7.牝牛の誘惑
7.牝牛の誘惑
「なーおーみー」
教室に入るやいなや、バッチリメイクの裕子と亜理沙が近寄ってきた。
「昨日風邪だってえ?大丈夫?」
「ん、まね」
心配そうに聞いてくる亜理沙。
「カラオケでハッスルしすぎたんじゃないのお?」
と、亜理沙とは対称的に茶化す裕子。
一日休んだ学校。
当たり前だけど、一昨日と何ら変わりはない。
拓也とは、下校は一緒にしているけれど、登校は別々の方が多い。
朝の待ち合わせって、何故か上手くいかないのだ。
だから今日も例外ではなく、私は一人で教室に入った。
「隣のクラスに聞いたんだけどさ、今日数学で抜き打ちテストがあるらしいよ」
裕子が思い出したように言う。
「え!まぢ?!」
「数列の公式チェックらしい」
「最悪う」
亜理沙も私も。
数学は大嫌いだから悲痛な声をあげた。
何気無い、ありきたりな、いつも通りの会話。
あと少しで朝礼が始まる。
一日しか休んでないんだもん。
何も変わってたりなんかしない。
ふと、そんなことを言い聞かせている自分に気付く。
まだ、本調子じゃないのかな。
その時だった。
「えー!拓也くんって超可愛い!」
嫌でも耳に入ってきた、色気付いたあの猫撫で声。
声の方に私たちは顔を向けた。
そこには、拓也と、拓也の腕に抱きつくように腕を絡ませた柴山さんが、楽しそうに話しながら教室に入ってきていた。
「…柴山」
呟いた裕子の声は、何処か毒気を含んでいる。
「そうだ、尚美」
亜理沙が声を落として私を呼んだ。
「昨日さ、尚美いなかったでしょ」
「ん」
「そしたらさ、柴山さんが」
その次は大体予想ができた。
「木高に結構積極的に接近してたんだよね」
亜理沙に、裕子も頷く。
「そーそー。しかも昨日の今日で、もう『拓也くん』だし?」
裕子は言いながら、睨んでいるとも言えるような強い視線を、拓也と柴山さんに送った。
拓也と柴山さんは、まだ二人で楽しそうに話している。
「…そっか」
その時、柴山さんが拓也にギュって抱きついて。
それを見た途端何故か胸がチクって痛んだ気がして、思わず目を反らした。
「尚美…」
キーンコーンカーンコーン。
裕子が何か言おうとしたが、同時にチャイムが鳴り、私はまた後でとだけ言って、自分の席についた。
「よっ。調子どうよ」
ポンと私の頭に手を置いて、拓也が聞いてきた。
今日初めて交す会話。
それは、柴山さんとのよりも後のもので。
頭に置かれた手を、軽く叩いた。
「尚美?」
少し驚いたような拓也の声。
「…調子はどうかって?」
私はゆっくりと拓也の方を向く。
「お陰さまで。もう最悪よ」
多分私は、今物凄く機嫌の悪そうな顔をしてる。
先生が入って来て、拓也は渋々自分の席に戻っていった。
柴山真理子。
ミルクティ色の長い髪を弛く巻いて、真っ赤なリボンで二つに結っているその姿は、まさにプリンセス。
学年一の巨乳とは彼女のこと。
遊んだ男は数知れず。
その大きな胸に泣かされた馬鹿犬どもも数知れずだ。
飯より友よりまず男。
柴山さんとは、そういう女の子だ。
そんな彼女を快く思っていない女子は、多分かなりいる。
亜理沙も私も、あまり好きじゃないけど、裕子は好きじゃないなんてもんじゃない。
裕子は、以前彼氏を柴山さんに盗られたことがあるのだ。
ちょっと喧嘩をしている間に、柴山さんは上手く裕子の彼氏を寝盗ったらしい。
まあ彼氏の方も浮気癖があったのかもしれないけど。
その時の裕子は、もう見ているこっちも辛くなるくらいショックを受けていた。
色を抜いた赤い髪と、常に完璧な化粧という、少し派手めな裕子の外見からは想像もできないほど、彼女はめちゃくちゃ純だったりする。
だから裕子は、別れた後も、なかなか彼氏の携帯のアドレスを削除できなかったらしい。
これはあくまでも、私の推測に過ぎないけど。
もしかすると、今でもその彼氏を忘れられずにいるのかもしれない。
そして。
柴山さんに対しての恨み。
それはあの時から少しも薄らいでいないってことだけは確か。
裕子と柴山さん。
二人はまさに、犬と猿。
二人の仲が修復する日は、たぶんずっと来ないような気がする。
「尚美」
呼ばれて我に帰ると、音楽の用意を手にした裕子と亜理沙が立っていた。
「朝礼、もう終わってるよ?しかも次、時間割変更で音楽だから移動だし」
「ぼーっとしちゃって。大丈夫?」
前の壁に掛けてある時計を見ると、あと二、三分で一時間目が始まろうとしていた。
「ごめん、先に…」
「拓也くーん!急がないと遅刻だよお?」
聞きたくないあの猫撫で声。
拓也くーんって言葉にどうしても反応してしまう私は、多分病み上がりだからだと思いたい。
「柴山。別に先に行ってくれてていいから。遅刻しちゃ悪いし」
大半が出ていった後の人の少ない教室に、拓也の声が響く。
「嫌だ嫌だあ。マリは拓也くんと行きたいのお」
因みに、マリってのは柴山さんの自称。
自分のことを名前で呼ぶあたり、かなりキテると思うんだけど。
何故かそれに男子は引っ掛かっちゃうんだよね。
だから、ほら。
「拓也くん、マリと一緒に行こ?」
「…はいはい」
拓也だって例外じゃないでしょ。
朝礼が始まる前と同じように、柴山さんは拓也の腕に自分の腕を絡ませて、教室から出ていった。
「…尚美」
「ほら、二人とも!私たちも早く音楽室行こう!」
何か言いかけた亜理沙を、私の無駄に明るい声が遮る。
心配そうに顔を見合わす二人の腕を引っ張って、私は教室を出た。
何も気にしていないよって、いつも通りの笑顔を張り付けて。
そうだよ。
実際、拓也と柴山さんが一緒にいたって、そんなこと私には関係ないことじゃない。
『尚美と木高がデキてるって思っちゃってるわけ』
皆、間違ってる。
勘違いもいいところ。
拓也は、私の幼馴染み。
私は、拓也の幼馴染み。
ただそれだけ。
それ以上でも、以下でもない。
拓也と私がデキてるなんて。
そんなこと、あるわけないじゃない。