11.まな板のダンス
11.まな板のダンス
早いもので、明日から期末テストです。
いつもとあまり変わらない教室の雰囲気。
だけど皆の手にはバッチリ、ノートや参考書が。
うん。
さすが高校二年生。
そろそろ本気で単位を気にする人が出てきたのだ。
期末だしね。
私はというと。
数学では今回も点が取れなさそうだ。
次の授業は音楽。
内職にはもってこいなわけで。
私は生物の教科書でも持って行こうかなと、机の中から教科書を取りだし、パラパラとめくった。
その時、一枚のプリントが入っていることに気が付いて。
恐る恐るその折り畳まれたプリントを開く。
「げ」
先週やった染色体の観察レポート。
提出締め切り、本日の十三時。
只今、十四時七分。
一時間と七分のタイムオーバー。
私は勢い良く椅子から立ち上がり、
「裕子!亜理沙!ちょっと職員室行くから、先に音楽室行ってて!」
そう言うと、返事を待たずに教室を飛び出した。
二階にある教室から、一階にある職員室へと急ぐ。
何人かの先生と擦れ違ったけれど、高校生にもなると、もうさすがに「廊下は走らない」とか注意はされない。
擦れ違う時に軽く会釈をして通り過ぎる。
職員室の前で急停止し、ノックを二回して「失礼します」と言いながらドアを開けた。
生物の先生は、自分の机で何か書類を書いていた。
静かにそこまで歩いて行く。
「岸田先生」
名前を呼ぶと、先生はゆっくりと書類から目を上げ、私の方を向いた。
因みに岸田先生ってのは生物の先生のことね。
「あら、宮崎さん。どうしたの?」
椅子をくるりとこちら向きに回転させた。
「あ、あの、一時までに出さなきゃいけなかったレポート、出すの忘れてて…。もう受け取って貰えないでしょうか?」
「あーそれね。わかりました、次からは気を付けなさいね」
先生は私からプリントを受け取って、優しく笑った。
「ありがとうございます」
「はい」
私は小さくお辞儀をすると、静かに職員室の出口へと向かった。
「あ、宮崎」
名前を呼ばれ振り返る。
職員室の中をキョロキョロと見回すと、音楽の早川先生と目が合った。
先生は椅子に座ったまま私を手招きしている。
そっと机の方を見ると、結構な量のプリントの束が。
嫌だなと思いながら、私は渋々早川先生の所へと歩いた。
「…なんですか」
「いやー良いところにいてくれたよ、宮崎」
そう言いながら笑う早川先生は、私たちの入学と同時に音楽の常任教員となった、まだ若い男前だ。
「このプリント、次の音楽で使うんだけどさ、音楽室まで持って行って配っておいて欲しいんだ」
大体予想はしてたけど、
「えー」
素直に不満を露にする。
「頼んだぞ!宮崎!」
そう言って、先生はその紙束を私に押し付けた。
「きっと今学期の音楽の成績は十だろうな。ね、先生」
「…」
何も答えない先生に思いっ切り笑顔を作ってやって、私は紙束を抱えて職員室から出ていった。
漫画に出てくるみたいに、前が見えなくなるような、そんな厚さではないけれど。
多分新しい楽譜なのだろう、数種類の異なった印刷があることが分かる。
「おも…」
紙というものは一枚や二枚では重さなんて無いものの、こんなにもの量になれば結構な重さが有った。
これくらいのプリント、自分で配れっつうの。
私は独りぶつぶつ文句を言いながら、三階にある音楽室を目指した。
三階に続く階段を上り終え、あと少しで音楽室。
梅雨が明けてからは、痛いくらい眩しい太陽がサンサンと輝いている。
今日も良い天気だなあなんて思いながら、窓の外に視線を奪われている時だった。
ドン!
「きゃっ」
前から人が歩いて来ていたのに気付かず、その人にぶつかった私は派手に尻餅をついた。
プリントの束が、ドサリと崩れる。
「…いってえー」
「あ、ごめんなさい!」
どうやら相手も尻餅をついたようで、同じようにして目の前に男子が一人座り込んでいた。
長めの茶髪と、耳には骸骨のピアスが一つ。
だらしなく結われたネクタイが、真面目な生徒ではないことを伝えている。
拓也とは正反対だと、その時私は思った。
「ボサッと歩いてんなよな」
「す、すみません」
そいつは小さく舌打ちをすると立ち上がり、ズボンをパッパッとはらった。
うん。
今の舌打ちは聞こえなかったことにしよう。
「おい」
「は、はい」
そいつは、最後に値踏みをするように私を見下ろし、
「次からはもっと前見て歩け。マナイタ」
そう言って、私がさっき上ってきた階段を降りて行った。
「ま、まな、いた…?」
その意味が最初よく分からなかったが、自分の口で言ってみて、ようやく理解した。
私はバッと自分の胸を見る。
「む、胸無くて悪かったわねー!」
私は、もう誰もいない階段に向かって叫んでいた。
プリントをなんとか集め終え、音楽室へと向かう。
あの怒りはまだ消えていなかったけど、ぶっちゃけ誰かに相談するのも恥ずかしい話なわけで。
チャイムと同時に入った私を見て駆け寄ってきた拓也にも、話すわけにはいかなかった。
「遅かったじゃん」
「…まあね」
「どした?何か嫌なことでもあったか?」
私がプリントを配るのを手伝いながら、拓也は私の顔を覗きこんだ。
「べ、別に!」
いきなり顔が近くなり、思わず顔をそらす。
多分私の顔は、今ものすごく赤い。
そして。
隣でプリントを配る拓也をちらりと見て、思った。
さっきの奴とは、やっぱり正反対だって。
無造作にセットされた髪は、長すぎず短すぎず、色の抜いていない髪が、印象を良い風に引き締めている。
スッと通った鼻筋は、どちらも共通しているような気がするけれど。
目は、違う。
拓也の目は綺麗な二重で、さっきの奴よりも優しい目をしている。
プリントを配り終わったところで早川先生が入ってきて、私は拓也に「ありがと」と言って席についた。
さっき配ったプリントは『島唄』の楽譜だったらしく。
教室に、あの夏のメロディが静かに響く。
ふと、少し離れた拓也を見た。
楽譜に目を落とし、小さく口を動かしていて。
ちゃんと歌ってるのを、ちょっとかわいいと思ったり。
そのままボーッと拓也の方を見ていると、拓也の前の席の女子が、くるりと拓也の方を向いた。
柴山さんである。
もうお決まりのパターンですけどね。
だけど。
あんな事があった後の今、私の視線はどうしても柴山さんの胸にいってしまうわけで。
「柴山さん…大きいなあ…」
ボソリと呟いた私の言葉に、近くの席の人たちがこちらを向いたような気がしたが、あえて気付かないふりをした。
楽しそうに話している拓也と柴山さん。
二人が仲良くするのは嫌だけど、今はそれよりも、あることが頭の中で不安の渦を作っていた。
拓也はやっぱり、ペチャパイよりも巨乳の方が好きなんだろうか。
私のように胸の小さな女の子なら、多分誰でも一度は不安に思うこと。
駄目。
好きになればなるほど、自分の短所が心配になってくる。
私は、もう何も考えないようにと、心地好く響くピアノの音に、ゆっくりと瞼を下ろした。
「尚美…尚美!」
名前を呼ばれて目を開けると、皆が音楽室から出ていく所だった。
そして、私の横には拓也が立っている。
「拓也…」
「お前…ガン寝しすぎ」
「音楽、もしかしなくてももう終わった?」
私の質問に、ゆっくりと頷く拓也。
「だから、ほら、もう教室戻るぞ」
拓也の言葉に、私は椅子から腰を上げる。
少し前を歩く拓也を追い掛けるようにして、私は音楽室から出た。
強い日差しで眩しい廊下を、二人並んで歩く。
外はきっとめちゃくちゃ暑いんだろうななんて考えていると、拓也が口を開いた。
「テスト終わったらさ、どっか遊びに行くか」
「え?」
いきなりの提案に、私は一瞬何て言っていいのか分からなかった。
「金曜にテスト終わるだろ?だから土曜とか」
「二人で?」
「そ。二人で!」
ニカリと笑う拓也。
私は、心臓が早くなるのがわかった。
「行く!」
嬉しそうに答える私を見て、拓也はまた笑った。