60【洞窟の攻防】
洞窟のような穴の中は暗闇に包まれ、深くまで続いていた。
穴は人が一人ようやく通れるほどの狭さで、足元も見えない。アルは両手を壁に押し付け、ゆっくりと下って行く。アルの額には汗が滲んでいた。
いつ魔族が現れるか分からず、光の見えない暗闇をあてもなく下ることは、強い精神力の持ち主であっても心が消耗する作業だった。
アルはどれほど下ったかよく分からないが、数分ほど降りたところで、やっと下まで辿り着いた。
そこは、少し開け、ぼんやりとした光が僅かに灯っていた。
数本だけ燃えているのは、蝋燭の火だ。
その蝋燭の火の傍で、魔族グラシャスは青い眼でじっとこちらを見ていた。
「グラシャス、ここが隠れ場だな。もう逃げ場はない」
グラシャスは、己の体はほぼ幻を見せ、攻撃する腕だけを実物にしていた。他の体の部分は別の場所に隠して。
グラシャスの能力は幻を見せることと、それとは別に、体の一部を好きな場所に移動させることができた。
アルは剣を抜いた。
「鬱陶しい奴らだ。人の根城に土足で入りやがって!」
グラシャスは爪を伸ばし、アルに襲いかかった。
グラシャスは狭い洞窟の中で素早く動き、爪をアルの顔目掛けて突き出すが、アルは剣でそれを受け止めた。
ガキッ!
しかしアルはその衝撃で洞窟の端に追い詰められていた。爪は重く、アルは力を振り絞って剣に力を込める。
「くっ……」
グラシャスはにやりと笑い、爪を伸ばした。
アルは屈んで爪を避け、グラシャスの足を払ってバランスを崩させる。
その隙にアルは体制を整え、剣を振り下ろすーが、剣はグラシャスが飛び上がったので腕を少し切っただけだった。
ロミオは銃を取り、飛び上がって、灯りの当たらない場所に避けたグラシャスに向けた。
「撃てるのか?」
グラシャスはにやにやしながらロミオに問う。
「ロミオ!」
アルはロミオの肩を掴み、はらはらして言った。
「そうか。では俺が壊してやろう」
グラシャスが爪を下に向けた。
「俺は夢を壊せる! 俺が夢を壊した時、その夢の持ち主は死に至る! 俺は別の夢へ移ればいいだけだ!」
そう叫ぶと、グラシャスの爪はどんどんと下へ伸びていく。グラシャスはにやりと口の端を持ち上げた。
「ふん、これでお終いだ、この娘の命も! 夢に残されたお前たちも!」
ドン!
鈍い音が響き、銃弾はグラシャスの胸に当たった。
「この……人間如きが!」
グラシャスは、胸に銃弾を浴び、ぼたぼたと血を流していた。眼は充血し、立っているのがやっとのようだ。
致命傷だろう。だがまだ絶命には至らぬようで、はあはあと荒い息を吐き、爪をロミオの方に向けた。アルがロミオのすぐ後ろから飛び出し、グラシャスの胸を剣で突き刺した。
「ぐ、ああ……!」
アルは魔族の血を浴びた。
「俺を、倒しても無駄だ。どうせ、地上はもう、終わりだ……」
グラシャスは血を吐き、前のめりに倒れた。
グラシャスは最期の力でそれだけいうと、絶命した。
(どういうことだ?)
アルたちには疑問が残った。
命を落とした魔族の体は、その数秒後には皆の目の前からふっと消えた。
グラシャスが最期に残した言葉の真意は解らないままだった。
「アル、助かったよ」
「銃を撃って大丈夫なのか?」
アルは心配そうにロミオに訊ねた。
「ああ。銃弾は魔族の体に残ったから。この世界を傷つけなければ大丈夫だろう」
ロミオは確実に仕留められると確信したからこそ、グラシャスを撃ったのだ。
「それよりー」
ロミオは周囲を見回した。
洞窟の壁が歪み、揺れていた。地面も同じような状態だ。
「この洞窟は、グラシャスが作ったものだと思う。早くここを出よう。それに目的は果たした。パティも時期、目覚めるさ」
戦いを終え、ロミオは穏やかに笑んでいた。
アルは頷き、近くにいるジルを顧る。
ジルは壁の隅に寄り、アルの方を見ていたが、焦点が定まらず、アルと視線が合っていない。
「ジル?」
アルは怪訝な顔をした。
「ロミオの話を聞いていたか? ここを出るんだ、急ごう」
ジルは違うことを考えていた。
グラシャスが現れた時、ジルには契約のことは言わなかった。魔族の血の混じっているジルの魂は大して魅力的ではないのかも知れない。
だがジルは聞かされていた。
ロミオとグラシャスとの会話を。
(ロミオがオレといるのは研究のためー)
ジルは心が壊れていくような気がした。
ジルには元々両親はいなかった。彼らがどういう者なのか、生きているのか死んでいるのかも、何も知らない。
物心ついた頃にはジルは孤児院に入っていた。
孤児院の施設の寮長が魔族との混血児だとわかっていながら、ジルを引き取って育ててくれた。優しい人で、ジルにも普通の子と同じように接してくれていたが、三年前に寮長が病気で亡くなると、ジルは施設を追い出され、帰る家を失った。
野ネズミのように、その日食べるものを漁ったり盗んだりして暮らしていた。いっそのこと、もっと魔族の血が濃ければ、魔族として、マシな暮らしができるのに、と両親を憎んだ。
盗みを働きジルは城の牢に捕らえられた。
ロミオに会ったのはその頃だ。牢に入れられ、だがその罪を償っても、魔族との混血児であることがばれ、牢から出られず、数か月間牢で過ごしていたジルを、ロミオは自分が見張るという 名目の元、正式な手続きを踏んで牢から出してくれたのだ。
ロミオは、しかし愛情を持って接してくれているようにジルには思えた。
「オレ、人として生きていきたい。ずっと、ここでー」
ロミオと暮らして暫く経った頃、ジルは勇気を振り絞り、作業に没頭するロミオに声をかけた。
「ジルはどちらにもなれないよ。魔のものにも、人にも」
ロミオは何気なく言ったのだろうか。
それは少年の心を抉り、深く傷つけた。
こちらに来る資格などない、そう言われているようだった。ロミオは恩人ではあったが、心の距離を置く他なかった。だが心のどこかには希望があった。
ロミオは自分のために食事を作り、寝床を用意し、優しく接してくれていた。
『お前があの子を手元に置いておくのは研究のためだ。父親を殺した魔族を殺す道具を作るため』
それを聞いたジルの心は、硝子細工のようにばらばらと崩れていった。グラシャスのその言葉が全てだ。それがロミオの真実だった……。
訝し気にジルを見つめる二人に、ジルは自分でも無自覚に、冷めた眼をしていた。
「―わかった」
ジルはそれだけを言い、無表情のまま二人に着いて、出口に向かった。




