がいい。
「へー、これも食べられるんだ。結構意外」
ひくひく、と匂いを嗅いでいるブランカを横に、仁は並んでいるアボカドの群れを凝視した。
「アボカドか……使ってみるかな」
森のバターの二つ名を持つこの砲弾モドキは、和食洋食共に活用できるオールラウンダーだ。
醤油を付ければトロっぽい味になる。
最近はアボカドに上書きされて、本物のトロの味を忘れかけているのは少し内緒だ。
しかしアボカドは中々に難儀な食材だ。
皮を剥くのが手間なのはもちろん、問題はいいアボカドを買うことが出来るか、である。
アボカドはうまい。
が、当たり外れも大きい。
未熟なアボカドは固くて滑らかさが皆無で、『森のバター』とはお世辞にも呼べる代物ではない。
皮の色が黒く、手に取って柔らかいと感じるものを見つけるのが、第一段階となる。
「うーん、これなら大丈夫か?」
ひとまず条件に合致するアボカドを二つ見つけた。
しかし油断は禁物。
柔らかいアボカドの中には、完熟を通り越して腐った伏兵が潜んでいることがままある。
柔らかいアボカドを見つけ出し、意気揚々と包丁を入れたら真っ黒けの断面がお出迎え、という悲劇に何度涙を飲んだことか。
一人暮らしの学生にとっては、絶対に失敗できない。
が、同じ轍を何度踏んでも一向に改善しないのは、腐っているか否かを見分ける方法が殆どないからに他ならない。
せいぜい柔らかすぎるのは避けるくらいだが、そのラインを見分けるのがこれまた難しい。
「こっちか? いやそれともこっちか……」
二人で食べるから買うのは一つで十分だが、一つに絞るというのがこれまた難しい――
うんうん悩んでいると、ブランカが横から一つ手に取った。
がぶり
「うん、これはイケるわね……」
そしてもう一つ、がぶり
「うえ、まっず。これ腐ってるわ」
ぽんと、歯形が残ったアボカドを手に戻された。
店の真ん中で、白昼堂々、レジを通していない贖罪にかぶり付く不届き者がいた。
というかブランカだった。
「何やってんだバカ! 売り物なんだぞこれ!」
「自分の舌を使うのが一番手っ取り早いでしょ。そんなことも分からないの?」
人間ってやっぱ無能ねと呆れるブランカ。
「こう言うのは、ちゃんとレジを通して買わないと食べられないんだよ! 黛の記憶にもそうあっただろ!?」
「知ってるけど、あたしがそれを全部律儀に守ると思ってるワケ? 人間如きが作ったルールなんかを?」
「ここは法治国家なんだよ! 本当に溶け込む気あるのかおまえは――」
ぽん、と肩を叩かれた。
ギリギリと振り向くと、そこには菩薩のような笑みを貼り付けた店員が、「ちょっと裏こいや」と事務所を親指で指さしていた――