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世界掴む手のひら  作者: ケー/恵陽
一、世界は彼を厭うというなり
5/26

 疲れているのだろう、揺れる馬車の幌の中でセトとラクルがすやすやと眠っている。夜に出立する商人が居てよかった。董は座長が紹介してくれた商人の馬車で東都の近くまで乗せてもらうことになった。朝になれば追っ手も本格的に動き出す。そうなってはたまらない。

「君は眠らなくていいのかい」

 商人が朗らかに訊ねる。董も眠たくはあったが、国都からまだいくらも離れていない状況で安心して眠れるほど楽観的ではない。そもそもセトとラクルは追われることがどういうことか、ちゃんと理解出来ているかも怪しい。ならば自分がしっかりしなくてはならない。

「はい。僕は大丈夫です。それより厄介になってしまってすみません」

「いいって。子どもだけで東都に行くってのを見過ごすわけにもいかないしねえ。それに座長にはわたしも昔世話になったから、恩を返すことが出来てよかったよ」

「あはは。座長って本当に顔が広いなあ」

 座長は自身が孤児だったこともあってか、よく人を拾う。もちろん拾うのは人だけではないが、董が知っている限りでも訳ありの男女や行き倒れた旅人など何人も拾っていた。

「ところで君たち、見たところ兄弟ではないようだけど……」

 絶対に訊かれると思っていた。座長は曖昧にしか説明していないのだろう。董は用意していた答を平然と答える。

「二人の両親が東都にいるんです。突然行って驚かせてやりたくてどうしてもと言うもので、僕は二人のお目付け役。外の世界に慣れてらっしゃらないので心配でしてね」

「しかし君はイエ族の子だろう?」

「ええ。ですけど、僕は二人の両親にとても世話になったので、貴方と同じで恩返しですよ」

「そう言われちゃ、突っ込めないなあ。まあ、いいさ。こんな子どもたちが危ない人間てこともないだろう」

「ありがとうございます」

 董は商人ににこりと笑うと、さらりと別の話題に転じた。

「ところで日数はどれ位かかりますか」


 幌の中で薄く目を開けたセトは寄りかかって眠るラクルに頬を緩めた。セトにとってラクルは真実妹のような存在だ。自分より幼く罪のない、守られなければならない者。ラクルが居たから、セトはセトで居られた。幌の外からは董と商人の声が聞こえてくる。

 セトは窮屈ではあったが神殿の暮らしがまったく嫌いだった訳ではなかった。だが董に会って、董と別れる段になり、咄嗟に口に出してしまっていた。連れ出せ、と。あの時の焦燥感をセトはどうしてか不思議に思う。左手を顔の前に掲げると、セトは手袋を外した。掌には涙の形をした痣がある。この痣はセトにとって楔でしかない。叶うことなら焼いて、腕ごと切り落として、捨て去ってしまいたいと思ったこともある。だが出来なかった。世界の癒しと呼ばれるオエバの存在の有無は本当に世界にとって大事だと知っているのだ。それはたとえ世間一般が思うような清く綺麗な存在ではないかもしれないが、いるといないとでは世界が異なることは確かなことなのだ。それを、セトは秦を含む僧侶から聞いた。

 オエバの印は涙の形をしている。それは世界の、この星の流す涙を意味している。ひいてはそれがオエバの存在意義なのだ。

「……っ」

 突然、セトの胸を痛みが襲った。必死に声を押さえ、ラクルを起こさないようにする。セトは時々こうして痛みに襲われる。それは時間も場所も関係なく、発作的に起きる。その理由はまだはっきりと解明されていないが、代々のオエバは皆セトと同じような症状を持っていたらしい。

「……はあっ」

 暫くすると痛みはおさまり、ホッと息をついた。晒したままだった左手に手袋を嵌め、ラクルに視線を移した。するとまだ彼女は眠っていた。口をぱかりと開き、舟をこいでいるラクルの姿にセトの心は安らぐ。

 その時、丁度馬車の揺れが止まった。何処かの街に着いたのだろうかと思ったセトは幌の外にいる董に呼びかけた。

「董? 街に着いたのか」

 次いで幌の幕を上げようと手を出すと、中に商人が飛び込んできた。

「ぅわ……」

「静かに」

 商人は言うなりセトの頭ごと地面に伏せた。ラクルも床に引き倒され、眠そうながらも目を覚ました。警戒するような商人の様子にただ事ではない緊張を感じる。

「何が起きているんだ」

「それが、わたしもよくわからないんだ。急に馬車を取り囲まれて、少年が立ち上がったと思ったら幌の中に押し込まれてしまった」

「董は外にいるのか」

 セトが立ち上がろうとすると、商人がそれを阻む。

「駄目だよ。今は危険だ。出ちゃあ怪我するだけ、少年の邪魔をするだけ、待っていた方が得策だ」

「邪魔をするだけ? 董一人の方がよっぽど危険じゃないか」

 董が一人外に残っているだけで何が出来るというのか。外の様子はわからないが、激しい物音が外から響いている。セトは武器になるものがないかと幌の中を手探りで探す。しかし商人はやはりセトを留めようとする。

「駄目だよ」

「何故?」

 鋭いセトの視線に商人は頭を掻く。彼は子どもたちを可哀想だとか、座長への恩返しというだけで乗せたのではなかった。

「仕方ないなあ。わたしは護衛としてあの子を乗せたんだ」

「護衛? 董が?」

 歳を訊いたら十五だと言っていた。セトは自分よりも二歳も年下の少年が護衛になれるとは到底思えなかった。そもそも彼女の中にある護衛というイメージは神殿の警備兵たちの印象しかないので董のような弱々しい者が護衛と言われて余計に不安になった。

「わたしたちのような流れ者の間では有名なんだよ、凄腕の少年としてね。といっても今まで一座やごく一部の護衛しかしなかったんだ。わたしにとっては御の字だ」

 外ではまだ激しい音が響いている。金属の弾かれる音がする。そういえばとセトは思いだした。神殿で一番高いところにあるオエバの部屋に、董は難なく現れた。それまで賊が侵入したことはあるが、あんな簡単に入ろうとした者は初めてだった。逃げる時もセトやラクルの息は上がっていたのに、ほとんど乱れていなかった。セトは何故か幌の外を見たくなった。

「……あの、誰か襲ってきているんですか」

 目を擦りながらラクルが質問をする。まだ眠気は抜けていないようだ。

「賊だよ。建国祭の観光やなんかで皆普段よりお金を持っているから、必然的に賊も増えてしまうのさ」

「賊? 盗賊? 大丈夫なの?」

 ラクルがセトの服の裾をぎゅっと掴んだ。幌の外からはまだ剣戟の音が鳴っている。しかしどうやら少し収まってきたようだ。

「まあ、戦えない者はおとなしく待つしかないね。いざとなったら金目のもの全部渡して命乞いするしかない」

「そんな……」

 商人に向ってラクルは顔を顰めた。だが商人は気にしない。命が一番大切なのは彼にとって当然の考えだからだ。

「おい、音が止んだ」

 ラクルと商人の間に少しばかりの衝突が起きている間に、セトは外の変化に気がついた。つい先刻まで耳を打っていた金の音がなくなっている。幌の中に緊張が走る。董はどうなったのだろう。セトは董の様子が気になり、そっと幕の隙間から外を覗いた。

 隙間から見た限りでは何も見えない。賊が倒れている様子も見えなければ、董が勝ち誇っている様子もない。セトは更に幕を広げ、顔を寄せた。すると目の前に突然人の顔が現れた。

「わああ!」

 思わず大きな声を出してしまったセトの前で大きく天幕が開かれる。セトの悲鳴にラクルと商人が震え上がるが、顔を見せたのは董であった。

「まだ賊が?」

 幌の中に顔を寄せる彼に、ラクルが苦笑いを浮かべて頭を振った。

「こちらにはいませんわ。外は、どうなのですか」

「……ああ。もう大丈夫です。片付けました」

 董は幌の中からまた外へ顔を巡らせた。セトたちも馬車の外へ出ると、四人の男が気絶して縄をかけられていた。信じられないが、董がやったのだろう。

「さすがだね。ありがとう」

「いいえ、これも仕事ですから。それより先を急ぎましょう。起きたら面倒です」

「ああ」

 賊の男たちを一瞥すると、董はまた御者台に腰掛けて商人を急かした。

 一対四、しかも董の呼吸はそう乱れていない。無邪気に董に感謝を述べるラクルを横目にセトは眉を顰める。賊と言えばランクはあれど、一般市民が戦って勝てる相手ではない。護衛として有名だと言っても董はまだ子どもだ。彼に何か特別な力があるのだろうか。納得いかない表情で、セトは幌の中に戻った。


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