三章 安らぎの百合
気が付くと、窓から朝日が入り込んでいた。どうやらいつのまにか眠っていたらしい。目覚めた時間は午前九時。
(十時くらいに着くようにしたらいいかな……)
と思い、着替えて外に出る。
外に出ると風が心地よく、風景がきらびやかなものに見えた。いつもは意識してないだけに、意識していないところまでも目に付く。
(あ、あのカフェ結構いいじゃん)
とか、いろいろなことを考えているうちに、ノイシーが男に襲われた場所にたどり着いた。昨日のことがフラッシュバックしてきて、自然と苦い顔になる。
頭から嫌なことをふりきって、ヘヴィリリーの前にたどり着く。店の前には人だかりができている。人を押しのけて店の入り口を見ると、惨劇が起こったのだと、誰にも想像できる形をしていた。まず、扉と窓が体をなしてない。ぼろぼろでガラスも割れ放題。店の床も色んな液体でぐちゃぐちゃで、目も当てられない状態だった。店の中では、サラとサラの姉が店内を掃除していた。
サラの姉がノイシーを見つけた。一旦掃除の手を止め、ノイシーを中に入れるよう合図した。
それに応じるように、ノイシーは店内に入る。中に入ると、より一層惨劇の匂いを感じさせる。
「いらっしゃい。ごめんなさいね、こんなに散らかってて」
「あ、いえ」
「面接だったわね。待っててね」
手に持っていたモップを壁に立てかけ、カウンターの脇にある扉を開けた。
「ちょっと待っててね」
扉が閉められ、その扉の前でノイシーは立ち尽くしている。手持ち無沙汰なので、短髪の男性の方へと目を向けた。見れば見るほどハンサムで、俳優と間違えられそうだ。男性はノイシーの目線に気づいたのか、こちらを垣間見、すぐに掃除に移った。
ストイックなんだなぁ、と思ってると、扉が開けられる。
「おまたせ、さぁ、面接しましょう」
扉の奥へ入り、少し歩くと清潔な印象のあるリビングへと出る。随分清潔にされている。というより、この場合は殺風景といった印象を感じられた。部屋の中央に大きなテーブルがある。そのテーブルを挟んで、イスが二脚。
促されるままイスに座り、履歴書を取り出そうとする。
「あぁ、いいわよ、そういう硬っ苦しいものじゃないから」
「あ、はい」
出鼻をくじかれた感じだ。慌てて履歴書をバッグにしまい込む。
「じゃあ、えぇと、働きたいと思ったきっかけを教えて」
「はい、私はお酒が好きなので、その好きなことを仕事にしたくて、この仕事に就きたいと——」
「あぁいや、正直でいいわよ。それが正直な答えなら、私はそれを素直に受け取ります」
実際に、正直な理由はといえばお金が無いからだ。ただ、それを素直に言おうかどうかは迷いがある。しかし、こう言ってくれていることだし……ノイシーは正直に話すことにした。
「…………私、大学を卒業してから職に就いてなくて遊んでて、それで、遊ぶお金がなくなってしまったので…………」
「そう、それならそれでもいいわよ」
話している最中は目を伏せていたが、ふと目をあげると、優しそうな笑顔が見えた。
「そうね……まぁ、うちは面接までいったらその時点で合格なんだけどね」
「え、本当ですか?」
「えぇ、本当よ」
なんだかとても呆気ない。もっと色々聞かれるかと思ったが。でもまぁ、ここ働けるなら、理由はどうだっていい。この人の言葉に甘えよう。
「じゃあ、また、明日の同じ時間に来てね。そこでまた説明します」
トントン拍子に話が進んでいく。
(こんなんでいいのかなぁ。なんか、思ったよりゆるい感じ)
「折角だから、一杯だけ飲んでいく?」
「え、いいんですか? あ、でも、お店があんな状態だし……」
「大丈夫よ、もう終わってるはず」
リビングからバーへと出ると、床のガラス破片が綺麗に片付けられている。テーブルやイスも、以前見た並べ方だ。
面接にかかった時間は体感で五分未満。そのわずかな時間で掃除を終えたのだろうか。
昨日と同じくカウンター席に座る。カウンターの向こうでは、必要な道具を取り出している様子が見えた。
「言い忘れてたけど、私の名前はアリシアって言います。これからよろしくね」
「あ、はい、よろしくお願いします。私はノイシーって言います」
アリシアは、手馴れた手つきで材料をシェイカーに入れる。そして、流麗な動きでシェイクを行う。昨日はカクテルを作る所は見えなかったが、今はゆっくりと見ることが出来る。
見とれていると、カクテルがグラスに注がれ、ノイシーの前に提供された。
「このカクテルはダイキリっていうのよ」
ダイキリという名前は聞いたことがなかった。しかし、飲んでみるとスッキリとした口当たりで、ノイシーの好きな味だ。これをゆっくり時間をかけて味わうのが大人の楽しみなんだろう。そう思いながら、少しずつグラスを傾ける。
ここで、ノイシーが疑問に思っていることを話し始める。
「あの、なんかあったんですか?あれだけ荒れてて……」
アリシアは、少しの間を置いた後、ゆったりと話し出した。
「昨日ね、強盗が来たのよ。警察に言いますって言ったら大暴れしてね。大変だったの」
「何人かで来たんですかね……」
「そう、三人で来たの。まぁでも、そこにいるジェイコブがなんとかしてくれたけどね」
と言って、ジェイコブと呼ばれている男性の方を向く。ジェイコブは何も言わず会釈するだけだった。
話し込んでいるうちに、ダイキリを飲み終えた。
「これで、明日から頑張れそう?」
アリシアが優しく語りかける。
「はい。明日、午前十時にまた来ます!」
そして、ヘヴィリリーを後にした。
家に帰ってきた。ようやく仕事が見つかった安心感でいっぱいだ。気分がいいので今日もピザを注文しよう。そう思い、携帯電話を手に取った。
(…………一応、報告だけはしておこうかな…………)
相手をピザ屋から友人に替え、電話を掛ける。
「もしもし、仕事見つかったよ! ……うん、バーで働くことになったの。……うん、そうそう。お酒飲むところ。……あはは! お酒好きだからねー。よかったら来てよ、ニューヨークに。……え? バーで人前に出れるのって時間かかんの? ……へー。なんか大変そう。……あはは、私がやるんだもんね。……うん、じゃあまたね。カクテル作れるようになったら来てね。うん、それじゃあねー」
友人との会話を終え、携帯電話でカクテルについて調べる。
(へぇー、こんなに種類あるんだ。覚えきれるかな……)
色々と調べてみた。多少の不安は覚えたが、仕事なので割り切る。
試しにコークハイ以外のカクテルを作ってみようと思った。なので、また外に出て、酒屋に行ってみる。
酒屋に着くと、見たことの無い酒が沢山あった。
(なにこれ……? ライチリキュール……? ……こっちは……薬草の味……? 何言ってるんだろう……)
理解が及ばないところはあるが、とりあえずいくつか見繕ってそれを家に持ち帰る。
家に帰って、早速カクテルを作ってみる。
(とりあえずジントニックを作ってみようかな)
氷をグラス目一杯に入れ、買ってきたジンを少なめに入れる。そのあとにトニックウォーターを多めに入れる。マドラーが無いので代わりにスプーンでよく馴染むように「かき混ぜる」。
出来上がったので飲んでみた。
(…………炭酸抜けてんじゃん…………こういうものなのかな…………)
ノイシーはあまり理解していないようだ。普通、「かき混ぜる」というのは炭酸が含まれる飲料では使われない。かき混ぜると炭酸が抜けてしまうということは知らないようだ。
(んー……今度は炭酸使わないやつやろうかな……)
次はジン・オレンジを作ろうとした。ジンとオレンジジュースを混ぜるだけなので、ノイシーでも出来るだろう。
(あ、これ美味しいかも)
上手くできた。ジン・オレンジはなかなか美味しい。
(せっかくだから、買ってきたお酒でなんのカクテルできるか作ってみようかな。)
今の時刻は午後一時。まだ昼だ。今日はお試しだから、作るだけ作ってみよう。
(…………あれ…………今六時じゃん…………)
気づいたら寝ていたようだ。がばがばと酒を飲んでいたせいで気分が悪い。
酒の入っていた瓶が一箇所にまとめられている。それをやるだけの理性は残っていたようだ。
(…………頭痛い…………今日寝れるかな…………)
ふらふらと立ち上がり、ベッドに横になる。変な姿勢で寝ていたせいで、色々なところが痛い。
(あー…………寝れないかも)
でも、気分が悪いのには変わりないので、一応目を閉じてみる。
気がついた時には、朝日が窓から差し込もうとしていたところだった。