ホーリーと母親
中は薄暗く、先を行くホーリーの持つ
火かき棒でカンカン、と先の道を叩いて
確かめる音を頼りに進む。
排出口から大きな下水道へ。そこは幾分か光があった。
下水道内の壁に付けられたわずかな丸い蛍光灯が
ふたりの道をほんの少しだけ照らし出す。
そして、しばらく歩いて何度か
右へ左へ曲がった後、ある場所で
ホーリーは足を止める。
「ここよ。この地上への鉄梯子を上れば……」
上から格子状の影と月光が見えた。
ホーリーが先に上がっていく。
月明かりに照らされたホーリーの着る
薄い服が透け、彼女のシルエットが露わになる。
ハークはたった一度それを見て、理解した後
もう上を見ることが出来なくなった。
仕方ないので、目の前にある鉄梯子を見ながら
ホーリーにあとどれくらいかを問いかけながら
梯子を上った。
ホーリーが格子を外へと押し上げ、外へと出る。
ハークが外の世界へと目を向けた。
そこはゴミ捨て場とは縁のない活気あふれる
物理的にも精神的にも明るい町であった。
どこからも人の声とエネルギーが飛び交った。
夜に関わらず、おいしそうな食べ物が焼かれ
見たことのない金色の飲み物を口にする人々。
楽しそうに笑い、泣き、叫んでいる。
ハークは初めて見る光景に唖然とした。
「ハーク。こっちよ。早く」
「ま、待ってくれ、ホーリー。
ここが君の住んでいる所なのか?」
「そうよ。夜はこうしてみんな楽しく暮らしている。
楽しそうでしょう? 一度は行ったことあるわ」
ホーリーは活気あふれる街を一度だけ眺めた後
すぐさま歩き出した。
たどり着いたのは、ある住宅地に立つマンション。
コンクリート製で、6階建ての5階の角部屋。
ホーリーはノックもせず、そのまま扉を開く。
「ただいま」
喜びのない、ただ平坦な調子で、ホーリーは部屋へ入った。
ハークが後ろから追いかけると
ホーリーの背中がどこかうごめいているように見えた。
異様な動き。本来背中がバタバタと動くはずがない。
ひたひたと床を歩く足音が、段々ぐしゃりぐしゃりと変えていく。
大事そうに抱えていた日記帳が、握る手の力だけで
手のひらに収めて、床へとこぼれ落ちる。
ハークは直感した。
目の前を歩くおぞましいものを前にし今できる事を。
『ホーリーを止めなければならない』
『何としてでも』
ハークはその意志を持った瞬間から
前へと踏み込み、ホーリーの片手を引く。
その触感は、もう人間の腕ではない。
何かの動物。そう、鳥の足のようなものだった。
「待って! 待ってくれ! ホーリー!
それ以上行っちゃだめだ! 戻ろう!
今なら帰れる! レムザさんにも話すから!
ベルードにも頼んで、謝るから!
帰ろう! 帰ろうよ! ホーリー!
行っちゃだめだ! それ以上は――」
ハークの必死の言葉に、足を止め振り返る。
ホーリーは、目の前で自分の腕をつかむ小さな人間を
その人間の頭よりも大きく見開いた目で見つめる。
人間の目に映ったのは、鳥であった。
鋭く光る目。顔中に生える金色の羽毛。
口だった場所には、いびつであったが
ガチャガチャにひしゃげたクチバシ。
それを開くと、肉を引き裂くためにあるような
鋭く、それでいて二重三重にも生えそろった牙。
腕からは羽が生え始め、掌は強靭な鳥の足に変わっていた。
「あぁ、あぁ、あぁ」
ハークはただ目の前にいる少女ホーリーだった化け物の
腕だった物をつかんで離さないでいる。
「離シて。離しテ。ハナシテ、ハナシテ――」
化け物はそのまま部屋の壁にハークを叩きつける。
壁には衝撃の痕を残し、少年は意識を失った。
化け物は奥へと歩き出す。しかしピタリと止まる。
まだ、少年ハークは、掴んだ手を放していなかった。
「待って……、待ってよ……。
帰ろう、帰ろう、……ホーリー」
払おうとしても離れない。
化け物は何度も払おうとする。
何だこいつは。早く奥へ行きたいんだ。
離せ。離せ。
何度も振り払おうとする化け物の音に
奥から、ギギィーと軋んだ音を響かせながら
扉が開かれる。
「どちら、様……?」
* * * * *
「……ヒィッ?!」
扉の向こうから現れたのは、肌着一枚と
くしゃくしゃになったジーンズをはいた女性。
何日も手入れされずどこもクセがついた金髪。
頬は痩せこけ、目の下は影が出るほどくぼんでいる。
腕や足に包帯が巻かれ、腕は血がにじんで乾いた様だった。
「お母さん。お母さん。お母さん。お母さん――
お母さん。お母さん。お母さん。お母さん――」
化け物はゆっくりと女性へと歩み寄る。
女性はただ自分を母親と呼ぶ化け物がこちらへ
歩き出す様子に、ただただ恐怖で腰が抜けてしまう。
「待って。待って。ホーリー……」
「ホーリー……? ホーリーって言ったの?!
ホーリー? あなた本当にホーリーなの?!」
「お母さん。お母さん。お母さん――」
「やめて! 来ないで! あんたは! アンタは!
私の子じゃない! 知らないわ! アンタなんて!
私はアンタを生んでいない! 知らないわ!」
女性の言葉に、化け物は立ち尽くす。
目の前で、こちらを警戒し、震えながら後ずさりする。
そんな小さな存在が、知らないという。
「あ、あぁ、アぁ、あァアぁガァァアぁ」
化け物の目には、ボロボロと涙があふれ出す。
言葉にならない。もう人間の言葉ではない。
化け物は天へ向けて叫ぶ。
なぜ悲しい。
なぜこんなにつらいのか分からない。
けれど、悲しくて、悲しくて、
辛くて辛くて、泣いている。
化け物の身体は見る見るうちに変化していく。
細かった鳥の腕は、一回り二回りも肥大化し
指もそれに比例し、爪は先が鋭くなる。
ゆっくりと女性へと腕を伸ばしていく。
女性は近くにあるものをとにかく投げ続ける。
そうしながら、閉め切れていないカーテンのある部屋
どこにも逃げ道のない状態へとなった。
化け物はくちばしを開く。
鋭い牙が月光に照らされ、ギラリと光る。
くちばしが女性に向かおうとした時
まだつかんでいたハークが引き留める。
最後のあがきとばかりに、小さいながら引き留める。
化け物はとうとう少年を引きはがし、後ろの壁にたたきつけた。
もう一歩も歩けない状態にまで追いやったのだ。
化け物が女性へ振り向こうとする。
ようやくだ、言わんばかりに振り向いた。
すると、窓から差し込む月光が暗闇に変わる。
そこにはこちらを睨みつける狼の姿があった。
窓ガラスが中へと吹き飛ぶ。
化け物の身体が床へと自分よりも
重い力によって叩きつけられる。
「ヨォ、ホーリィー……。
夜ノお散歩ハ、楽シい?」
続きます




