ぜあ・わー・おぶじぇくと!
お待たせしました。
今話は幾分長くなっております。ご了承くださいませ。
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突き飛ばしによって生まれたエネルギーにより、その場から動き出した影が一つ。
その影はつんのめるように第一歩とその次を踏み出し、三歩目からは疾走を始める。
同じように駆け寄ってくる銀色の少年が自分に向かって突き出そうとしている手刀を見据えながら、影はその右手を自分の横に差し出す。
駆ける勢いはそのままに、その右手は廊下に据え置かれた掃除用具の入った縦長のロッカーの扉を指先でひっかけるように開け、中にある物を掴む。
そのまま前に進みながら抜き取られたのは、一本の自在箒だ。
長い柄の中心あたりを持てば即席の杖となり、武器として叩きつけることができる。
だから、そうした。
「――っはぁ……!!」
「……ぁ……」
だが、ブラシの部分が自分の顔に近付いて来るのを察知した銀色は、貫手を放つために顔の横に構えた手刀を顔の前へと移動させる。
まぶしい日光を遮るように手の甲を額に向け、頭上から迫りくる箒へと手刀を叩きつけるべく振り上げる。
箒と手。両者は一瞬という時間をもってぶつかり、そして、
「……き、る」
何の抵抗もなく、箒は真っ二つされた。
箒の先端、棒とブラシが金属の部品で接合されている個所のすぐ近くに手刀が触れた瞬間、『すこん』という軽い音と共に分けて離される。
その切断面はもともと切れ目があったかのようになめらかであり、おおよそ『人間』が手刀で『叩き折った』ようには見えない。
だが、その認識は間違ってはいない。
その箒は人間以外の存在――『付喪神』によって『切断』されたのだから。
……さすがは刀の付喪神……!
心の内で称賛しながら、もはや柄だけになった箒の中心を握り直すと、振り下ろされた右手に従うように反時計回りに半回転する。
銀色は右手を振りぬき、空中に残された箒のブラシ部分を首をかしげることで避けている。
左手が腰のあたりで構えられていることを含めると、銀色は今、走っている最中故の前傾姿勢のまま体を無防備にさらしている状態となる。
だから、そのまま銀色の方へと倒れれば背中からぶつかるように懐へともぐりこむことができる。
そう思ってその通りの事を行ったが、一つの誤算があった。
体勢の整わないまま、銀色は無理矢理左の手を放とうとしたのだ。
「……ぁあ……!」
無理な姿勢で突き出された貫手に込められている威力は、当然十分ではない。
だが、そこに付喪神としての切断能力が合わされば、首筋の重要な血管を切り裂くには余裕を持って余りある。
銀色に背を向けて全体重をかけた攻撃を放とうとしている今、その必殺の貫手をかわす手段はない。
だが、それでも倒れ込む動きは止まらない。
――いや、止める必要はない。
「……ぁ、あ……?」
背中を見せているためどこを狙っても致命傷となるこのタイミングで、しかし命を刈り取る手刀は放たれない。
銀色はただただうめくような声を上げるのみだ。
そしてその停滞の時間は、そのまま攻撃の時間となる。
「――はぁ……!!」
銀色を後ろに置いたまま、わきの下に棒を通して倒れ込む。
狙いは表面積の大きい胸の辺り。込める力は全体重と腕力。
両手で棒を包むように持ち、綱引きの要領で棒を己の方へ引く。
そうすれば長い棒はわきの下を通り、吸い込まれるように銀色へと向かう。
身動きのできない銀色にもはや避ける術はなく、全ての衝撃を一点に受けたその体は、力なく崩れ落ちた。
「……ふぅ」
戦闘という密度の濃い時間を過ごした体と精神は、休息を求める訴えとしてため息を出させた。
だが、今は職務中であり、仕事はまだ残っている。
なのでその訴えは無視し、まずはつい先ほどまで隣にいた者に声をかけることにした。
「――で、いったい何のつもりなのかしら、雨水君……?」
●
「何のつもりも何も、言った通りですよ。僕が『危ない』から、何とかしてくださいって頼んだんです」
銀色の少年――刃太君が襲い掛かってくるのを見て、まず先に会長を『前へと』突き飛ばした僕は、突き飛ばされて訳が分からないまま大立ち回りをやってのけた会長に向かってそう返した。
「……普通、こういう時は雨水君が率先して戦うものだと思うのだけど?」
「何を言っているんですか。平凡かつごく一般的な人間である僕と、血を飲んだばかりで身体能力が上がっていて、しかも何らかの対処法を知っている会長と、どちらが戦うべきかなんてわかりきってることじゃないですか」
実際、僕が前に出たところで何もできずに真っ二つになっていたのは明白だ。
そんな未来は僕も会長も望まないだろう。
僕の判断は正しいに決まっている。
異存は認めない。
「……まあ、それは確かにそうなんだけどね。雨水君に『下がって』って言ったのも私なんだけど、なんだか釈然としないというか、もう少しためらってほしいというか……」
「大丈夫です。しっかり脳内会議をした結果ですから」
「……ちなみに、どんな会議だったの?」
「僕の中にいるいろいろな僕が意見を戦わせ、そして最終的に満場一致で可決と相成りました」
「いろいろな雨水君? 例えばどんな雨水君がいるの?」
「今の所発見されているのは、『悪魔の僕』と『平民の僕』と『魔王の僕』と『魔神の僕』と『堕天使の僕』と『邪神の僕』です」
「ほとんど全部ダークサイド!? 天使の雨水君とか神様の雨水君とかはいないの!?」
「どっちもいましたけど、僕が十歳の頃に魔王と魔神と悪魔が結託して堕落させました」
「現堕天使と邪神!? そりゃあんな結論も出るわ!! ……なんで雨水君はもっと私に優しくできないの?」
「会長、無茶言わないでください」
「どこが無茶? 心がけ一つでできる事でしょう!? ……あーもう!!」
そう叫び、そしてなぜか頭を抱えてうずくまりプルプル震えだした会長から視線を外した僕は、床に倒れ伏す銀髪の少年に目を向ける。
結構な打撃を受けたためだろう、気を失っているようだ。
「そんなことより、彼は大丈夫なんですか? 結構いいのが入ってましたし、ピクリとも動きませんよ?」
「……ああ、それは大丈夫。ちゃんと加減したし、そもそも付喪神は頑丈にできてるから」
そう言いながら、立ち上がった会長も床に顔を向ける。
その視線の先では、銀髪の少年がうつぶせで倒れていた。
だが、その姿勢は不自然だ。
両足をピンと伸ばしてそろえ、腕も背中で左右の手の甲をあわせている。
それはまるで気を付けの姿勢のようだった。
「……というか、拘束されてるように見えるんですけど、気のせいですか?」
「気のせいじゃないわ。彼は今身動きを封じられているの」
「でも、縄とか見えませんよ? 何らかの不思議パワーですか? 魔法的な神秘ですか?」
「……私の存在自体が一般的には神秘だと思うんだけど、そのあたりはどうするの?」
「会長の事は気にしない方向で行きます。異論は認めません。……で、この拘束を行っているのは誰のどんな能力ですか?」
「――私のこんな能力ですわ」
いきなりその声が響いたのと同時に、僕の手は何かに引っ張られるように頭上へと吊り上げられる。
僕は驚き、それから顔を上に向けて手の様子を見るが、視界に入るのは天井と、高く伸ばされた自分の手だけだ。
……なにが起こってる……?
自分の感覚を信じるならば、僕の皮膚は手首の辺りに腕輪のような締め付けを覚えている。
よくよく見てみれば、実際に僕の手首には皮膚のへこみがぐるりと一周しているのがわかる。
そのへこみ方から、何かとても細い物が巻き付いているようだと推測できる。
そして、さらに注意して見ると、そのへこみからは何か細くて黒い物が伸びていて――
「……これは、糸……?」
「その程度の認識では二十五点が良い所ですわね。残念ながら赤点となりますわ」
何やら小馬鹿にしたような言葉を放ちながら階段を上ってきたのは、髪の長い女生徒だった。
そう、彼女の見た目を語る上で、まず特筆すべきはその髪だ。
確かに容姿は整っているし、体格はスレンダーながらも姿勢は真っ直ぐだ。
身長は高めであり、僕と同じぐらいであろうこともわかる。
だが、彼女を見てまず先に目が向くのは何処かと聞かれれば、百人が百人全員その髪だと答えるだろう。
サラサラと無造作に背後に流された髪はカラスの濡れ羽色。
おそらく何の整髪料も付けていないにもかかわらず、そこに痛みや癖は感じられない。
頭から伸び、背中を通り越してひざの裏あたりまで届くその先端まで、どこを見てもなめらかで光沢があり、それでいて絹のようなしなやかさとはかなさを持つ。
全世界の女性から羨望の目を向けられるような髪を頂くその女生徒は、その女王然とした話し方を差し引いたとしてもどうしたって話題に上ってしまうだろう。
こんなに目立つ生徒の事を、僕が知らないわけがなかった。
だから僕は、拘束を受けたまま彼女に顔を向け、口を開く。
「……こうやって話すのは初めましてになりますね。二年生の人方 櫛音さん」
「あら、私の事をご存知で?」
「もちろん。この学校の女生徒であなたを知らない人なんかいませんからね。有名ですよ、その髪の毛」
僕のその言葉に、人方さんは口の端をゆがめ、
「女性の褒め方としてはどうかと思いますが、私の事を知っていたことと、身動きが取れないながらもその堂々とした態度を維持したことは評価できますわね。――五十五点」
でも、と彼女は続け、
「その状態で、私に何かされるとは思いませんの? 今のあなたは身動きの取れない、磔にされた囚人も同然です。……私がちょっと手心を加えれば、その首を絞めて差し上げることも可能ですわよ?」
そう言いながら、彼女はすっと僕の首を指さす。
すると僕の首に何かが巻き付いたような感触があり、しかもそれはだんだんと、しかし確実に強くなってきているように思える。
そして、なにがしかの方法で僕の首を絞めつけているのであろう人方さんは、楽しそうに笑いながらささやく。
「さあ、このままいけば窒息か、あるいは斬首刑の再現となるか……。私の裁量一つでどうとでもなりますけど、どちらがお好みですの?」
「……どちらもお断りですね。その気がないのだったら今すぐこの悪ふざけをやめてください」
「あら、どうして私にその気がないと?」
半分笑みを浮かべながらも首をかしげてそう問いかける彼女に、僕ははっきりと告げる。
「この学校は、あなた方のような人たちの訓練施設であると聞きました。ならば、そこの彼のように正気を失っているのならばともかく、あなたのような冷静な方が人間に危害を及ぼすとは考えにくい。……だから、これは自分の能力を明かすための演出だと判断しました。……いかがですか?」
「……そのすました態度は少々癪ですが、判断自体は悪くありませんわね。及第点を差し上げてもよろしいでしょう」
そう言いながら彼女はフッと僕から目を逸らす。
それと同時に腕と首から何も感じなくなり、僕は自由に動けるようになった。
僕は手首を見、首をさすって痕がない事を確認しながら、会長の方へと向かった人方さんへと視線を向ける。
その先には、手を組んで不敵な笑みを会長へ目を向ける人方さんと、微笑みながらそれに応じる会長の姿があった。
「ありがとう、人方さん。彼の最後の攻撃を止めてくれたばかりか、拘束までしてもらっちゃって」
「感謝の言葉は必要ありませんわ。私はただ、そこで哀れに寝そべる彼の粗相をいさめに来ただけなのですから。……それより、どうしてあんな無茶な真似をしましたの、赤水さん。あれじゃあ私がいなければどうなっていたかわかりませんわよ?」
眉を顰めてたしなめるようにそう言う人方さんに、会長は笑顔を浮かべながら、
「彼とぶつかる直前にあなたの髪の毛が伸びてくるのが見えたんだもの。いざとなれば助けてくれるってわかってたわ」
「あの一瞬でそこまで見越してましたの? 相変わらず狡猾さだけは百二十点ですわ」
呆れたように皮肉をぶつける人方さんだが、会長はその程度ではへこたれない。
「褒めてくれてありがとう。……そして、心配してくれてありがとう、人方さん」
「……不要な言葉を何度も言うのはあなたの趣味ですの? そして褒めてはいませんわ。皮肉も通じないおばかさんには三十点しかあげられませんわね」
「あら、ぎりぎり赤点回避。ラッキー!」
「その図太さも、二百点……」
笑顔を浮かべたままの会長へ、人方さんはそう言った。
だが、そのあきれ果てたような顔とは裏腹に口元は歪んでおり、当人も楽しんでいるのだということが察せられる。
おそらく日ごろからそこそこの付き合いがあるのだろう、言葉を交わしあう二人からは、気負いのない、とても自然な雰囲気が感じられた。
僕はそんな彼女の事が気になり、話の継ぎ目に無理矢理入っていくことにした。
「会長、この方は……?」
「――ああ、人方さんは……なんというかその……、そう、日本人形の付喪神なのよ」
言いにくそうに口ごもりながらもそう言った会長の態度に僕が首をかしげていると、隣に立って会長の顔を見ていた人方さんは『あらあら、』と笑い、
「ずいぶんと持って回ったような説明をなさいますわね、四十五点の言い方です。……そんなにもったいぶらず、呪い人形の付喪神と言っていただいても構いませんわよ、赤水さん?」
「……呪い……?」
人方さんの口からこぼれた不穏な単語に反応してついつい復唱してしまった僕は、次の瞬間会長ににらまれてしまった。
「ちょっと、雨水君――」
「構いませんわ。私から言い出したことですし、何よりまぎれもない真実です。……赤水さんのその優しさは百点ですけど、私だって過去と向き合いたくなる時だってありますわよ?」
「……でも……」
「『辛い事から逃げているだけでは現状維持にしかならない。辛いことを飲み込み、自分に取り込みながら進むことで初めて新しい世界が見えてくる』。私をこの世界へと連れ出してくれた恩師の言葉です。点数はつけられませんわ」
何か別の物を見るように遠い目をした人方さんは、黙り込んでしまった会長を見て苦笑し、それから僕に目を向けると、
「改めまして、私は人方 櫛音、学年は二年生で特技はお裁縫と髪結い。そして種族は髪の毛が勝手に伸びる呪い人形の付喪神です」
髪の毛、という言葉に眉を顰めた僕に気が付いたのか、『上出来ですわ。六十五点』と言いながら人方さんは続ける。
「そう、髪が伸びるというその特性は今でも――今だからこそ十全に発揮できます。私の髪は私の意思により自由自在に動き、かつ強靱無双。最大数百メートルほどまで伸ばせ、手足のように扱えるその髪の毛で、私はなんでも百点でこなせますわ」
そう言いながら人方さんは自分の髪の毛をざわざわと動かして見せる。
風もないのに動く彼女の髪の毛は、さながらタコの腕のようにうねうねと動いていた。
たった四本の手足を動かすことすら十全にこなせない人間からすれば、十万本ほどもあるといわれる毛髪の一本一本をあそこまでばらばらに動かせるというのは、想像することすらできない行為だ。
「じゃあ、さっき僕を縛ったのは……」
「ええ、私の髪の毛です。やっとあなたも百点満点の理解が得られたようですわね」
髪の毛から力を抜いたのか、重力に従って垂れ下がるだけとなった黒の流れを手で払い、人方さんは満足げに言う。
僕は自信に満ちた表情で腕を組んでキメている人方さんとその隣で切断された箒のブラシ部分を拾い上げて何とかつなげようと無駄な努力をしている会長を交互に見て、それから比較的頼りになりそうな人方さんに尋ねることにする。
「……とりあえず、人方さん発の疑問は解けましたけど、根本的な疑問がまだ残ってます。……なんで鏨 刃太君は僕たちに襲い掛かってきたんですか?」
「それも簡単な事ですわ。……彼、鏨 刃太さんは刀の――人切り包丁の付喪神。その事実は彼の持つ百点の切断能力と、魂に植え付けられた本能として現れてしまうのです」
「人を切ることを望まれた道具である彼は、自分の意思を持った今もなおその思いに縛られている、ってわけ。だから大体月一ぐらいの周期でこんなふうに暴走しちゃうのよ」
箒の補修を諦めたのか、それぞれの手に箒の柄とブラシ部分を持ちながら若干落ち込んだ様子の会長も会話に加わってきた。
『後で予備の箒を補充しとかなきゃ……』とつぶやいてから、会長は続ける。
「だから、そうなったときに彼の相手をして普通の生徒に被害が出ないようにするのも私達のお仕事の一つ。その時の注意として、絶対に怪我をしないこと。彼を止めるときに彼自身が最低限の怪我をするのは彼も容認してるけど、それでも必要以上にやるのはダメ。もちろん他の人が傷つくのは論外よ。彼自身もそんなことは望んでないし、もしそうなったとしたら深く心を痛めるでしょうね」
「……怪我をしないようにというのは簡単ですけど、実行するのはかなり大変ですよ? なんたって相手は刀なんですから、素人の僕じゃ相手にもなりませんし……」
「何言ってるのよ。刃太君自身も剣の腕は素人よ?」
会長のその言に『は?』と眉を顰めた僕へ、人方さんが話しかけてきた。
「別に、付喪神すべてが自身の扱いを完全に心得ているわけではありませんわ。私たちが百点満点に慣れているのはあくまで『使われる』事であって、『使う』という行為はこの体を得るまで不可能ですもの」
「そもそも、彼がこの学校へ入った目的は他の人と同様に『人間社会に溶け込む』ことよ。現代社会の人間が人切り包丁の扱いに長けているというのは、あまり聞かないわよね?」
「良く聞くようなら大問題ですね」
『でしょう?』と相槌を打つように言った会長は続けて、
「だから、彼の戦闘能力は手足を用いた切断能力さえなんとかしてしまえば、そこらの一般人と大差ないのよ。彼自身鍛えて強くなろうという意思がないのだから、当然なのだけどね」
「それに、もう一つ確実な対処法も存在しますから、彼女のように危なっかしい二十点の立ち回りをする必要もありませんわ。もう一つの方法なら、少し時間を稼ぐだけで百点満点の解決が望めますもの」
「仕方ないでしょう? そっちの手段をしっかり説明する前に戦闘が始まっちゃったんだから」
「その部分も含めて危なっかしいのだと――あら?」
また二人の口論が始まろうとしたとき、人方さんは怪訝な顔をして言葉を止めた。
僕と会長は何事かと顔を見合わせるが、すぐに彼女が止まった理由に気が付く。
「……音……?」
僕らに異変を伝えたのは、妙な音だった。
その音は何か細い物を引きちぎるような高くかすかな音だったが、しかし何回も何回も続けて響くことでその存在感を増している。
そして、その音を奏でているのは――
「……ぁ、ぅ?」
拘束を解き、フリーになった手足で再び立ち上がろうとしている刃太君だった。
「……人方さん。あなたの髪は強靱無双だったんじゃないんですか? ぶっちぎられてますけど?」
「本当ですわね。床に触れるのが嫌だという理由で髪の傷んだ部分だけで拘束したのは流石に失敗でしたわ。私、二十五点」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょう? 早く会長を生贄に僕の身の安全を手に入れないと……!」
「雨水君はいつになったら私にデレてくれるの? いい加減にツン期が長すぎると思うのだけれど」
そんなことを言っている間に、銀髪の少年は完全に立ち上がると先ほどと同様に手刀を構えて臨戦態勢を取る。
その刀の向く先はもちろんすぐ近くにいる僕たちだ。
「……本気でまずいですね。会長、さっきみたいな大立ち回り、できますか?」
「さすがにこの近距離だと切られる方が早いわね。人方さん、もう一度拘束できる?」
「もう何度も拘束しようと試みていますわ。ですが、その全てを悉く切られてしまっています。理性の無い状態とはいえ、何度も食らった拘束は効きにくくなってしまったようですわね。生意気ですわ、四十五点」
表面上は冷静を保ちつつも内心ではかなり焦っている僕に対して、会長たちの表情は余裕そのものだ。
話している内容から勝算は全く見込めないが、おそらく先ほどの『もう一つの方法』とやらを使うつもりなのだろう。
「あとどれくらいだと思います?」
「出会った瞬間に手は打ったから、もういつ来てもおかしくないはずよ」
「それは重畳。久しぶりに高得点を差し上げてもよろしくてよ?」
「あら、それはどうもご丁寧に」
「……随分余裕ぶちかましてますね。お二人ともかなりの勝算があるようですが、どんな手を使うつもりなんですか?」
「――なにを言っていらっしゃるの? 私達に勝算なんてあるわけがないでしょう。状況を良く見て言葉を言いなさいな。五点」
「……は?」
先ほどまでの自信たっぷりな会話はどこへ行ったのか、弱気なことを平然と言ってのけた人方さんは、しかし笑みをさらに強くして、
「ええ、『私達に』勝機はかけらもありません。――ですから、あなたにすべてを託しますわ、『沙耶さん』」
そう言いながら、人方さんは刃太君の方を見る。
正確には、その向こうから廊下を走ってくる一人の女生徒の方を、だ。
「……こぉの――」
比較的小柄に見える彼女のリボンタイの色は彼女の所属が一年生であることを示している。
短めに整えられた髪の毛はつやのある黒色。
そしてその手にあるのは、一メートル強程もあるかという細長い何かだ。
眉を立てたその表情は怒りの色をありありと放っており、叫びと共に振り上げられ大上段へと構えられたその細長い棒を物音に気が付いて振り向こうとした銀髪の少年の脳天へと振り下ろしながら、
「――手間をかけさせるんじゃないよ、この馬鹿兄貴!!」
そう叫び、手に持つ棒と刃太君の頭との間で鈍い音を響かせた彼女は、ゆっくりと崩れ落ちて床に伏せった彼を荒い息を整えつつ踏みつけると、
「……ふぅ、ああ疲れた疲れた」
そう言いながら、手に持った棒を肩に担うようにして数回トントンとこりをほぐすように肩へ叩きつける。
なぜかその様は妙に似合っており、僕は自分よりも年下の彼女へと、まるで一流の職人へ向けるような尊敬の念を抱いてしまうのだった。
●
「……さて、皆有名人だから知ってる顔ばかりだけど、私の事を知らなそうな人が一人だけいるみたいだし、自己紹介から入ろうかね。私はこの愚兄の妹で、鏨 沙耶ってんだ。よろしく頼むよ」
そう言いながら空いた手を僕に向けてきた彼女は、僕が反射的に差し出してしまった手を柔らかく握るとにっこりと笑う。
その笑顔は、かわいいというよりもむしろ清々しいと表現したほうが正しいようにも思えてくるものであり、この短時間で彼女の性格をなんとなく掴むのに十分な材料となりえる物だった。
彼女の言の通りならば、床に倒れている刃太君とそれを踏みつけている彼女は兄妹のはずなのだが、どうも似ているところが見当たらない。
髪の色は銀と黒、すらっとして健康的で元気いっぱいな彼女に比べて兄は病的と表現しても良いほどのやつれ方、背丈も同じか妹の方が少しだけ高いぐらい。
そして、それ以前に、
……付喪神に――物に兄弟姉妹がいるのか……?
そんな僕の怪訝そうな表情に気が付いたのか、沙耶さんは少し首をかしげ、それから僕の腕に目を向けると『ああ、』と納得したような声を上げて、
「あんたもこっち側の事情を知ったみたいだね。じゃあ改めて自己紹介のし直しだ。私は鏨 沙耶。この学校の一年生で、表向きはこの愚兄と双子の兄妹ってことになってる。……んで、鞘の付喪神だ」
「……鞘の、付喪神?」
「そ、これだよ、これ」
いまいち意味が良く飲み込めていない僕に彼女が掲げてきたのは、先ほど足元に倒れている少年を昏倒させた棒だ。
それは、よくよく見てみれば丁寧に漆の施された、しかしそれ以外の飾りが一切ない鞘だった。
「私はこの愚兄――刀身と同時期に作られた、こいつを納めるための鞘なのさ。意識や人間としての体を手に入れたのはこの愚兄よりも大分後になったから、一応こいつを兄として扱ってる」
そう言いながら彼女は刃太君に乗せた足をぐりぐりと動かして彼を踏みにじっている。
なんとなく趣味が合いそうだな、と言う感想を抱きながら、僕は近くでニヤついていた会長に顔を向ける。
「彼女が、さっきから話に出てきてた『もう一つの方法』ですか?」
そう尋ねると、会長はその笑みのまま、ちょっとだけ得意気に話す。
「そういうこと。刀の付喪神を――正確に言えば刀身の付喪神を抑え込むには、やっぱり鞘が適任だから。どういう理屈か良くわからないけど、沙耶ちゃんだけは刃太君を一方的に無力化できるのよね。だから刃太君が暴走しているのを見つけたら、まず真っ先に沙耶ちゃんへと連絡を入れるのよ。そうしてから怪我をしないように時間を稼いで沙耶ちゃんの到着を待つのが、一番確実で安全な方法なの」
「……なるほど」
僕はそう言って頷くと、再び沙耶さんに目を向ける。
その先では、もはや刃太君の上に立ってしまっている沙耶さんが、器用にバランスを取りながら人方さんに頭を下げていた。
「人方さん、愚兄を止めるお手伝いをしてくれて、ありがとう。毎度世話をかけちゃってごめんね?」
「別に、今回も偶々通りかかっただけです。彼を止めるために動いていたわけではありませんわ。零点の勘違いをしないでくださる?」
そっぽを向きながら冷たい声でそう言う人方さんだったが、その綺麗な眉はきつくひそめられている。
その表情がなんとなく気になった僕は、沙耶さんに向かって尋ねてみた。
「……人方さんは、今までも何度かこういう事を?」
「いえ、決してそんなことは――」
「うん、今まで愚兄が暴走した時、毎回のように現れてはその髪の毛で拘束してくれてる。おかげで今の所、愚兄は一人も人を傷つけずに済んでいるんだ」
「――ちょ、余計なことを……!」
あわてて沙耶さんの言葉を止めようとした人方さんだったが、皆の視線が自分に向いていることに気が付くと、少しだけ顔を赤らめてからコホンと咳払いをし、
「……別に、彼のためにどうこうしているつもりはありません。これはただの同族嫌悪――あるいは同類相憐れむと言っていただいても構いませんが、その程度の物でしかありませんわ」
そう言って踵を返しながら、『彼を運びます、手伝いなさい』と沙耶さんへと声をかける。
さりげなく声をかけているつもりであった人方さんを気遣ってか、沙耶さんは苦笑を浮かべつつも刃太君から飛び降り、腕を掴んで引っ張るように立ち上げさせると腕の下に体を通し、肩を貸すような姿勢を取った。
非力な女性ではとても維持できない姿勢に見えるが、隣に立つのが髪の毛使いの人方さんである以上、人には見えない形で何らかの手助けをしているのだろう。
その状態のまま顔だけ僕らの方へ向けた沙耶さんと人方さんは、軽く頭を下げると、
「……私達はこのおばかさんを保健室まで運んでいきます。お二人はお仕事をせいぜい及第点を得られる程度には頑張ってくださいませ。では、ごきげんよう」
「じゃあね、会長さん。……庶務さんも、これからよろしく」
そう別れの挨拶を僕たちに投げかけて、三人はゆっくりと階段を下りて行った。
その姿が見えなくなるまで見送ってから、僕は大きく息を吐く。
「なんだか、随分と濃い時間を過ごしてしまいましたね……」
「まあ、雨水君にとってはそうかもね。でも、まだまだ序の口よ?」
「……みたいですね。まだ生徒会室から二十メートルも離れてないですし」
時間にしてわずか十数分足らず。
振り返れば先ほどまで自分たちがいた部屋が見えるという状態で、これだけ濃い体験をしてしまった。
これから学校中を回ればどれだけの体験が待っているのかと考えただけで疲れがたまりそうだ。
そして、緊張が去って体の力が抜けたところで、新たな疑問が僕の心に浮かんできた。
「……それにしても、同じ付喪神と言っても随分雰囲気が違うんですね。特にあの兄妹は」
「そうかもしれないわね。……でも、付喪神はどの個体も基本的に『人間好き』っていう特徴があるのよ?」
「そうなんですか? ついさっき思いっきり人切りに襲われたんですけど……」
「まあ、彼の場合は少々特殊だから。それでも普段の彼は親人間的よ? おかしくなるのは月に一度だけ」
「……ふぅん」
先ほどの狂気に満ちた動きを思い出しながらそう呟くと、会長は苦笑を浮かべ、
「物が付喪神になる条件はね、『人間に大切にされること』なのよ。大切にされればされるほどその思いが器物に宿り、やがてそれは魂へと変わっていく……」
僕の目を見て語りかけてくる会長の言葉を、僕は黙って聞く。
「そうやって魂を得て見た目を変えられるようになったモノたちは、自分を大切にしてくれた人間と同じになりたくて、人間の姿を得るの。そして同じように人間たちを大切に思い、生きて行こうとする」
『でも、』と会長は言葉を区切り、
「でも、大切に扱われはしても、そのやり方には様々あるわ。丁寧に、心を込めて扱われても、その根底にあるのが愛情か畏怖かによって結果は大きく変わってくる。付喪神はその想いが器物に宿り、魂を成した存在。だからその魂は、込められた想いに引きずられてしまう物なのよ」
「……じゃあ、刃太君は……」
「彼はもともと、より多くの人を切るために名もない刀鍛冶が丹精込めて作り上げた一振りの刀だった。だから彼はとても大切に扱われたの。――人を切るために、ね」
息をのむ僕へと優しい目で笑いかけた会長は、それでも彼の事を話し続けた。
「人を切っては手入れを受け、また人を切る。それだけ大切にされてきたから、彼が自分の意思を持つのも早かった。……だけど、意思を持つのが早すぎた。本来ならば人の体を得るための力がたまらないまま、今と同じぐらいの意思を持ってしまったの」
「……じゃあ彼は、一時期『思考能力を持った刀』になってたわけですか?」
「そういう事。……だから、彼は悩んだ。自分を大切に扱ってくれる、大好きなニンゲンを切って殺さなければいけないという矛盾に。そして、そう考えるうちに、彼はこう思うことにしたの。『自分の存在意義は、人を切って殺すことなんだ』って。――そうでもしなきゃ、せっかく彼が得た魂も、簡単に壊れていたでしょうね」
「………………」
自分の意思とは関係なく自分を使われ続け、その果てに『自分の意思を環境に適応させてしまう』という選択肢を取った、という事なのだろう。
本来の関係から逆行する状態だが、『自分を守るため』という目的の元、彼は無意識でその道を選んだ、という事だ。
「だから、今も彼はその思いに引きずられ、振り回されているの。自分という存在の根幹をなす、魂に刻まれた思考が、今もまだ色濃く残っているから」
「……治す方法は、無いんですか?」
「彼は人間と同じ精神を持っているから、対処法も概ね人間と同じね。必要なのは地道なカウンセリングと周囲の協力、たったそれだけ。そんな簡単に治る物でもないし、急いで治したら今度こそ彼の魂が壊れちゃう」
『一度決めた方向性は、なかなか修正できないの』と会長は続ける。
「だけど、彼自身も現状の自分が間違っているということはわかってる。だから私たちはその意思を尊重し、少しでも彼が望む方向へと進めるように協力するの」
「その協力って言うのが、沙耶さんであり、人方さんであり、僕たちである、と?」
「そういう事になるわね。特に沙耶さんは、自分の身内ってこともあって積極的にやってくれてるわね。届けとかは出してないけど、実質的に刃太君の『協力者』になってるし」
『それに、』と会長はさらに続け、
「沙耶ちゃんは刃太君と違って、普通に大切にされ、普通に付喪神となった。……それだけに、刃太君が苦しんでいるのを見て、『彼の一番近くにいながら彼を支えてあげられなかった』って、一時はかなり荒れてたらしいけど、ね。彼女がここに来て彼を支えているのは、そんな理由よ。――もちろん、彼女自身も人間との生活を楽しんでいるみたいだけどね」
「まあ、要するにカウンセリングとリハビリテーションのために来ているわけですね。……じゃあ、なんで人方さんは彼らに協力しているんですか? さっきは同族がなんとか、って言ってましたけど……」
僕の問いに、会長は少しだけ顔をゆがめ、
「……あー、まあ、彼女も刃太君と似たような境遇だから。――さっき、彼女の正体を聞いたでしょう?」
「はい、『髪の毛が伸びる呪い人形の付喪神』だって……」
「そう、髪の毛が伸びるという不思議を物の段階から抱えていたために、腫れ物に触るかのように大切に扱われ、さらには畏怖という強い思いを浴びせかけられ続けた末に付喪神となったのが、彼女よ。自分を『呪いの人形だ』と定義され続けた付喪神がどういう魂を得るか……もうわかるでしょう?」
影を浮かべる会長の顔と、そして会長の話す内容から、僕はある結論に達する。
「……じゃあもしかして、人方さんも以前は……?」
「ええ、呪いの人形として『人を不幸にしなければならない』と魂に刻み込まれてしまい、出会う人すべてを髪の毛でからめ捕り、苦しめようとしていた時期があったそうよ。……まあ、今ではしっかりと日常生活を送れるぐらいになっているけどね」
「だとしたら、人方さんが鏨さんたちに協力してるのは……」
「かつての自分と同じことをしている彼を見過ごせなかったんでしょうね。もともと面倒見のいい人だったし、実力的にも問題はなさそうだから、大丈夫でしょう。先人の意見を聞ければ彼にとってもプラスになるだろうし、こちらから依頼する手間が省けたと考えるべきでしょうね」
『さて、と』言いながら伸びをして体をほぐした会長は、手に持つかつて箒だったモノをもとあったロッカーに放り込むと僕の方を見て、
「連続して協力的な人達に会えたことだし、せっかくだから私達に協力してくれる人たちをコンプリートしちゃいましょうか。いざという時に頼れる人を把握しておけば、これからの仕事もスムーズになるでしょうし」
「……そうですね。誰彼かまわず協力を求められる案件ばかりじゃないですし、そうしてくれるとありがたいです」
「よし、それじゃあ気を取り直して元気に行ってみましょうか!!」
元気よく右の拳を天に突き上げ、会長は先陣を切って歩き出す。
なんとなく『吸血鬼じゃなくて犬っぽいな……』と思いながら、僕はその後についていく。
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……さて、そんな感じでお送りしました。
ちなみに、冒頭で私の得意技『裏切る』が発揮されています。←
また、今話では新しい登場人『物』が三人ほど出てきましたので、ご紹介いたします。
・人方 櫛音
種族:付喪神(和人形)
能力:自分の髪の毛を自由に操作できる
備考:もともとは活守 櫛音という名前でしたが、苗字があまりにも読みにくいため改名したという裏話があったりします。
趣味は髪結いと編み物ですが、その他にも隠れた趣味として漫画を『描くこと』があったりするという裏設定も……。
その自由自在な髪の毛を駆使して超人的(当たり前)なスピードで作品を仕上げる凄い人です。
……ちなみに、その内容はもれなく隅々まで腐ってます。
・鏨 刃太
種族:付喪神(刀身)
・鏨 沙耶
種族:付喪神(鞘)
備考:刀の付喪神はいろいろな作品で出てくるけど、鞘ってのはあまりいないかな……? という安直な理由で生み出された二人組。
その割に練りに練られた(?)暗い過去を持っているのは拙作全般におけるお約束。
刃太君は結局まともな言葉を一言も話しませんでしたけど、普段は普通に話せます(丁寧語で)。
ちなみに当初の予定では喧嘩っ早いだけのキャラでしたが、なんとなくキャラが軽くなってしまったのでバーサーカー(?)になってもらいました。
また沙耶さんのキャラも最初とはかなり変わってます。
当初は兄と正反対の気弱なキャラ(呼び方も『お兄ちゃん』)にするつもりでしたけど、書いているうちに姉御肌(妹なのに姉御とはこれいかに)になりました。
……まあ、気にしない気にしない。←
とまあそんなわけで、幾分遅くなりましたが、無事最新話を投稿できました。
段々と忙しい時期に入ってきましたので、次の投稿がいつになるかはわかりませんが(たぶん恐怖の『この作品は~』表示が出ると思います)、見捨てないでいただければ幸いです。
また、最後になりますが、ここまで読んでくださったあなたに、最大限の感謝を。
では、またいずれお会いしましょう。
失礼します。