6.蛸は壺の中で
6.蛸は壺の中で
カラオケでのことが気になって、夜にお風呂の中でなんとなく考えた。
拓也と私の関係。
考えたって、どうにかるわけないのに。
そう分かっていても、頭の中はそのことで一杯だったから。
少し熱めのお湯の中で。
白い蒸気に包まれながら。
そしたら知らない間に眠ってしまったらしくて。
「ぶえっくし!」
自分の大きなくしゃみで目を覚ます。
もうすぐ夏だというのに風邪をひきました。
「鼻水でるう」
枕元に置いてあるティッシュを一枚とり、ぶーっと思いきり鼻をかむ。
ゴミ箱にそのティッシュを捨てる時に、ふと時計を見ると、もう夕方の四時を軽く過ぎていた。
共働きの母が用意していってくれた昼食を食べたのが十二時半。その後すぐに寝たから、三時間は寝ていたことになる。
「もう学校終わったかなあ」
段々と長くなる昼に、まだ窓の外は明るくて。
いつもなら、今頃拓也と帰り道を歩いている頃。
今日は、拓也は誰とあの道を歩いているんだろう。
『木高がうちのクラスでは一番人気なんだよ』
昨日の裕子の声が頭をよぎる。
今日は私がいない分、拓也の隣はフリーなわけで。
私がぐうすか寝ている間にも、もしかしたら何人かが拓也にアプローチしていたかもしれない。
「…って何考えてるんだ、私」
やっぱり昨日から、どうも調子がおかしい。
拓也がどんな女の子と仲良くしたって、そんなこと私には関係ないじゃない。
テストもあったし。
疲れてるのかな、私。
もう一眠りしようと横になりかけたとき、
ピーンポーン。
機械的なチャイムの音が私しかいない家の中に響き、誰かの訪問を知らせた。
誰だよ、こんな日に。
出たくないな。
髪はセットしていないからボサボサだし、服だってヨレヨレのロングTシャツにジャージっていう、女子高生にあるまじき姿。
ええい、いいや!
無視しよおっと。
どうせ新聞の勧誘か何かでしょ。
そう決心して布団の中に潜り込む。
再び目を閉じた。
が。
ピンポーンピーンポーン!
「…」
ピンポーンピンポーンピーンポーン!
「…」
何度も鳴らされるチャイム。
めちゃくちゃ怖いんですけど。
ピーンポーン。
最後に一回鳴ったのを聞いて、私は仕方なく立ち上がり玄関へと向かった。
つっかけを足にひっかけて、ガチャリとドアを開ける。
「よお」
そこには、ケーキの箱を手にした拓也が、いつもの笑顔で立っていた。
拓也を家に入れ、私の部屋へと案内する。
「ちょっと待ってて。今何か飲み物持ってくるから」
「あーいいって。コンビニで午後ティも買ってきたからさ」
ケーキの箱の陰になって見えなかったけど、小さなコンビニの袋もあることに気が付いて。
そんなところにも、拓也の気遣いが感じられた。
でも結局お皿とフォークは取りに行かなきゃ駄目だったけどね。
「てかお前居留守使おうとしただろ」
ケーキをつつきながら拓也が言った。
拓也が買ってきてくれたケーキは、この前一緒に食べに行ったあの店のものだった。
「そ、そんなことないよ」
「出るの遅すぎだし」
「仕方ないでしょ?!こんな格好じゃ」
「ふーん。やっぱり居留守使おうとしたんだ」
勝ち誇ったように、拓也は口の橋を上げる。
「だって…ジャージだし、髪だってボサボサだし」
言いながら、私は所々撥ねたままの髪を撫でつけた。
「ぷっ。尚美でもそおいうの気にするんだ?」
「なっ!どーいう意味よお?!」
「別にいー」
言いながら、拓也は大きく口を開けて、残りのケーキをペロリと呑み込んだ。
「尚美は、どんな格好でも可愛いと思うけど。俺は」
「?!」
いきなりの拓也の言葉に、顔が熱くなるのを感じた。
「尚美茹で蛸ー」
そんな私を見て、面白そうに笑う拓也。
「なっ!拓也がいきなり変なこと言うからでしょ?!」
とか一応反抗してみるものの、それはなんの効果ももっていなくて。
「っいで!」
ちょっと悔しかったので、ニヤニヤと笑い続ける拓也にデコピンを一発お見舞いしてやった。
「…いってー。暴力反対!」
おでこを撫でながら涙目で抗議してくる拓也。
「ふん!」
そして、まだ顔の熱は治まらない私。
でもなんとかこの場は上手くやりすごした。
駄目だ私。
完全に拓也にペース狂わされてる。
その後、今日の授業の内容とか課題とか、ありきたりな話を結構して。
気が付くと日がすっかり落ちてしまっていた。
「じゃあそろそろ帰るわ」
言いながら立ち上がった拓也を玄関まで見送る。
拓也の家はすぐ向かいにあるから、もう少し長くいても大丈夫なんだけど。
遅くなりすぎると迷惑をかけるかもしれないという、拓也なりの礼儀なのだ。
ドアを開けると、暗い中で切れかけの街灯がパチパチとしているのがやけに目についた。
「明日は学校行くから」
「おう。やっぱさ、お前がいねえとつまんねえし」
ドアを開けながらニカッと笑う拓也に、私は本日二度目の茹で蛸になった。
「あ、鍵、ちゃんと閉めとけよ」
「え、あ、う、うん。わかってる!」
私、カミすぎ。
「今日は本当ありがと。ケーキもすごく美味しかった」
「あ、そうだ」
私の言葉に、拓也は何か思い出したようにまた私に向き直った。
「ケーキ、柴山にも礼言っといて」
「え?」
なんでここで柴山さんの名前が?
「あのケーキ、柴山も一緒に選んでくれたんだよ。だからさ」
え。それって…
「拓也、今日柴山さんと一緒に帰ったの?」
無意識の内に口に出た疑問。
言ってから後悔しても、もう遅い。
「まあな。柴山から誘ってくれたからさ」
全く嫌な素振りを見せない拓也。
「じゃ、また明日な」
何か言う代わりに、私は軽く手を振って拓也を見送った。
バタンと、やけに大きな音を立てて閉まるドア。
『柴山から誘ってくれたからさ』
普通に話す拓也にとっては、多分それは何でもないこと。
だけど。
私はこの時、何故かすごく嫌な予感がした。