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61【夢の中の少女】

 洞穴のような場所は、そこを抜けた途端に消え、また穴を登った先にも降りる前とは違った光景が広がっていた。

 そこは何もない、無の世界だ。

 アルはそうとしか思えなかった。

 夕闇に包まれた周囲は、ただ地平線が広がるばかりの果てしない空間だった。薄暗い闇がその世界を覆い尽くしている。あまりにも無機質な眼前に広がる景色に、三人は耳の奥が痛かった。


「何だここは?」

 こんなところがパティの夢なのか、とアルは疑問に感じた。

 なぜあの、心に一辺の悲しみもないような、光に満ちた天使の夢が、これほど無なのだろう。まるでここは、既に壊れてしまった心であるかのような世界だ。


「ともかく、早くここを出よう。ここへ来た時通った現実世界への切れ目を探すんだ」

 ロミオは言ったが、何の目印もなく、見渡す限り、地平線なのだ。

 だが、少し歩いて行くと、遠くに一つの小さな影があることに三人は気づいた。

 小さな影を追って行くと、それも徐々に三人へと近づいた。


 それは幼い少女だった。

 九歳か十歳か。そのくらいに見える背丈の、幼い顔立ちの小さな女の子だ。

「あの子は?」

 パティか、とアルは思ったが、その少女は、パティとは似ていなかった。


 小さな女の子は頬と鼻にそばかすがあり、藍色の髪をしており、その円らな、少し垂れた眼の奥には、パティと同じように七色の煌めきを宿していた。

「眼の光がパティと似ている。ロミオ、この子はパティだと思うか?」

「もしかしたら、パティの前世かも知れないよ」

 ロミオはアルが想像しなかったことを言った。

「前世……?」

「生まれ変われば記憶は消えるが、心の奥深くには前世の記憶は残っている者もいるんだ。夢で前世の姿が現れても不思議じゃないよ」


 その少女は、何かに怯えているように膝を震わせ、手で顔を覆って泣き始めた。

「君はどうして泣いているの?」

 アルは片膝を付き、優しく少女に寄り添い、嗚咽で震える肩にそっと手を当てた。

 少女は何の反応も示さず、そのまま泣き続ける。

「パティ、どうしたんだ?」

 アルは、パティの夢の中なので、例えこの子が前世の姿であろうと、そう呼んで通じるのではないかと推測した。

 少女は、ひっく、としゃくり上げ、驚いた顔でアルを見てきた。

「パティってだあれ? わたしはパティじゃないよ」

 結果的には、少女は泣き止んだので、少女をパティと呼んだことは正しかったと言えよう。


「それじゃ、名は何というのかな?」

「わたし、ネネ。ネネっていうの」

 ネネは言い、瞳をアルに向けた。

 ネネの瞳には、煌めく光が映り美しい。ネネは、ごく普通の顔立ちをした、普通の女の子だが、その瞳にはパティと同じような強い光があった。

「ネネ、どうして泣いていたんだ?」

「わたし……怖いの。だってわたしは、醜いもの」

 アルはネネが言ったことに眼を見開いた。


 少女がなぜそんなことをいうのかアルには理解できなかった。

 ネネは美しい少女とは言えないが、澄んだ瞳をした、ごく普通の愛らしい子だ。それに、パティは明るくいつも楽しそうにしていて、自分を卑下するようなことを口にすることなどなかった。

 前世の少女は、今のパティとは異なる性格の持ち主で、思いつめた考えをして生きてきた子だったのだろうか。


「なぜそんなことをいうんだ? 醜いなんて、そんなことはない。君はとても素敵だよ」

 アルは優しく、それでいて力強く言った。

「嘘よ。だってわたし……」

「自信を持って。君はとても綺麗な眼をしている。それに、僕が知っている君は、生まれ変わって、無邪気で可愛い天使になったんだ」

 アルの声には、聞いた者を心地良くする響きがあった。

「天使? わたしが?」

 ネネは驚いて瞳をぱちぱちとした。

「ああ、そうだよ。心が優しく、いつも晴れやかで、素敵な天使だ」

「わたし、天使になったの? 嬉しい」

 ネネは幸せそうに微笑んだ。

 しかしアルはなぜか、その笑顔を見た途端、疼きに似た胸の痛みを感じていた。


「大丈夫だから。安心してー」

 アルはネネの手を取ると、優しく言った。

「ありがとう」

 ネネは笑んで、消えた。

「パティ!」

「アル、大丈夫だ。もうグラシャスはいないんだ。パティは無事でいるさ」

 叫んだアルに、ロミオは落ち着いて言った。

「しかしパティが目覚める前にここを出ないとな」

 ロミオが言った矢先、無機質だった世界が再び変化した。


 薄暗かった空には青空が見え、三人がいる場所は野原となり、すぐ近くに川が流れていた。

「今度は地上みたいだな」

 野原には背の高い黄色い植物がさらさらと風に揺れ、その野原の中央に三人は立ち、風にそよぐ、実のついた植物を眺め、ロミオは言った。

 夢の世界に彩りが戻っていた。


(ここはネネの思い出の地だろうか)

 アルはパティの夢に彩りが戻ったことで胸を撫でおろし、その美しい風景に暫し魅入っていた。その植物の名は、確か、テフスと言った。テフスの生い茂った野原は不思議とアルの心を落ち着かせた。


「アル、あそこ、異空間の切れ目だ!」

 ロミオは空中を指した。アルはロミオが指差した先を見る。

 空中に、光の切れ目が浮いている。

「切れ目の位置が変わったのか」

 アルたちがいる地上から二十メートルほど上空に、その切れ目は浮いていた。

「ロミオ、何か策はあるか? どうやってあそこまで行く?」

 ロミオはアルに問われ、上空にあるそれを睨みつけた。

「うーん、どうするか……?」

 腕を組んで悩むロミオに、アルは不安を覚えた。

 じっと切れ目を見ていると、それは少し小さくなったような気がした。


「切れ目が小さくなってる」

 ジルが呟いた。

 グラシャスが現れてから様子がおかしかったので、ジルのことはそっとしておいた。ジルの瞳は普段とは違い、虚ろに見えたが、口調はいつもの彼だった。

 切れ目に気を取られていたが、いつの間にか周囲の景色が薄くなっていた。

「この世界が消えかかっているみたいだ」

 ロミオもその異変に気づいていた。いつも飄々とした彼の顔色が蒼褪めていた。

「どうすればいいんだ?」

 ロミオは額に手を当て、考えた。そうしている間にも周囲の景色は色を無くし、切れ目は更に小さくなっていく。

 色を無くし、消えかかった夢の中の景色を眼にしながら、アルは茫然と立ち尽くした。

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