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月の下で君に逢いたい  作者: 谷兼天慈
3/3

後編

「さあ、それではゲクトに選んでもらいましょう!」

 それからしばらくして結果発表となった。

 ゲクトは社長に「四番の水田麗子を選ぶように」と言われていた。

 だが、彼は四番を選ぶつもりは毛頭なかった。

 たとえこれで社長に首を切られようがかまわないとまで思ったのだった。

(彼女をどうしても選びたい)

 彼は五番の白石典子がどうしても忘れられなかった。

 あの淋しそうな笑顔。

 他の少女たちも皆同じような年頃で、成人になるかならないかの今が一番輝いている年頃だ。

 それなのにこの白石典子は───

 恐らくもっともっと幸せそうに弾けるような笑いとともに笑顔を見せれば、どんなにか輝いた可愛らしい女性だろうにと思わせる。

 それなのに、その年齢に相応しくない愁いをまとって───

 彼にはそれが解せなかった。

 なぜこの子はそんなにも淋しそうな笑顔を見せているのか。

 気になって気になってしかたなかったのだ。

 彼は気づいていない。

 彼はすでに彼女に恋をしていたのだ。

 だから彼は次の瞬間こう言っていた。

「五番の白石典子さん」

 彼にはもう彼女の姿しか映っていなかった。

 この後、彼に何が待っていようが彼にとってはどうでもいいことのように感じられていた。



 それでも選手権大会が終った後に、ゲクトにしては珍しく、渋る社長に白石典子を起用するように説得したのだった。

 それでやっと何とか承諾を得たのであった。

 しかし、もしこれで新曲の売れ行きが悪ければ覚悟するようにという宣告まで受けてしまっていた。

 だが、彼女をイメージして歌も作れそうだったので、彼には確実に売れるという自信があった。

 そして、大会後、ゲクトは彼女にプロモーションビデオ制作の現場に直接くるように伝えた。

「プロデュースするのは僕なんだ。製作現場は全部僕が仕切るんだよ。ぶっつけ本番なんだ。リハとかないから。そのつもりでやってくれる?」

「はい……」

 消え入りそうな声だった。

 まるで今すぐにふっと消えてしまいそうなほどに。

「…………」

 彼は思わず手を伸ばして抱きしめかけた。

 だが人の目もあることだし、彼はグッとガマンをした。

 どうせプロモではそういう絡みとかもある。

(しょーもねーな俺って…)

 彼は苦笑した。

 男っていうのはそんなもんさと心で呟く。

 そんな気持ちはおくびにも出さず、彼は優しく言った。

「松茸、有難う。今晩はこれ食べるよ」

 その瞬間。

 彼女がゆっくり顔を上げ、満面の笑みを見せた。

 なんという笑顔だろう。

 彼は彼女の笑顔を見たとたん、世界が変わってしまったかと思った。

 心の中に何か温かいものが入ってきたような、頭の中が痺れてしまうような、そんな衝撃を受けた。

 生まれたての赤ん坊が見せる笑顔。

 無邪気な子猫が見せる気持ち良さそうな顔。

 愛する人に「愛してる」と言われてにっこり笑った笑顔。

 親に「よくやったな」と頭を撫でられて微笑む子供の笑顔。

 そういう笑顔が全て内包されたようなそんな笑顔だと、彼には思えた。

 こんな素敵な笑顔は初めて見る。

 そんな想いが生まれ、彼はその瞬間、自分がこの少女を愛してしまったのだと自覚をした。

 そして歌が生まれた。



「君に逢いたくて」



 それから───撮影現場に来た彼女とともに「君に逢いたくて」の撮影が始まり、終った。

「今度電話するよ」

 彼は彼女にそう言った。

 彼女は何も答えずにっこり笑っただけだった。

 月の出た湖のほとりで撮影したので、月明かりに照らされた彼女の微笑みはまるで幻想的で、後に彼の心にずっと残り、消える事はなかった。



 貴方のためなら死んでもいい───



「え?」

 彼の耳に何かが聞こえたような気がした。

 だが傍らでは彼女が微笑んでるだけだった。

 月はそんな彼女を照らし出している。

 彼は魅せられたようにずっと彼女を見つめ続けていた。



 そして、ゲクトの新曲「君に逢いたくて」は発売され、売上も近年ないくらいの売れ行きとなった。

 それから──

 ある日のこと。

 ゲクトはDVDを仏前に供えた。

 手を合わせて目を閉じる。

 傍らで年配の女性が泣いている。典子の母だった。

 彼は目を開け目前で微笑んでいる彼女の写真を見つめた。

 彼女は死んでいた。

 初めて逢ったあの時にもう既に死んでいたのだ。

 だからあの会場に現れた白石典子は幽霊だったのだ。

 典子は短大生だった。

 卒論である国のことを書くことになり、ちょうど仕事でその国に行くことになった父親について行ったのだそうだ。

「帰国したら、ゲクトを一番愛してるのは私よ選手権っていうのに出るの。だからお土産で彼のために何か持って帰ろうかなって思って」

 そう彼女は話していたという。

 そして彼女はかの土地で大変貴重な松茸を持ち帰ろうとして───処刑されたのだった、父親もろとも。

 その国では松茸は国外に持ち出すことはできなかったのである。

 しかも、彼女が持ち出した松茸は献上品だったという。

 もちろん、処刑自体は公にはされておらず、彼女とその父親はたんに病死として片付けられたのだったが。

 だが、そういうことはどこからでも情報は漏れてくるものである。



 貴方のためなら死んでもいい───



(典子───)

 彼の耳にはその声が残り、何時までも消えない。

 涙は出なかった。

 彼はいまだに信じられなかったのだ。

 あの月の夜。

 確かに彼女をこの腕で抱いた。

 温かかった。

 あれが死んだ人だったなんて。

 あれがこの世の人じゃなかったなんて。

 そんなこと信じられない。

 彼女は確かに生きていた。

 生きて笑っていたんだ。

 僕に微笑んでくれてた。

 死んでたなんて。


 そんなこと───


(君がくれた松茸は確かに現実の物だった)

(これから秋になるたびに僕は君を思い出すだろう)

(君がくれた松茸を見るたびに涙流すだろう)

(でも松茸は食べるよ)

(君を忘れたくないから)


 君のあの時見せた微笑みを僕は忘れない───



君にもう一度逢いたくて

逢いたくて逢いたくて

こんなにも君を愛したのに

如何して君は何処にもいない?


君を探してこの世界彷徨い

君の影を見つけようと当て所なく

夢のような儚さに淡く霞む

空には月がかかり

大地には僕が独り

海もなく緑もなく

何処まで続く虚無の世界

ただ月だけが

僕を見下ろしている


まるで君の笑顔のように


僕に見せて

あの頃の優しい笑顔を

そんな悲しそうな笑顔じゃなく

そんな淋しそうな笑顔じゃなく

心が温かくなるような

君の笑顔を


君に逢いたい

暗闇に消えてしまった

君の姿を

僕は何時までも探し続ける


忘れられない君を

心も躯も確かに繋がった

愛しい君のことを

僕は・・・


月を見上げてる

君に逢いたくて

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