26.出口の無い不安
26.出口の無い不安
補習最終日。
学校に行きたくないな、なんて。
朝起きたとき何故かそんなことを思った。
それがどうしてかなんてわからなかったけど、やっぱり昨日の拓也の反応が引っ掛かっていることは確かだった。
おかしな態度。
おかしな反応。
昨日私がいなかった拓也の空白の時間に、何かがあったんだ。
きっと。
私には言いたくない何かが。
「おはよ、尚美!てか聞いて、ビッグニュースよ!」
教室に入るなり裕子が駆け寄ってくる。
もちろん隣には亜理沙が。
「おはよ裕子。亜理沙、仲川とよかったね。」
私の言葉に亜理沙の顔が一瞬で赤くなる。
相変わらず可愛い子。
「私のことはいいの!」
「尚美、真剣に聞きなって。」
「なに、どうしたの二人とも。」
そんなに興奮して。
そんなに大変なことがあったのかな。
「あそこ、見て。」
裕子が目線を動かして示す。
私は言われるままにそちらを向いた。
「柴山さんの、席?」
そこにはまだ主が来ていない空っぽの机と椅子。
柴山さんの席。
「今日、多分来ないよ。あいつ。」
あいつ、というのはもちろん柴山さんのことで。
「でも柴山さんの遅刻なんていつもの…」
柴山さんの遅刻がどうしてそんなに大事なんだろう。
「違うの、尚美。そうじゃないの。」
亜理沙が首を横に振る。
「フラれたんだって。」
「え?」
「拓也が柴山さんをフッたらしいよ、昨日。」
私は再び柴山さんの席を見た。
周りをみると他の生徒たちもちらちらと柴山さんの席を見ていた。
もう噂は多くに広がっているらしい。
「でも、そんなの、ただの噂かも」
「そうでもないみたいなの。」
私の意見を亜理沙が遮った。
「実際にその現場を見たって子がいるんだって。」
キーンコーンカーンコーン。
ここでチャイムが鳴った。
「また後で」と言って裕子と亜理沙が席に戻っていく。
先生が入ってきて挨拶をして席についた。
出席をとっている間、私はぼおっと拓也の方を見た。
拓也はギリギリに教室に入ってきたようで、今は鞄からペンケースなどを取り出していた。
昨日亜理沙と仲川を見ていたあの間。
拓也がいなかったあの時。
きっと拓也は柴山さんに呼び出されていたんだ。
柴山さんはどんな言葉で拓也に想いを伝えたのだろうか。
拓也は本当に断ったのだろうか。
ふいに拓也と目があった。
優しく笑ってひらりと手を降ってきた。
私はなんとなく笑ってから窓の方を向いた。
いつもと変わらない拓也。
だけど状況は昨日から大きく変わっていて。
結局、先生が名前を呼んでも、柴山さんの返事はかえってこなかった。
******
「じゃあ尚美は柴山が泣いてるの見たんだ?」
お昼休み。
バナナ・オレを一口飲んで裕子が言った。
手元にあるサンドウィッチはもう半分ほどなくなっている。
「うん。トイレから出てくるところだったんだけど、目が赤かったから…。」
――あんただって違うんだから――
あのときの柴山さんの赤い目が頭の中に甦る。
私はお弁当に入っている肉ボールを割り箸で突き刺した。
「仲川と亜理沙がくっついてる間にそんなことがあったなんてね。」
「私のことはいいから!」
裕子の言葉に本日二度目の亜理沙の赤面。
それを見て私と裕子が笑う。
「宮崎ー」
急に名前を呼ばれて箸を止めた。
ドアに近い席の男子がこちらを向いている。
私は裕子と亜理沙に「ちょっとごめん」と断ってから席を立った。
「どうし」
「おせぇよマナイタ」
ムカつく声と呼び方。
「うわ、聡。」
廊下の壁に凭れるようにして立っている河本聡。
どうやらこいつが私をよんでいたらしい。
私は廊下に出て聡の横に立った。
「うわ、て何だよ。」
「べつにー」
「俺が直接会いにきてやったんだからもっと喜べ。」
「は?だれが。あんたのその無駄な自信は一体どこからでてくるわけ?」
「無駄ってなんだよ、無駄って。」
「で、何の用よ。」
やっぱりムカつく奴だ。
ドリームパークでカッコイイだなんて思ったのはきっと何かの間違いだな。
「あ、そうそう。今日の放課後あけとけよ。」
「はい?」
「どうせ暇だろ。」
はは。
なんだこいつ。
「光太がどうしても裕子ちゃんと喋りたいらしくてさ。」
なるほど。
「…亜理沙は行けないよ。」
祐樹先輩には悪いけど。
もう亜理沙は仲川のものだし。
「わかってるって。祐樹もそんなに執着する奴じゃな」
「尚美!」
聡を遮るようにしてその声が耳に入った。
私を呼ぶ声。
「拓也。」
いつもの笑顔。
拓也は駆け寄ると私の手首をぐっと掴んだ。
「たく、や?」
「今から自販に行くんだけど尚美も一緒に来いよ。」
手首を掴む手に力が入る。
「お前、この前の幼なじみじゃん。」
対して露骨に嫌そうな顔をする聡。
「どうも。先輩。ほら尚美、行くぞ。」
「え?ちょっ、拓也?」
半ば無理矢理手を引っ張られて歩き出す。
拓也の顔にはやっぱり笑顔が貼り付けられていて。
「マナイタ!後でメールするから!裕子ちゃんにも伝えといて。」
聡の声を背中に受けて。
私は返事もできずに拓也にただ引っ張られていく。
ぐいぐいと腕が痛い。
「拓也?」
呼んでも振り向いてくれない。
拓也は今どんな表情をしているんだろう。
それすらも分からない。
「ねえ、拓也てば!」
ぐいぐいぐい。
指が手首に食い込む。
生まれる摩擦。
痛い。
「痛、いよ…」
私がそう言うと、ぱっと手が放された。
手首を擦る。
少し赤くなっていた。
「お前さ、俺の言ったこと忘れたの?」
「え…?」
靴箱のすぐ近く。
昼休みはあまり人気が無くひっそりとしている。
「あいつらに近づくなって。言ったよな?俺。」
くるりとこちらを向いた拓也はもう笑っていなくて。
その目はスッと細められた。
「そ、そんなの…拓也だって…」
拓也だって、柴山さんとずっと一緒にいたじゃない。
「俺が、何だよ。」
「じゃあ拓也は昨日の放課後何してたの?」
「は?」
野球部の掛け声が遠くで小さく聞こえる。
「柴山さんと何があったの?」
「今は柴山は関係な」
「どうして。どうして何も教えてくれないの?」
私の言葉に拓也は眉を寄せる。
「どうして、あの時キスしたの…?」
わからないことばかりなんだよ。
「…それは」
知りたいと思えば思うほど。
不安は募るばかりで。
「…んなの、なんとなくに決まってんじゃん。」
ほら。
また一つ。
「…そっか…。」
拓也がわからなくなる。
「とにかく、もうあいつらと関わるなよ。」
ぽんと私の頭に手をのせて、一度だけ優しく笑って。
拓也は自販機のある中庭へと走っていってしまった。
拓也に触られた髪にそっと触れる。
わからない。
わからないけど。
それでもやっぱり
私は拓也が好きなんだよ。
「…ばか。」
私はもう見えない拓也の背中に呟いた。
「ねえ、昨日の見たって本当?」
「本当だってば。」
ふいに聞こえてきた喋り声。
私は近くの靴箱に静かに身を隠した。
「柴山さん、いい気味よね。男子に色目使ってばっかだったし。」
「確かに。私もあんまり好きじゃなかったんだよね。」
柴山さんの名前にぴくりと反応した。
耳を澄まして次の言葉を待つ。
「じゃあやっぱり木高くんは宮崎さんなのかな。」
二人いるうちの片方が言った。
まさか私の名前が出てくるなんて思いもしなかったから驚いた。
拓也の相手が私。
嬉しいような恥ずかしいような
そんな気持ち。
「んーそれがちょっと違うみたい。」
「え?」
ごくりと
息を呑んだ。
「断られた後に柴山さんが、木高くんが好きなのは本当に宮崎さん?って聞いたの。」
柴山さんが拓也に。
「木高くんが本当に好きなのは笹塚さんじゃないの?って。」
え?
美奈?
「そしたら木高くん、何も答えなかったのよ。」
「あー笹塚さんか!転校しちゃったけど木高くんと仲良かったもんねえ。」
「そうそう。可愛かったし性格も良かったしね。」
ちらりと話している二人が見えた。
体操服を着ている。
今から部活なのかもしれない。
「じゃあ笹塚さんだ。悪いけど宮崎さんより笹塚さんの方が、正直木高くんに似合ってる。」
その後二人の話題は夏休みの予定へと移り、明るい笑い声と共に中庭の方へと歩いていった。
再び静寂が戻ってくる。
しんと。
夏の喧騒は、
どこか遠くに。
私は、教室に向かってゆっくりと歩き出した。
戻らなきゃ。
もうすぐ午後の補習が始まる。
戻らなきゃ。
戻らなきゃ。
「尚美、ちゃん?」
足を止める。
「やっぱり尚美ちゃんだ。って、どうしたの、泣いてるじゃないか。」
泣いてる?
私、泣いてるの?
「う、うぅ・・・。」
「大丈夫大丈夫。」
ぽんぽんと、優しく頭に手をのせられる。
拓也がしたのと
同じように。
涙が止まらなかった。
原因は、
多分分かってる。
別に、拓也が私を好きだと思っていたわけじゃない。
だけど。
少しは、
少しくらいは可能性があるんじゃないかって。
考えても見なかったんだ。
美奈と拓也なんて。
笑える。
笑いたいのに笑えないけど。
涙が邪魔して。
お似合いの二人。
私なんかよりずっと。
――あんただって違うんだから――
柴山さんが私に言う。
赤い目をして。
今の私と同じように。
今、やっとわかったよ。
私も違うんだね。
だって拓也には
美奈がいるじゃない。
「そんな状態じゃ授業無理でしょ。」
優しい、声。
「少し屋上に行こうか。聡も呼んで上げるから。」
どうして聡なのよ。
そう思ったけど言わなかった。
私は祐樹先輩に支えられながら、ゆっくりと屋上へと向かった。