4.夢と落書き
4.夢と落書き
三時間目、窓の外からは心地好い光が降り注ぎ、私は窓際の一番後ろの席で、激しく睡魔に襲われていた。
今は日本史で、うるさくしないかぎり怒られないということもあり。
真っ白なノートがやけに眩しくて。
私はゆっくりと机に突っ伏した。
「メールしてよね」
「ああ」
「電話もしてよ?」
「わかってるよ」
拓也の手には、大きな荷物。
美奈の目からは、涙が今にも溢れだしてしまいそうだった。
私は何も言うことなく、ただ横からその光景を見ていて。
間も無く発車すると、ホームのアナウンスが流れた。
「困ったことがあったら絶対連絡してね」
「ありがとう。二人もこっちに遊びに来いよな」
言いながら、拓也はゆっくりと電車へと乗り込んだ。
「うん!絶対行くから」
美奈のその言葉に、拓也は安心したように目を細めた。
それを見た美奈がこちらにくるりと向く。
「尚美!尚美も何か言いなよ!もうすぐ拓也遠くに行っちゃうんだよ!」
拓也が遠くに行く。
それがどのようなことなのか、なんとなくだけど分かる。
もう、会えなくなるんだって。
でも、私は何も言うことができなくて。
「尚美!」
美奈の急かす声が耳を貫く。
そんな美奈を、拓也は静かになだめて。
「尚美、美奈と仲良くしろよ」
拓也は優しく私の頭を撫でた。
「じゃあ、元気でな」
プシューという音をたてて、電車の扉が閉まった。
「拓也…」
私の口から出たのは、本当に情けないくらい弱々しいもので。
「拓也…!」
私は必死で、走り出したその電車を追い掛けた。
「尚美!」
後ろから、美奈が呼ぶ声が聞こえる。
それでも私は走り続けて。
「尚美!」
拓也、行かないで。
「尚美…尚美!」
私を、置いていかないで。
「尚美!」
「…尚美…尚美ってば!」
「…ん」
呼ぶ声に目を開けると、前の席の友達が私の腕を軽く揺すっていた。
「もー!起こしても全然起きないんだから。もう四時間目始まるよ」
「え」
慌てて体を起こすと、教壇には日本史の先生ではなく、現国の先生が立っていて。
チャイム、全然気が付かなかった。
「…あれ?尚美、泣いてるの?」
「え?」
言われて頬を触ると、確かに少し濡れていた。
「どうしたの?怖い夢でも見た?」
「…う、うん。そうみたい」
起こしてくれてありがとうとお礼を言うと、友達は軽く笑って前を向いた。
怖い夢?
今見ていた夢を、はっきりと思い出せない。
でも、なんだかひどく寂しい夢だった気がする。
泣いてしまうくらい、悲しい夢だったような気がする。
私は涙を拭い、現国の授業に集中しようと、広げっぱなしだった日本史のノートを閉じようとした。
が。
「…」
真っ白だったそのノートには、可愛らしいウ○コちゃんが右のページいっぱいに大きく描かれていて。
あは。
なに、このウ○コちゃん。
大体犯人は予想がついたが、今は授業中。
黙ってそれを消そうと消ゴムを手にしたとき、ふと視界ギリギリのところで私を見て笑ってる奴の姿が目に入り。
拓也も一番後ろの席で。
私と拓也の間には、二つの机を挟んでいるが。
そんなこと構わずに、私は手に持っていた消ゴムを拓也のおでこに向かって思い切りなげてやった。
「いってえ!」
みごとそれが的に命中し、拓也が少し大きめの声を出す。
「木高くん!何騒いでるの?!」
そして黒板を書いていた現国の先生に怒られる拓也。
ふん。いいきみ。
「違うって先生!尚美が消ゴム投げてきたんだよ!」
「なっ!」
いきなり名前をあげられ、びっくりして立ち上がる。
「拓也がノートにおっきくウ○コなんか描くからでしょ?!」
私の言葉に拓也も立ち上がった。
「は?!そっちがグースカ寝てるから悪いんだろ!」
「寝てるからって女の子のノートにウン○なんか描く?普通!高校生にもなって恥ずかしい。小学生かっつーの!」
「ふん!誰が女の子ですかー?女の子はなあ、そんなデッカイ声でウ○コって連発したりしませんー!」
「はあ?!なんですっ」
バン!
大きな音が突然響き、ピタリと喧嘩をやめる拓也と私。
前を見ると、教卓に手をついて現国の先生がワナワナ震えていた(たぶん怒りで)。
やばいな、こりゃ。
「木高くんに、宮崎さん。二人とも、廊下に立ってなさい」
「…はい」
二人同時に返事の声を絞りだし、ゆっくりと廊下へと出た。
「あーあ、怒られちゃった」
私は壁にもたれながら言った。
「あんなキレなくてもいいのになー、あの先生。だからいくつになっても結婚できないんだよってね」
「先生に聞こえるよー?」
「聞こえねえよ」
笑いながら拓也が言った。
私達以外は誰もいない、静かな廊下。
窓から入ってくる光は、やっぱり心地の良い眩しさで。
なんだかこのまま、拓也となら死んでもいいかな、なんて思った。
「ねえ、拓也」
「ん?」
「さっきはごめんね」
「いいよ。俺も悪かったかもしれないし?」
「うわ、なにそれ」
二人、壁にもたれて笑う。
その時に軽くお互いの手が触れて。
どちらからともなく、手を繋いだ。
それはなんだか懐かしい感覚で。
「手、あったかい」
まだ少し肌寒い五月。
ずっとこうやって一緒にいられたらいいなあなんて。
そんなふうに思った。