クジラは空へと漕ぎ出す
【異形】
異なる形ということ。
『普通』とは違った姿形のこと。
――普通って何だろう。
私が普通って思えば、普通なのかな。
それじゃあ、私から見たら
みんな普通じゃないってこと?
--普通って、なに?
そう考えていた時期が
私の中では、一番辛くて
一番穏やかに暮らせていた
のかもしれない。
――とある手記から抜粋
――お前は、誰にも愛されない。
軋んだ音を響かせ、閉ざされる光。
古くも頑丈でビクともしない鉄扉を
私はただ眺めるしかなかった。
私へ飛ばされる言葉は
彼――私の父と語る男――から
一方的に与えられる。
例えどんな言葉となり
どんな意味を持ち
どんな意思があろうと
飲み込まねばならない。
* * * * *
ここは私の唯一の世界。
円柱の、石造りの、高い高い塔。
彼と同じ私なら、幼い日の私だったなら
まだ大丈夫。
けれど身体が変われば窮屈だ。
塔はふたつだけ外と通じる枠がある。
ひとつは目の前の鉄扉。
もうひとつは塔の天近くにある
小さな格子窓。
雨が降れば、格子窓ひとつから
ジャバジャバと流れ落ちて
私の足下を冷やす。
吹雪が起これば否応なく入り込み
私へ眠るようしつこく誘ってくる。
窓から聞こえるのは
動物の声でも、私と彼以外の
人間の声でもない。
風の音と雨の音。
そして、影も形もない
生きているのかすら分からない
私でも彼でもない、音のない誰かの声。
ふと、いつも私に語り掛けてくる
言葉が三つある。
――お前は愛されない。
――エド!
――ごめんなさい。
* * * * *
私には、名が二つある。
ひとつは幼き日に
母らしき人から名付けられた
『エド』という名前。
もうひとつは形式上付けられた
『アーロン』という家柄を表すだけの名前。
エドという名前はこの時、消えた。
母は死んだ。
私が生まれたのと引き換えに
死んだ、と彼は言う。
確証はない。
けれど、それを調べる手立てはない。
私はこの石造りの塔から出ることは出来ない。
壊して出る事も、天の窓へ登ることも
まして、扉から出ようとすることも、出来ない。
身体の小さな私では
窓まで登ることができない。
身体が大きくなっても
石造りの塔は頑丈で私を収める。
尾ひれで偶然ぶつけても
意識して打ち付けても壊れない。
そして何より
私の足、足だったものに付けられる
木製の枷があるから。
それに私は異形だから。
彼が言う通り、私は誰にも愛されない。
例えここから出ようとも、生きられない。
――無理だ。
悲しみに暮れた時
私の喉のシワは大きく膨らませ
天に向かって泣き、叫んでいる。
――助けて
* * * * *
私はある時、三つの希望を持った。
いや、描いてしまった。
いつからか生まれた三本ある腕の
その先にある一本ずつの指で数える。
ひとつ
私の母はまだどこかで
実は生きていると言うこと。
もし母が居るなら、助けてもらおう。
そうすれば、たとえ外に出た後に
生きていけるかもしれない!
ふたつ
彼は本当の父であるが
母の本当の夫ではないこと。
彼とは縁があるが、それはそれ。
母の本当の夫、私の父となってくれるはずの
その人がいる。きっと彼とは違って
優しくて、こんな私でも、異形の私でも
助けてくれるに違いない!
みっつ、私は『人ではない』。
『異形』ということ。
普通じゃない異形だからこそ
私はこうして殺されず
生かされ続けている。
異形である続ける限り
私はこうしてただ生きていくことが
できる。彼の言う通りに居ればいい。
外という恐ろしい所に出る必要はない!
そして私は何度も
三つの希望をたどっては
でも私は、何もできない、と
着地する。
その度に、三つの内の
一本の腕が無意識に動く。
茶色の剛毛におおわれた
長く太い強靭な腕が伸びる。
時折、私の意図しないときに動く。
石作りの塔を壊さんと
壁に叩きつける。
塔が壊れることはない。
私のその腕だけが
何度も何度も何度も
ちぎれては生え変わり
ちぎれては生え変わる。
壁に打ち付けようが、痛みはない。
「は、はは、ははは……」
そうして三つの希望を持つことを
ふと手放してしまった時
その腕はもう生えてくることはなかった。
* * * * *
――何年経ったか分からない。
分かることは、私が彼と同じような形を
成すことが出来なくなったということ。
手指はほとんど全て
一枚のヒレとなった。
足はほとんど消えた。
ちいさなヒレと化した。
足の代わりに尾びれが生まれた。
横に広がる、柔らかい尾ヒレ。
声が出せなくなった。
彼と同じ言葉を使えなくなった。
低く、塔を震わせるだけの声。
のどのシワがより深く
より分厚いものになり
声を震わせるたびに大きく膨らむ。
手狭になった塔の内壁によって
自分を圧迫してしまう。
私は声を出すのを止めた。
それから、ただただ
塔の中で変わることのない
ひたすら彼からの言葉を受け止め
ひたすら希望を持っては落とし
ひたすら声を出したくても出さない
そんな日々となった。
* * * * *
ある時、私の所に
知らない人が入ってきた。
痩せていて、茶髪で、若い男。
互いに驚いた。そして恐れた。
そう変わったのは
あの人がそこに現れたから。
あの人は、男へ迫る。
何か言っている。聞こえない。
それを伝えられた後に、彼はこう言った。
「はじめまして、アーロン様。
先程より当主様からあなた様の
家庭教師として務めさせて頂く
イチモと申します」
イチモと名乗った男は
少し震えていた。
寒いからではない。
私は直感した。
あの人に恐れたからだ。
私は喜んだ。なぜなら
私への恐怖ではなかったから。
だから私は、彼と話すのが
楽しくなった。
――私はようやく自由になれた。
石組の塔という水底から浮上できる!
私は今まで当然に思っていた地上から
身体を離して、空へと漕ぎ出した。
私にもこういったことができるんだ。
私は歓喜した。あぁ、あぁ、私は今、
今この時、私が私で居られるんだ、と。
でも、最後の最後で残ってたのは
そんな私を止めようとする
紛れもない、形のない『私』だった。
私を止める私は、ちぎれた。
泣きながら私に叫んでいる。
ダメなんだ。私には聞こえない。
もう、聞こえないんだ。
君の声は、もう私の声じゃないから
君は私の声をもっていく。
私は誰でもない、異形の私の声で叫ぶ。
「オール・ディール・クルフェクスト
(天は私を堕とし、私が天を射殺す)」
空へと飛び出した私は、外の世界へと飛び出した――
おはようございます
ここまで読んで頂きありがとうございます。
続きます
次話投稿予定は2021.6.28(月)です。
次話は未定です。決まり次第お伝えします。




