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ただのきろく

――哲也はドライブレコーダーの映像を見ていた。

車には、彼の妻と娘の高橋たはし 奈緒なお高橋たかはし 静音しずね、そして後輩の妻の鹿島かしま 律子りつこが乗車していた。

映像からは他愛もない会話が聞こえてくる。


「ウチの旦那ったらさ、ホントに相手するの、大変なのよぉ。」

この声は律子だ。


「何がよ?」

笑いながら、奈緒が答える。


「洗剤とか詰め替えする度に『俺の詰め替えはレボリューションだ!』とか叫ぶし、夕食の準備をしてる横で『今夜はお楽しみ~♪』とか歌い始めるし。」



「あら、あら。仲の良いこと。」



その言葉を聞いた律子は、頬を膨らまして後部座席に振り返る。

「静音ちゃんも、将来結婚する相手はちゃんと選ぶのよ?変な相手だとすごく苦労するんだから。」



「うん。わかった!」

あどけない表情で答える。



はぁ~、やれやれ。りっちゃん、また静音に変なことを吹き込んでる。と思いながら奈緒は運転を続けた。




 道路の真ん中に、突然黒い影が浮かび上がる。 


「っ」


運転している奈緒は、驚いて大きくハンドルを切った。

車は大きく右に逸れ、ガードレールに突っ込む。その凄まじい衝撃が車内を伝い、先ほどまでのほのぼのとした風景から一転、地獄絵図と化した。


ガードレールにぶつかった衝撃で、エアバッグが作動し、奈緒は頭を強く打ち、意識が混濁する。律子は、衝撃でシートベルトが外れて外に投げ出された。

後部座席にいた静音は頭から出血しながらも、意識を保っていた。



「お母さん...」

静音は母に声を掛けるが、母は反応がない。

子供ながらも、流石は刑事の娘。救急車と警察と呼ばなきゃ、携帯電話を探してポケットをまさぐる。こういう時に限って、なかなかポケットから出せない。携帯をポケットから出そうと悪戦苦闘する中、突然黒い手が運転席にいる母を襲った。


「ひっ」



その黒い手の蠢きが、目の前で母の顔を、体を覆っていく。

プルプルと痙攣しながら、黒くなっていく。

朱と黒がひとしきり混じったあと、”そいつ”は車内に入り込んできた。



「いやっ...」

”そいつ”が自分の皮膚に触れた瞬間、半田ごてをつけたような、焼けるような感覚に襲われる。

黒光りした虫たちは、払っても払っても、押し寄せてくる。

いつの間にか耳に虫が入り込んだのか、ザリザリという音が聞こえる。

段々と、鼻に口に入り込んだ虫たちは、少女の肉を生きたまま貪り出す。


静音は悲鳴を上げようとするが、喉を既にかじられているせいか、乾いた空気の音しか出せない。

胸が、頭が、目が、耳が、鼻が焼けるように痛い。

ばたばたとうるさい音も、段々と静かになる。

数分後、後部座席のドアが開閉する音を最後に、映像は止まった。



 映像が停止してからも無言で、映像を見続けている哲也に、課長は声を掛ける。

「もういいか...?わかったら後はほかの捜査員に任せて、家に帰るんだ。」



「...わかりました。」

そういうと、哲也は車から降り、自宅ではなく、鹿島の居る病院へと向かった。


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