いなくなった者
放課後、学校から解放された生徒達は思い思いの場所で時間を過ごしている。
学習室に残って勉強したり、駅内に設置されたゲームセンターで一喜一憂したり、家に帰って今期注目のアニメを鑑賞したりとその在り方は様々だ。
そこに優劣は存在しない。
恋人がいようといまいと、当人が充実感感じてさえいれば、皆すべからく『リア充』なのである――
では学生とACT隊員の二足のわらじを履いている波沢渚沙はどうかと言うと、ACT水戸支部内のジムで一人、チェストプレスのマシンと格闘していた。
重量は当人の好みによって変えられるが、渚沙がいつも使っているのは最高レベルの200キロ。
並の人間であればまず不可能であり、無理にやろうとすれば筋肉痛は免れることが出来ない重量だが、渚沙はかれこれ三十分、休憩を挟まずにトレーニングを続行していた。
自信の三倍以上ある重量と格闘し続ける渚沙は、頬を伝う汗に気を止めずに、
「いいぞ、もっとだ、もっと……!」
と、恍惚とした表情でブツブツと言葉を漏らしている。
端から見れば確実にヤバい奴であった。
彼女にとって鍛錬は、強くなるために必要不可欠な物であり、最大の娯楽である。
好きなアニメを鑑賞する際、頬がだらしなく緩むのと似たような現象だ……が、やはり端から見れば少々不気味ではある。
もっとも、ここにいる隊員達は渚沙のアレな……否、本質を理解しているので、ドン引いているものはごく少数である。
渚沙は完全に自分の世界に入り込み、己が筋肉との対話を行っていたが、それを遮るように頬にひやりと冷たい塊を押し付けられていた。
「うわぁ!?」
突然のことに、渚沙は悲鳴を上げてレバーを手放しそうになるが、なんとかそれを堪えた。
「……来美、それは止めろと前に言っただろう。一歩間違えれば事故が起きるかもしれんのだぞ」
ギロリと、奇襲をかけた下手人を睨み付けたが、当人である橘来美はまるで反省している素振りを見せずにケラケラと笑っている。
「そうはいっても渚沙、これくらいのアクシデントはどう言うことはないでしょう?」
ショートボブの髪と大胆に改造したACTの制服が印象的な彼女は、戦闘時はオペレーターとして渚沙達のバックアップを行っている。
「万が一というのもあるだろう、まったく……」
呆れたように言う渚沙の表情は、既に険しいものではなくなっていた。
「それよりも、もう休憩の時間ですわよ」
そう言って、来美はお手製のプロテインドリンクを手渡した。
先程の奇襲に使われた武器はこれだったようだ。
「おお、すまない。やはり一人だと時間を忘れてしまうから困りものだな」
礼を言いながら、渚沙は喉を鳴らしながらプロテインを流し込む。
「それにしても、相変わらず滅茶苦茶な重量ですわね……」
渚沙の体重を考えれば、200キロはあまりにも規格外だ。
世の中には経てして、先人が積み重ねた法則というものが存在するが、それが通用しないイレギュラーもまたごく稀に存在するもので、渚沙その一人だった。
「新入りが一人、コレに挑んで見事に体を壊したそうですわ」
「気の毒だとは思うが、それは私の責任なのか?」
脳筋脳筋と言われる渚沙でも、当人に合わないトレーニングは毒であることは承知している。
「それだけこの街のヒーロー憧れているということですわ」
「仁みたいなことを言うな。まったく……」
自分はそんな上等なものではない。
皆を守るためにキャンサーを戦うという動機ならばそう呼ばれても納得できただろうが、渚沙が戦っているのはひとえにキャンサーへの憎しみ故だった。
突如この世界に出現した怪物達は、十二年前に目の前で愛する両親を殺し、二年前に愛する弟の夢と右腕を奪った。
そんな奴らに憎しみを抱くなという方が無理があるというものだ――
「渚沙! 渚沙! シェイカーが悲鳴を上げてますわよ!?」
「ぬ?」
強く握りしめていたせいか、来美の指摘通りシェイカーはミシミシと悲痛な叫びをあげていた。
「すまんな。つい感情的になっていたようだ」
気持ちを落ち着かせるべく、残ったプロテインを一気に飲み干した。
「思い出しただけでこれなんて、ビスクドールへの恨みは相変わらずですわね」
「当たり前だ。そう簡単に忘れてたまるか。既に死んでいることがせめてもの救いと言うべきか……」
二年前、世界で初めて観測された人型キャンサー、〈ビスクドール〉。
人の姿をかたどったようなそのキャンサーと戦ったのが、元ACT隊員の草部仁。
本人はあくまで否定しているし実際血は繋がっていないが、渚沙にとっては何よりも大切な弟だ。
彼は命令を無視してビスクドールと戦い、辛くも勝利をもぎ取った。
その代償として仁は右腕を失い、ACTから去ることになった。
もしビスクドールがいなければ、仁もまだ在籍していたはずだ。
彼の成績は隊員の中では極めて平凡だったが、RCユニットの知識と適正は群を抜いていた。
当時誰も動かすことが出来なかったデスペラードを動かし、ビスクドールと渡り合ったのもその証左であろう。
「ちなみにビスクドールの肉片は、色々な機関で研究がなされているみたいですわね。その度に刻まれたり電流流されてる訳ですし、報いとしては充分じゃないですの?」
キャンサーの中でも、ごく稀に発生するイレギュラーは、研究材料として重宝されている。
特にビスクドールは確認されている唯一の人型キャンサーであるため、様々な研究機関が熾烈な奪い合いが展開されていた。
「生温いな」
人間に置き換えればかなりむごたらしい方法であるにも関わらず、渚沙はそう吐き捨てた。
ちなみに渚沙ならばどうするか――それは彼女の名誉のために記載を控えさせていただく。
「それで、研究されていると言っていたが、何か分かったのか?」
「結果は公表されていませんわ。ハッキングをかけようもプロテクトは固いわ、やっとの思いで破ったと思ったらサーバーそのものがダミーだったわでまるで尻尾が掴めませんの」
さらっと言っているが、ハッキングは犯罪である。
よい子も悪い子も真似してはいけない。
「けど、その過程で入手した情報の中にちょっと気になる情報がありましたの」
「なんだそれは?」
「先週ビスクドールの肉片を運んでいたトラックが、輸送中に事故を起こしているんですわ」
「事故……まさか、キャンサーの襲撃か」
「原因は運転手の不注意とのことでしたけど」
椅子からずり落ちそうになった。
「何だそう言う事か……しかし積み荷が積み荷だし不安になってしまったぞ」
少し拗ねたように頬を膨らませた。
キャンサーの仕業になかったにしろ、それでもトラックの事故とあればかなり大事になってもおかしくない筈だが……
「幸いにも運転手も擦り傷のみ、積み荷も異常なしとのことですわ。まあ報告書なんていくらでもねつ造できますから、真相は不明ですけど」
「おまえは私を不安にさせないと気が済まない病でも患っているのか?」
「トリックスターと呼んで下さいな」
腕をクロスさせた謎のポーズと共にドヤ顔を決める来美に、やれやれと苦笑を漏らす。
渚沙にとっては、いつも通りの何気ない日常の風景だ。
だが、二年前まで隣にいて、共に切磋琢磨していた少年は既にここにはいない。
それが当たり前になりつつある事実が、渚沙どうしようもなく寂しかった。