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ただの追い剥ぎでよかったと心底思った。董が何より恐れていたのは追っ手である。神殿からの追っ手が現れたのであれば、オエバであるセトとラクルも董自身のことも商人に説明しなくてはならなかった。それはどうしても避けたかった。だが賊だと分かれば遠慮は無用だ。好きなだけ叩ける。そう思い、董は馬車に揺られながらほうっと息を吐いた。
賊を捨て置いて、董たちは再び東都への道を進み始めた。商人は賊が追ってこないかと暫しびくついていたが、見る限りその様子はない。董にしてみれば賊と分かっている者をわざわざ解き放つ者がいるとも思えず、追ってくることはないと考えていた。それは外れてはなかったようだ。
「本当に追ってこない」
幌から顔を出したセトが馬車の遠く後方を見やる。彼女の横からラクルも顔を出していた。
「だから言ったでしょう。追ってこないって。大体わざわざ馬車を追うより、また誰かを待ち伏せした方が効率いいんですよ」
「そんなものか」
「そうです」
国都から距離を取ったことで、セトとラクルも幌から身を乗り出す。伸びをするラクルが董の隣にちょこんと座った。
「董様は東都を知っていますか」
訊ねられ、董は首を縦に振った。
「一度行った事があります。小さい頃だからあんまり覚えてないけど、大きな街だって思った記憶がありますね。国都には負けますが、東部では最も大きな街ですから」
「へえ。いいなあ」
「今からラクルさんも東都に行くんですよ。少しだけなら観光する時間もあるでしょう」
「本当? ありがとう」
神殿から出る事も満足に出来なかった二人を思って、董は少しだけでも楽しんでもらえたらと思った。董自身も幼い頃に訪れた限りなので、もう一度見て回りたい気持ちもあった。
「それより、秦とはどうやって連絡をつければいいんだ?」
セトが眉を顰める。確かにそれも問題である。だが董はあっさりと答える。
「神殿で知り合いですって言えば会えるでしょう。僕なら多分、顔は知られていないし名前を言えば秦がすぐ出てくるはずです」
知り合いだといえばたとえ怪しくても確認を取るだろう。そして本当に秦と董は知り合いなのだから、出てこないはずがない。その答えにセトは確かに、と呟き微笑した。
商人と別れたのは東都の一つ手前の街であった。七日程共に過ごすと別れも惜しくなるもので、ラクルなどは別れ際にうっすら涙を浮かべていた。今生の別れではけしてないのだが、再び出会える可能性も高くはない。それに国都を出て初めて親しくなった人だった。董は嫌というほどの別れを経験しているが、それはセトとラクルにはない経験なのだ。董は慰めあう二人を何故か羨ましいと思った。
そして東都へはそれほど遠くないということで歩いて向うことになった。しっかりした道はあるし、治安もよい地域である。大丈夫だろうと董は思っていた。
「董様、どれくらい歩くのですか」
「二日あれば着くそうですよ。それよりラクルさん、いい加減僕を様付けで呼ぶのはやめてもらえませんか」
ずっと董はラクルの言う呼称が気になっていた。商人には付き人だと言っている手前正すことが出来なかった。とはいえ、あの商人は董のことを知っているので正しても悪くはなかったのだが、董はあくまでその姿勢を崩さなかった。
「僕は偉い人物じゃないんですよ」
「そうですねえ。……でしたら、わたくしのこともラクルと呼んで下さい。それに敬語もやめましょう。わたくしもやめるわ」
名案とばかりに顔を輝かせるラクルにセトと董が笑う。
「ラクル、だったら私のことも呼び捨ててくれ。もう主従じゃなくて、友達でいいじゃないか」
「そうだね。僕も、ラクルの友達ってことでどう?」
「はい! セト様」
思いっきり頷いたラクルだが、長年呼び続けた呼称は簡単には変えられないようだ。
「ラクル~」
「セトさ……、セト」
恥ずかしそうにセトの名前を呼んだラクルの顔は真っ赤だ。慣れない呼び名は照れ臭い。しかも随分と長い間一緒に居たのだ。それをいきなり変えるとなると、妙な気恥ずかしさがあった。だが、嬉しそうでもある。
「なんだ、ラクル?」
「う、あ、セトさ……セト! よ、呼びなれません」
「慣れてくれ。私はラクルと深い友情で結ばれたいんだ」
さらっと恥ずかしいことを言うセトにますますラクルが照れている。董は二人の様子を微笑ましく眺めていた。今までの時間は変えられない。だが、今からなら変えていける。神殿であのまま過ごすはずだった彼女たちはもう別の道を歩き始めている。その道の途中に董も存在している。不安は大いにあるものの、董は何か嬉しくなって目を細めた。
「董、何を笑っているんだ」
「ううん。仲いいなあと思って」
董には二人のように同じ年代の友人は少ない。しかも幼い頃からの知り合いとなるとそれは捜す方が難しい。だから余計に董はセトとラクルを微笑ましく思った。
「で、東都に行くのはいいんだけど、着くまでにある程度の常識を身につけてもらいます」
まともに買い物一つしたことがないセトとラクルを今の状態で街に入れるにはかなり不安がある。それにラクルの言葉ももう少しくだけたものにして欲しいと董は思う。
「常識か。それもそうだな」
自覚があるので逆らうこともせず、二人は大人しく董の言葉に従った。国の歴史などには一般人よりも非常に詳しいようだが、それは普通に生活するうえであまり役に立たない。お金の数え方、買い物の仕方、人との接し方、街で困った時に何処へ行けばいいか、董は事細かに教えていった。それは過去に董が秦から習ったことでもある。昔を思い出し、董は少し懐かしい気持ちになった。
「そういえば、董は有名らしいな」
「ああ、おじさんが言ってましたね」
商人が董のことを有名人だと言っていたのをセトが思い出した。しかし同時に疑問も湧いた。
「董、お前目立っていいのか」
「いいわけないよ」
セトの言わんとすることを正確に理解して、董は答えた。ブロウクだと知れば誰もが彼を避ける。しかし商人はそんなこと知らないようだった。本来目立たずにいるべきなのだろう。
「好きで有名になったんじゃないよ。前に一座が襲われたことがあるんだ。その時にちょっと立ち回ったら大事になって勝手に周りが囃し立てたんだ。おかげで普通の仕事よりも護衛の仕事を頼もうとしてくる奴が多くなった」
それはいつだったか、一座と共に行動している時のことだ。次の街へと移動している最中に賊に襲われたのだ。その時の董は決して護衛として居た訳ではなく、ただの居候として共に居た。一座の者は女が多かったが女だけということもなく、また皆武術の心得があった。けれど力と数で押されてしまうと、退けることは難しかった。董は子どもだからと荷馬車の中に隠れるよう言われ、初めはその通り隠れていた。しかし悲鳴や罵声が聞こえて心配になり、顔を出してしまった。そこを見付かり董は已む無く賊と対峙する羽目になったのだ。しかも半数以上を董が倒してしまった。今まで戦った所を見たことは一座の者でも居なかった。だから董がそれほど強いとも知られていなかった。しかし、その事件のせいで董の噂が広まってしまったのだ。
「誰かに護身術を習ったのか」
「基本は姐さんたちに。だから僕の基本型は剣舞なんだよね」
「剣舞? あれは儀礼的なものだろう。実践で使えるのか」
不思議そうにセトが訊ねてくる。確かに儀礼と実践では差はあるが、まったく使えないわけではない。
「そのまま使うわけじゃないからね。でも舞踊っていうのはなかなか侮れないんだよ。体を柔らかくして、無駄な動きを省いてやれば実践にも活かせるんだ。秦も僕と同じで剣舞の型を応用した武術を習得してるはずだけど、見たことはないの?」
秦を知っているのならば、その強さを見たことがあるはずだと董は思ったのだが、セトは首を横に振った。
「神殿では警備兵がいるから。それに神殿の僧侶たちは皆、細くてとても戦えるようには見えない」
素直に感想を述べたセトに董が苦笑する。しかしそれも仕方がないことだ。確かに神殿の人間は戦うための訓練を積んでいるわけではない。身を守れるくらいの術しかもっていないだろう。秦のように実際に戦う技術を持っている者の方が少ない。
「でもそれなら私にも教えて欲しい」
セトが歩む足を止めた。訝る董を真っ直ぐに見据えて、彼女は言い放った。
「私に戦う方法を教えてくれ」
「は?」
うまく意味の理解が出来ない董にセトはもう一度言った。はっきりと、言葉を区切って。しかしそれに董が反応する前にラクルが大きく反応した。
「セトさ……、セト! どうしてですか」
「私は神殿の追っ手に見付かれば連れ戻されるだろう。だが戻りたくない。だから逃げる為には戦うしかないと思う」
「でも、董もいるじゃないですか」
ラクルが董にバッと視線を移した。思わず董は勢いに呑まれこくこくと頷く。
「今はな。だが董が居ない時はどうする? それにこれからもずっと一緒に居るという保証はない。そうだろう、董」
どこか突き放すように訊ねるセトに董は迷った。セトの言うことは間違っていない。今は共に行動しているが、秦に会った後はどうなるかわからない。もしかしたらいい隠れ場所を教えてくれて、二人にはそこで暮らすかもしれない。何とも言えず口ごもっていると、セトはふっと肩の力を抜いて笑った。
「困らせたな。だが、私だって考えている。ラクルと二人、ただただお前の世話になることは出来ないし、逃げ続けるにはそれ相応の力がないといけないんだ」
その気持ちはよくわかった。董も逃げている。自分をブロウクと知っているかもしれない者から逃げている。戦っている。誰かに守られているだけでは何も変わらないと幼い董も考えた。
「セト。でも、それならわたくしが貴女を守ります」
キッと顔を上げたラクルが唇を引き絞った。だがセトは微笑を浮かべたままゆるゆると頭を振った。
「駄目だよ。ラクルだけじゃ駄目だ。私は誰かに守られたいわけじゃないんだ。それにラクルには私を守れない」
「何故です」
「私がラクルを守るからだ。大切な親友を守りたいんだよ、私も」
神殿から逃げてきた。それがどんなに重大なことか、きっとセトはあまり認識はしていなかったと思う。でも彼女なりに考えた結果が自分も戦えるようになることだったのだろう。董が武術を覚えたのは必要だったからだ。そして今、セトにもそれが必要になった。
「わかった。僕が出来る範囲でよければ教える」
「本当か!」
「そんな」
表情を明るくするセトに、ラクルは唇を噛み締める。どうしてもラクルはセトに戦わせたくないのだろう。その気持ちも、董には容易に想像できた。
「ラクルも一緒に」
董がラクルに笑いかけると、彼女は頬を膨らませることで応じた。
「当然です!」
その顔が可笑しくて、董は噴出してしまった。




