72【突然の魔物】
アルとダイスの間に沈黙が流れている最中、パティはアルの目の前にはにかんで立った。
「アル、一緒に踊ってください」
パティは冷めきった空気を温かく変化させるような可愛らしさで、よく似合うドレス姿で微笑んでいた。
「パティ、ドレスを変えたのだね。とても素敵だよ」
パティは何だか胸がくすぐったくなり、頬が赤らんだ。
「天使の誘いは断れぬだろう。アルタイア王子、私の話はもう済んだ。行くといい」
ダイスも、天使の美しい翼を間の当たりにしたせいか先ほどよりも柔らかな口調になっていた。
「ダイス王、返事はいずれまた。旅の友と踊ってきます」
アルがいうと、ダイスが頷いたので、アルはパティに手を差し出した。
軽やかな音楽にのって、アルはパティの片方の手を握り、もう一方は背中に回した。
「パティは僕の肩に手を置いて」
アルは優しく言い、曲に乗って二人はくるくると回った。アルがリードしているので、パティは無理なく踊ることができ、次第に楽しくなってきた。パティにとってアルとのダンスは至極幸福な時間だった。
アルの綺麗な蜂蜜色の瞳をじっと見つめていられるし、手を繋ぎ、ごく近くにアルを感じられた。
あっという間に楽しい時間は過ぎ、しかし慣れないダンスと緊張でパティは疲れたので、先に休むことにした。
宿で休もうとしていたアルたちだが、セトラがどうしても城に泊まって欲しいというので、用意された客間に向かおうとしたパティは、足を止めた。
少し先の方にいた、スカートにフリルのついた黒いモダンドレス姿の女性が、すっと早足にパティの前を歩き去った。
(今の、メイリン?)
横顔しか見ていないが、その女性はメイリンによく似ていた。薔薇色の髪も同じだった。
パティの胸に不安が過った。
メイリンがまた、アルの命を狙いに来たのだろうか。しかし一瞬のことだったので、見間違いかも知れない。
(確かめないと)
パティはぐっと手を握り締めた。
一度用意された客間に行き、パティはかけてあった薄手のコートを羽織り、靴も履き替え、急いで客間を出た。
メイリンに似た女性は城門の方へと向かっていた。外に出るのだろう。パティはそのまま城門へと向かう。
間違いならば何事もなかったように部屋に戻って眠るだけだ。もしメイリンならば、急いでアルに知らせなければ。
パティは、自分が無茶をしようとしていることに気付いていなかった。
城門を出て、メイリンらしき人物を探しきょろきょろと辺りを見回しながら歩き、いつしかパティは王都の中心地にまで足を伸ばしていた。
外はもうすっかり闇が降りていたが、発展国であるグリーンビュー国の街には明りが幾つも灯り、多くの店が開いていた。
パティが暫く探していると、メイリンらしき、黒いドレスの髪の長い女の姿を目の端に捕らえた。女が路地を曲がっていくのを確認したので、パティも後から急いでその女が曲がった方角に向かった。しかしその路地に進むと行き止まりになっており、女の影も形も見当たらなかった。
(いない、見失った……?)
パティが顎と口元を隠すように片手を置き考え込んでいると、不意にごく近くに突如闇に覆われるような魔の気配がした。
パティが気が付いた時にはもう、魔のものは背後にいて、その角の長い魔物は大きな棍棒を振り上げ、パティに向かって降ろそうとしていた。
パティは魔の気配に振り向き、眼を見開き、声を上げる間もなく魔物の手に落ちようとしていた、その一瞬の内、パティと魔物の間に入り、ナイフを振り翳し魔物の首元にそれを突き刺した者がいた。
「が、ああ……」
細い体だが2メートルほどもある魔物は首から血を噴き上げ、よろけて棍棒を取り落した。
ナイフを手に魔物に戦いを挑んだのは、長身で細身だが、筋肉質な体格で、頬に傷のある男だった。
血を噴き出していたが魔物はまだ倒れず、ぎっと男を睨み、落とした棍棒を拾って叫び声を上げ、男に向かって行く。
男は何の感情も感じられない深い緑色の眼で魔物を見据え、冷静な顔つきをし、向かってくる魔物が振り上げた棍棒を避け、その懐に入ると蹴りを入れた。
ドカッ!
男の蹴りを食らった魔物は路地の壁にぶつかり、重く鈍い音が響き、壁は割れ、がらがらと崩れ落ちた。魔物は気絶したのか、ぐったりとして動かなくなった。
(凄いー)
パティは眼の前で起きた一連の出来事に茫然とした。
「よお、久しぶりだな、パティ!」
魔物をいともあっさり倒した男は鋭い眼を緩ませ、愛想良く言った。
「ダン!」
その男の名はダン・フランシス。七大陸で最も力のある海賊の長の名だ。ダンは魔物の血のついたナイフを腰の鞘に戻し、魔物が動かなくなったことを確認し、パティの元へと歩み寄った。
「ダン、助けてくれて有難うございます」
「パティ、発展している国だからって、女の子がこんな夜遅く一人で出歩くなんて危ないぞ。……にしても、魔物が街の中にいるなんてな。どうなってやがる」
ダンは腕を組み、眉を寄せ、神妙な面持ちをした。
「そういや、あの兵士のお兄ちゃんはどうしたんだ?」
ダンは思い出したように言った。
「ロゼスでしたら、メイクール国にいます。ロゼスはわたしをアルの元へ送ってくれただけですから」
「そうか。じゃあ、王子に会えたんだな」
「ええ」
さっきクルミと交わした会話とほとんど同じ内容だなと思いながら、パティは言った。
「今日は不思議な日です。先ほどもメイクール国で助けてくれた方に偶然お会いしました。ダンはどうしてこの国に来たのですか?」
ダンは近くに置いた荷物を拾い、二人は話しながら大通りまで出た。
「あ、そうそう。約束があるんだ。パティ、悪いな。俺もう行くな。パティは暫くこの国にいるのか?」
「ええ、多分―」
「じゃあ、また縁が合ったら会えるな。お、あの軍服のお兄ちゃん、お迎えの王子様じゃねえのか?」
ダンは手を額に置き、少し遠くを見る格好をした。
パティもそちらを見ると、ダンスパーティーの格好そのままに、白い軍服姿のアルが離れたところから足早にこちらに向かってきていた。
「アル!」
「俺は急ぐから、またな、パティ!」
「ダン、待ってください、アルを紹介します」
「いや、いいさ。俺は王子様に紹介されるような身分じゃねえから。パティ、気をつけて早く戻れよ」
ダンは風のような素早さで、じゃ、と言って消えた。
「パティ、知り会いか?」
丁度ダンが行ったすぐ後にアルはパティの近くに辿り着き、心配そうな顔をした。
「はい、あの方はダンと言います。メイクール国でお世話になりました」
「あの男がー」
アルはパティからメイクール国での一連の出来事を前に聞いていたので、名を聞き、思い出した。
「だがパティ、駄目じゃないか、勝手に城を出ては。心配するだろう」
アルは珍しく少し強い口調で言った。
「すみませんでした。わたし、お城でメイリンに似た人を見かけまして、確かめないとと思いまして」
「メイリン? 彼女に似た者を見たのか。しかしそれなら尚更一人で行くのは危険だ」
アルは少し怒った様子だったのでパティはどきりとしていたが、アルは怒ってはいなかった。アルはパティが心配でたまらなかったのだ。
「今度同じことがあったら、すぐに僕に言ってくれ。一人で追いかけるなんて無茶はもうしないで欲しい」
アルはパティの両肩を押さえ、パティの目を見て言った。
パティは、はい、と言い、再び起きた胸の高鳴りを押さえるのに必死に冷静を装った。
(ふふ、パティ、可愛いわね。アルタイアもこの国に来ていたなんて丁度いいわ)
建物の陰に隠れた黒いドレスの女は確かにメイリンだった。彼女はパティが後を着いて来ていたことを知っており、魔物を操ったのも彼女だった。
(助けられるなんて運がいいわね。まあいいわ。この国ではやることがあるから、今はまだ会えないけれど。時が来たら、アルタイア、今度こそー)
メイリンは裏の路地にある、少し寂れた酒場へと入って行った。




