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世界掴む手のひら  作者: ケー/恵陽
二、オエバは皆の光というなり
8/26

どうしても切れるところがなくて、ちょいと今回は長めです。

 董が宿を出たことも知らず、セトとラクルは外の世界に心躍らせていた。

「野宿には慣れないが、色々なものがあって面白いな」

「はい。朝日や夕陽は神殿から見るものとまた違って綺麗ですし」

「ああ。それは私も思った。何だか景色が全然違う」

「本当に、そうですよね」

「ラクル、私は外に出てよかったと心から思うよ」

「はい。もちろん、わたくしもです」

 セトは少し後悔していた。ラクルも一緒に連れ出してしまったことは間違いだったかもしれないと思っていた。けれどラクルの曇りのない笑みを見たら、そんな不安など何処かへ消えてしまった。

「ラクル」

「はい?」

 呼びかけられてラクルは反射的に返事を返す。セトはそんなラクルの手を握り、頭を下げた。深く、深く頭を垂れた。

「セ、セセセト様ぁ? な、な、……顔を上げてくださいよ!」

 何故頭を下げられるのかわからずにラクルは慌てる。両手をバタバタと顔の前で振り、セトの呼び方すら元のものに戻ってしまっている。

「ラクル、ありがとう」

「な、何をですか。わたくしは何もしていません。ただセト様に従っただけです。……従いたかっただけです」

「いいや、ラクルが居てくれて本当に感謝している。本当は、ラクルは来なくてもよかったんだ。あのまま神殿に居た方がよかったかもしれなかった。だけど私はお前に居てほしいと思った」

 丁寧にラクルの手を両の手で包み込んで、セトは泣き笑いの顔を作った。そのようなセトの顔をラクルは見たことがなかった。いつも毅然として、けれど時々すべてを諦めたような表情をすることを知っていた。けれど、今のラクルの目の前に居るセトの表情は希望に満ちていた。輝いていた。それは神殿に居た頃にはないもので、素直にラクルは嬉しいと思った。

「わたくしもセト様のお傍に居たいです。だからずっと、お傍に置いてください」

 セトの言葉に笑って応じるラクルに、彼女はうっすらと涙を浮かべた。

「……ああ」

「ちょっ! 泣かないでください」

「泣いてなどいないさ」

「もうー、それよりも楽しいことを話しましょうよ」

「ああ」

 目尻を拭って、セトは微笑む。それはラクルもつい見惚れてしまうようなやさしい、やさしい笑みであった。

 しかしパチパチパチと、手を叩く音が聞こえたのはその時だった。

 突如窓の外から響いた耳慣れぬ音に、二人はギョッとしてそちらに視線を移した。けれどあるのは闇ばかりで姿が見えない。セトはラクルを庇って一歩前に足を踏み出した。隣に居るはずの董を呼んでもらいたいと目配せをする。それを受けてじりじりと移動するラクルを影は笑った。表情はわからない。だが窓枠に腰掛けた白い服が見える。

「董なら居ないよ。居るなら挨拶しようと思って覗いたけど、出かけてるみたいだ。だから呼んでも無駄」

 セトは唇を噛んだ。影の声から察するに男のようだった。低い落ち着いた声、だけれども感情の乗った若い声。

「誰だ。目的は私か」

 神殿からの追っ手だろうか。それが最も可能性が高いとセトは思った。まだ神殿はおそらくオエバが居なくなったことを公表していないだろう。というか公表できるはずはないと思っていた。だから騒がれる前に見つけて連れ戻すつもりだろうというのがセトの見解だった。

「うん。『オエバ』でしょう。困るんだよね、二人とも居なくなっちゃってさ。しかも連れてったのは董なんだって? まったく、セト様には参っちゃうよ」

 ふと、セトは声に覚えがあるように思った。神殿にはそれほど多くの人物が勤めているわけではない。僧侶の数は高が知れている。警備の兵とて数はあれど、毎日新顔がやってくるわけではない。毎日会えば、顔や名前を覚える機会も増える。

「今ならさあ、まだ間に合うんだよね。だから戻ってくれない? 自分も一緒に謝ってあげるから。あれは気の迷いだったって、逃げたのは間違っていたって、言ってさ。ねえ、セト様」

 名前を呼ばれると何故か頭がくらくらしそうになる。この感覚をセトはどこかでも感じた。それは神殿の、中。

「ねえ、セト様――」

 白い服に炎を模した神殿の紋章を見つけた。

「ハナ……」

宴花(えんか)!」

 大きな音を立てて部屋の扉がこじ開けられる。きっと鍵が壊れただろうと妙に冷静に考えたセトは、詰めていた息を吐いた。影をセトの知らない名で呼んだのは董であった。

「董! 何処へ行っていたんですの!」

「ごめんなさい。でも、それどころじゃない!」

 ずかずかと入り込むと董はラクルを制し、そしてセトの肩に手を置いた。セトの視線は影にまだ張り付いている。董がセトの前に立つと、漸く視線を外すことが出来た。

「やあ、董。元気?」

 緊張感のない口調で董に宴花と呼ばれた影は笑い声を落とす。だが董の視線は鋭く彼を睨んだ。

「たった今元気じゃなくなった。狙いは僕……じゃないな」

 背後で行動に迷っている二人にちらと目をやる。ラクルがセトの肩を抱き、心配そうにその顔を覗きこんでいるところだった。

「安心してよ、董もまだ相手にしてあげるから。でもそうだねえ、今は火急の件で来たんだ。まさか董が犯人だなんて思いもしなかったけどね」

 ずい、と彼が光の中へ足を踏み入れると茶色の髪をかきあげる二十代の青年の姿が浮かび上がる。

「……ハナミじゃ、ないのか?」

 董は背後から呟かれたセトの言葉に首を傾げた。

「ハナミ様に似ていますけど、あの方は金髪でしたよ。イエ族のような茶髪ではありませんでしたけど」

 怪訝な顔をするのは董やセトだけではない、ラクルもだ。しかし二人と董の間には何か差があった。

「ハナミって誰?」

「神殿付きの兵士だ。だけど姿が違う。でもその制服、それに紋章は間違いようもなく神殿付きの証だ。董こそ、宴花とは誰のことだ」

 董の質問にセトが答え、今度はセトが疑問をぶつけた。ハナミとよく似た言動の男、けれど容姿と名前の異なる男。セトとラクルは最早この男をなんと呼んでいいのかわからなかった。

「……宴花、お前に大きな後ろ盾があるとは思ってたけど、神殿か。しかもイエ族の癖にハクラ族の名前までもらって」

 董はセトの質問には答えず、真っ直ぐに宴花を睨みつけた。

「相変わらず失礼な子だねえ。けど察しは悪くないようだ。でもね、自分はハクラ族の名前をもらったわけじゃない。神殿で生活する時はハクラ族の真似をしていた方が、都合がいいんだ。だから自慢の髪を毎度毎度染めなくちゃならなくて、結構苦労しているんだよ。ハナミって名前だって自分で付けたんだ」

「染めていたのか」

「ええ、セト様。騙す形になってしまって申し訳ありません。出来れば、自分のこの姿も一生見せることなく終えることが出来ればよかったのですが、そうもいかないようです」

 へらへらと笑って答える宴花にセトは眉根を寄せる。

「で、そろそろ答をもらえませんか。『オエバ』には神殿に戻っていただく必要があるんですよ」

「すまないが、……それは出来ない」

 セトは声を震えるのを抑えながら答えた。神殿での生活に不自由はなかった。だがセトは人形ではない。あの場所は牢獄と言い換えてもいい場所だった。とても居心地のいい牢獄だ。いつからか逃げ出したいと思っていた。

「そう。残念だ。では実力行使に出させていただきます」

 前に踏み出した宴花はだが、セトではなく別の人間に視線を向ける。つい先程までのへらへらした顔は消えている。冷えた、視線が董を射抜いていた。

「僕がさせない」

 短刀を構える董に宴花は一歩距離を取る。

「言っただろう。今日は董の相手はしない」

 手をぶらぶらとさせる宴花はゆるゆると首を振る。そして懐から小さな袋を取り出した。それを見て、董は慌てる。

「そおら、いい夢みなよ」

 言い捨てて宴花はセトとラクルの方に向ってその袋を投げる。たちまち煙幕が立ちのぼり、咳き込む音が響いた。

「宴花!」

「心配ないって、董を相手にするんじゃないんだから毒なんて使わないよ。ただの睡眠粉だから」

 大したこともなさそうに言うが、その間にも激しく咳き込んでいた音が少なくなっている。確実に粉を吸っている。

「セト! ラクル!」

 董は名前を叫んで晴れてきていた煙幕の中に飛び込んだ。咳き込むセトの姿が見えてホッとする。けれどラクルは完全に眠りについている。セトの腕に触れて、彼女を守ろうとしたことが分かる。

「ラクル、ラクル」

 揺り動かすが起きる様子はない。煙幕が完全に晴れると、突然ラクルの体が浮いた。宴花が彼女を抱き上げたのだ。

「やーっぱり。セト様にもあまり効果はなかったんですね。ちょっと予想していましたけど、がっかりです」

「ハナミ! お前、ラクルに何をする気だ」

 尚も咳き込みながらセトが宴花の足に縋りつく。ラクルは宴花の腕の中だ。董は咄嗟にセトを宴花から離し、間に割り込んだ。危うくセトも宴花に捕まる所であったのだが、当のセトはまるで気付いていなかった。

「何をする、董。ラクルを助けないと」

 手を必死に伸ばそうとするセトを、だが董は全力で阻んだ。

「……よく出来たね。そうだよ、選ばなくちゃならないんだ。董は自分には勝てない。よくわかっているじゃないか。だから一人を選んだ。ふふ、楽しくなってきちゃったなあ」

「何を言っているんだ、ハナミ。いいから、ラクルを離してくれ。頼むから」

「セト様」

 ラクルを抱えた宴花が床に膝をついているセトに合わせて視線を落とした。間にいる董は宴花の隙を窺うが、それは何処にも見られなかった。

「『オエバ』は神殿に戻っていただきます。この意味、わかりますか」

「な、何を……だから私を連れ戻しに来たのだろう?」

「いいえ。自分は皆にとっての『オエバ』を連れ戻せと命を受けました。だからラクル様は返していただきます」

「……何を言っている」

 セトは意味がわからないと首を横に振った。けれど手は未だラクルを欲して伸ばされていた。

二人の間にいた董は宴花の言葉の意味を正確に理解したが、それどころではなかった。持っていた短刀を宴花に向って放つ。一、二、三、と連続して叩き込むが、悉くかわされてしまう。セトの為にもラクルを取り戻さなくてはならない。だが現時点での力の差は明らかだ。

「駄目だよ、董。まだセト様とのお話は終わっていない」

 そういって、何かを投げる仕草をする。一見振りにしか見えないが、細い針が飛んでくるのが董にはわかった。わかったが避けられなかった。右足に針を受けて膝をつく。その間にもまた宴花はセトに視線を合わせた。

「セト様、神殿からの言葉をお伝えします。『貴女はオエバであり、オエバでない。またそれはまたラクルも然り。この意味、よくお考えください』」

 セトの視線が彷徨う。それを満足気に見やり、宴花は立ち上がる。ラクルを肩に担ぎなおして、悠々と窓へ足を向ける。董は右足を庇いながら、その背に追い縋った。

「宴花、……待て!」

「ごめんね。董とは次回遊んであげる。じゃ」

 と、にこやかに手を振った宴花。セトは泣きそうな顔でラクルの名前を呟いている。何度も、何度もラクルと呟いている。董は右足を引き摺り、宴花を捕らえようとするけれど、その手は空を掴むばかり。だから、董は宴花に触れられなかった。

 だけど――。


「やあ。君が宴花だったのか、ハナミ」


 董は思わず目を疑った。窓辺には頬杖をついて、微笑む男がいた。奇しくも宴花と同じ服を纏ったその人物を、セトも知っていた。瞬間、正気に戻ったセトが大きく叫んだ。

「秦! ラクルを助けろ!」

 聞くが早いか、秦は宴花の背後に次の瞬間まわりこんでいた。その行動に宴花も目を瞠る。

「久しぶり、ハナミ。董を苛めていたのは君だったんだね。まったく、困った子だ」

「……秦様」

 秦が宴花のラクルを担いだとは逆の手を強く掴んだ。すると床にバラバラと音が散らばる。先刻董に投げつけたのと同じ針が落ちたのだ。

「俺に勝てると思っているのかい」

「くっ」

 腕を逆に捕まれ、宴花は痛みに顔を歪めた。そこには先刻までの余裕など一欠けらも見えない。同じ神殿で働いていたのだから、当然二人とも顔見知りである。

「勝てるなんて思ってませんよ。貴方みたいな人が一番恐ろしい」

「だったら、ラクル様を置いていってくれないか。そうしたら腕だけで勘弁してあげるよ」

 やさしい顔で背筋が冷えることを容易く言う秦に、宴花はぎょっとした。彼だけではない、董もセトも驚いた。だが宴花はすぐに顔を元に戻し、答えた。

「……それは出来ません。自分も仕事ですので」

「うん。そう言うと思っていた。だけど俺の大事な董やセト様を傷つけられては手加減出来ないかもしれないな」

「でしたら、その暇も与えません」

 董には見えた。人一倍目のいい董だから、見えたのかもしれない。宴花の口の端が持ち上げられ、彼の足下から勢いよく白い煙が噴出した。

「!」

 思わず飛び退り、秦は宴花から距離を取った。そして彼が顔を上げた時にはもう、宴花の姿もラクルの姿もなくなっていた。眉根を寄せる秦は深い溜息を吐くと、部屋の中に視線を動かした。董に一瞥をくれて、真っ直ぐにセトの許へ足を運ぶ。そしてへたり込んでいる彼女の前に片膝をついた。

「申し訳ありません。ラクル様を助けられませんでした」

 その声には苦々しさが浮んでいる。目を伏せる秦に、セトもまた溜息を吐いた。

「もう、いい。……それより状況を教えてくれ。神殿は何処まで知っていたんだ」

 セトは泣くのを堪えるように顔を強張らせていた。その表情に董は俯き、秦は無言で頭を垂れた。


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