わーく・いず・はーど!
長らくお待たせしました……。
やっと調子が出てきたので、本編の投稿です。
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「……さて、それじゃあ気を取り直して、校内の見回りでもしましょうか」
河原先輩襲来の余波により少々妙な空気になっていた生徒会室に、会長のそんな声が響き渡る。
『人体の可能性と神秘』について考えふけっていた僕もそれにより思考の渦から脱し、会長にならうことにして、会長へと顔を向ける。
「そうですね。もう放課後ですし、生徒会の仕事をしないといけませんからね」
この学校において、生徒会の持つ権力はかなり大きい。
またそれに伴い、生徒会役員がこなさなければいけない業務も多くなってくる。
普通の学校ならば生徒会の職務とはあくまで表面的な物でしかなく、教師の監修の下に執り行われることがほとんどだ。
だが、この学び舎においてはその法則は当てはまらない。
学校運営のための予算案の作成から始まり、校則や年中行事の決定・取り仕切り、さらには生徒からの相談事を受け付け・解決することも業務に入っている。
勿論大きな仕事の際には各委員会や教師と連携して動くが、その先導や指揮も生徒会の仕事である。
現に今も他の三人の役員は各方面に散って業務を遂行中である。
……まあ、裏の業務を執り行うためにもその方が楽だったんだろうけど……。
学校における中心が生徒会である以上、そこに業務全般を集中させた方がやりやすかったのだろう。
その分僕たちの仕事が増えて忙しくなるのは困ったものだが、今までその表側半分しかこなしていなかった僕は文句を言える立場にない。
「じゃあ、今日は僕が西側を回りますから、会長は東側をお願いします」
この学校の敷地面積は広大であり、そのため見回りを行う際は手の空いている役員全員が散り散りになって行わなければ全体をカバーすることは難しい。
だから今日の見回りも僕と会長とで二手に分かれようとしたのだけど、
「――ああ、今日は私と一緒に行きましょう」
という会長の言葉で僕は引きとめられてしまった。
常では考えられない提案に、『かなりおかしかった会長も、ついに業務に支障が出るほど変になったのか……』と思いながら、まあとにかく理由を聞いてからひっぱたいてまともな会長に戻そうと判断する。
「――と言う訳で、どうしてそういう考えに至ったのかきりきり説明しろください」
「命令なのか尊敬なのか良くわからない言葉使いはやめなさい。それにちゃんと意味はあるから」
呆れたような表情を浮かべた会長は、会長用の机の引き出しをあけ、何かを取り出すと僕の方へと差し出してきた。
それをよく見てみれば、緑色の帯を短い輪っかにしたような形状をしていて、この学校の名前と校章に並んで『生徒会 庶務職』と印字されている。
「――腕章、ですか? しかも庶務職用の。僕もうこれ持ってますけど……」
そう言いながら、僕は会長の机のすぐ隣にある僕の机の引き出しを開け、そこから同じく緑色の腕章を取り出す。
それは今会長が差し出してきたモノと寸分たがわぬ腕章であり、僕がいつも見回りや職務の際に着けている物だ。
違いらしい違いと言えば、僕の持っている物の方が少々すすけている程度で、それも大したものではない。
だからまだまだ使えるし、愛着のような物もある。
今新しい物に換える意味はないと思うのだけれど……。
「ええ、そっちは雨水君にあげるわ。その代り、今度からはこっちを付けてお仕事して頂戴」
会長にそう言われ、差し出された腕章を受け取ってよく見てみる。
そして、遠目で見たときには気が付かなかったこれまでの物との違いに気が付いた。
「……学校名と役職に、英語が書いてある……?」
よくよく腕章を見てみると、日本語で書かれたそれぞれの漢字のすぐ上に、それぞれを英訳した物であるアルファベットが小さく並んでいた。
「そう、それが今までの物との違い。……まあ、布の方も前のより厚くて丈夫になってるんだけどね」
そう言いながら微笑む会長に、僕は視線を送って説明を求める。
会長はそれを受け、一つ頷くと、
「雨水君の腕章を新しくしたのは、これまでと立場が変わったからよ」
「……立場? 『協力者』の事ですか?」
『ご名答』と会長はおどけた調子で言い、それから自分の腕に付けている腕章を僕に見せてきた。
その腕章にも、英語が書いてある。
「今まで気が付いてなかったでしょうけど、生徒会役員の腕章は二種類あるの。一つは、昨日まで雨水君が付けてた『一般役員用』の腕章。これは文字通り普通の役員が付ける腕章ね」
『そして、』と会長は続け、今度は自分の腕章を指さしながら、
「今まで私が付けていて、今日から雨水君も付けることになるその腕章が、『協力者用』の腕章。これを付けてるってことは、自分が協力者であり、そちら側の――人外側の相談も受け付けます、っていう意味も表すの。一時的にとはいえ協力者になった雨水君は、こっちを付けることになるわね」
「……なるほど。これを付けていれば、一般生徒にはばれないように自分が人外関係の知識を持っている、と示せるわけですね」
「そういうこと。この学校に通っている私たち側の生徒は全員この腕章の意味を理解してるから、雨水君がそれをつけてるってわかった瞬間挨拶してくると思うわ。これからお世話になるかも知れない人だから、顔を覚えてもらっておいた方が良いって考えるだろうし」
……要するに人外ホイホイか……。
若干――というかかなり失礼なことを考えつつ、僕はその腕章を腕に巻いた。
新品のためいつもつけ慣れているものよりも少しだけ固く感じる腕章を止め、角度などを調節してだらしなくならないようにする。
そうして僕が出撃準備を整えたのを確認すると、会長は一つ頷き、
「それじゃあ行きましょうか。一応雨水君は『協力者(仮)』ということで、仮期間中は研修という意味も込めて私と一緒に校内を回ってもらうわ。その方が雨水君も安心できるでしょうし、わからないことがあってもその都度聞いてくれれば私が解説できるし」
「……まあ確かに、ここで全校生徒の情報を紙で見せられるよりはわかりやすいですね。でもいいんですか? 僕と一緒に行くと、見回りの効率が悪くなりますよ?」
ただでさえ二人しかいない人員を一緒に歩かせれば、見て回れる範囲は単純に考えても半分。さらに僕に対しての講義を行いながらゆっくりと進まなければいけないことを考えると、巡回範囲はさらに狭くなる。
毎日の見回りの際に寄せられる意見の数自体は、新しい環境になれず混乱の多い四月に比べればだいぶ少なくなったとはいえ、それでも日に数件はある。
そのどれもが大した問題ではなかったとはいえ、極々まれに放置すれば大きな問題になりかねない物も有った。
今日この日にそんな問題が巻き起こらない保証などどこにもない現状で貴重な人員をまとめてしまうのは、少々どころではない問題だろう。
「まあ、それもそうなんだけど、一応他の三人にも業務の合間に見回りをやるようにお願いしてあるから、そこまでひどい事にはならないはずよ。それに、いざとなったら最後の手段もあるし」
「……最後の手段……?」
なんだかとっても危ない響きだが、何故だか気にしてはいけないような予感がしたため、まあそういう事なんだろうと流すことにする。
ともあれ、会長が大丈夫だというのなら大丈夫なのだろうと判断した。
せっかく他の三人が作ってくれた時間を無駄にしないためにもさっそく出発しなければならない。
「さて、それじゃあさっそく出発しましょうか」
「そうですね。さっさと勝手を覚えてしまわないと、会長はともかく他の三人の仕事が増えてしまいますからね。会長はともかく、それはさすがに悪いですから。会長はともかく」
「三回も言ったわね? 生徒会長である私をハブる発言を三回も言ったわね?」
重要だったので仕方ない。
「ほら、油売ってないでさっさと行きましょう。時間は待ってくれませんよ?」
「……いろいろ言いたいこともあるけど、まあいいわ。お仕事をやる気になってくれるのは良い事だし」
……うん、少し言い過ぎたかな……?
せっかくいい反応をしてくれていたのに、精神的な疲労のせいで若干投げやりになってしまっている。
もう少し手加減しておかないと、僕が楽しめないな。
仕方ない、何かしら会長を甘やかす手立てを考えないと……」
「……途中から声出てるわよ?」
「ええ、わかっててやってます」
「だと思ったわ……」
心底呆れたようにそう呟いた会長は、黙って扉へと歩き出し、その後を何も言わずに僕が続く。
……楽しい会長いじりの時間はいったん終わり。これからは、生徒会の時間だ。
その仕事が一気に倍になってしまったことは一度棚の上に放り投げ、僕は安息の地であった生徒会室を会長と共に出る。
魑魅魍魎が跋扈する、新しい日常へと。
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放課後になって少しだけ時間が経った校内に残っている生徒はあまりいない。
残っている生徒も、大抵は友人と話し込んでいるか自習しているか、あるいは部活動にいそしんでいるかのどれかに属する。
そのため、生徒会室を出た二人を待ち受けていたのは、夏の暑い空気だけだった。
「……やっぱり暑いわね……」
「まあ、夏ですからね。仕方ないでしょう」
空調の効いた教室内にいる生徒がほとんどのため誰もいない廊下を見渡している僕と会長の肌は、もうすでにうっすらと汗ばんでいる。
しばしの間これからの業務を考え辟易していた僕たちだったが、ここで止まっていても仕方ないと思い直し、先に進もうとしたところで――
「――あ、アヤちゃん!」
不意にすぐ近くの教室――三年生の物だ――の扉が開き、中から一人の女生徒が現れた。
教室を出てすぐのところにいた会長に気が付いて愛称を呼びながら歩み寄ってきたのは、一人の女生徒だった。
全体的に丸っこく、ショートヘアが涼しげなその女生徒のタイの色は、彼女が三年生の先輩であることを示している。
その先輩の眠たげな視線を受けて、会長は笑みをこぼしながら、
「あらタマちゃん。今から帰るの?」
と返す。
タマちゃんと呼ばれた彼女については、僕も知っている。
……というか、業務をこなしているうちに特徴的な生徒については大体把握しちゃっただけなんだけど……。
問題が起こって相談しに来た生徒はもちろんの事、良い悪いにかかわらず目立つ生徒の噂を耳にする機会が多い立場上、僕達生徒会役員はその手の知識が豊富だ。
だから、目の前で会長と話している彼女――西東 珠先輩の事も、少しだけなら知っている。
……一言でいえば、『ネコみたいな人』なんだっけ……?
直接対面したのは今回が初めてでも、他の人との話題に上ることが多い人でもあるし、遠くにいるのを見かけたこともある。
そして今、間近で会長と楽しそうに話しているのを見て、その意見が正しいということを確信した。
一見のんびりしているように見えて、彼女の視線は彼女の周囲に向いている。
その様子はまるで野生に生きる獣のようでもあり、しかし何処か無防備さも感じてしまう。
野生の掟に縛られ、しかし自由にふるまう存在。
……確かに、ネコみたいだ。
人間に近付き、しかし不用意に手を差し出すとひっかいてくる。
警戒心と無防備さを兼ね備えた存在。
そんな矛盾じみた雰囲気を、彼女は出している。
「――ん? あれ? そっちの庶務くん……」
と、会長と話している最中、西東先輩は不意に僕へと目を向ける。
正確には、僕ではなく、僕の肩の辺りへと。
……まさか、この人……?
そんな予感を胸に、僕は彼女の前へと一歩歩み寄り、
「初めまして、生徒会庶務職の雨水 影太です。よろしくお願いします」
と、軽い会釈と共に挨拶をした。
その様を西東先輩はまじまじと眺め、それからもう一度僕の腕章に目を向けてから会長へと顔を向け、
「なんだアヤちゃん、ついに噂の庶務くんまで引き込んじゃったんだ?」
「妙な言い方しないで。ちょっとした偶然が重なってこっち側の事情を知っちゃっただけよ」
そのちょっとした偶然を生み出した会長を、僕は思い切り張り倒していいと思う。
ともあれ、やはり西東先輩は『そちら側』の人なのだと判明した。
「ふーん、なるほどね……」
何かを納得したような表情を浮かべながら、西東先輩は今度こそ僕の顔を見てにっこりと笑い、
「じゃあ、もう知ってるかもしれないけど改めて自己紹介しておこうか。私の名前は西東 珠。趣味はのんびりすることで、特技はものまね。これからいろいろお世話になるかもしれないから、よろしくね?」
「ええ。こちらこそ、よろしくお願いします。……ところで、特技のものまねってなんですか? 猫の真似ですか?」
握手をかわしながら尋ねた僕の問いに、一瞬きょとんとした西東先輩だったが、すぐに何事かを理解したのか『あはははは……!』と笑いだした。
何故急に笑いだしたのか理解できなかった僕は、すぐ近くで同じようにくすくす笑っていた会長に顔を向ける。
すると会長は笑みに口をゆがめたまま、僕に向かって首を一つ横に振り、
「違うわ雨水君、それは逆。タマちゃんが上手いのは猫の真似じゃないのよ」
と、笑み交じりの震えた声で言う。
そしてやっとのことで笑いが収まった西東先輩は、目元に浮かぶしずくをぬぐってから『つまりね、』と言い、
「私が真似してるのは――」
と、西東先輩が僕に顔を近づけてくる。
互いの顔と顔の距離がどんどんゼロに近付いていく中で、互いの視線がしっかり合っていることを確認した西東先輩は顔をぴたりと止めて目を瞑る。
そして片目だけをゆっくりと開くと、
「――ニンゲンの方、だよ?」
猫の目が、そこにあった。
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目の穴全体を覆い尽くすほどに大きな虹彩は白目の部分をほとんど見せず、瞳孔は縦に真っ直ぐ伸びたスリット状。
金色に近い茶色の虹彩は、外からの光を蓄えているかのようにぼんやりと光って見える。
僕の、文字通り目の前に見えるモノは、明らかにニンゲンの持つ目ではなかった。
「……これでわかったかな? まだわからないようだったら耳も生やすけど?」
そう言いながら顔を遠ざけ、西東先輩は面白そうに笑う。
先ほどの目は瞬き一つする時間で、もう元の人の目に戻っていた。
「……つまり、西東先輩は『猫の真似をしている人間』ではなく、『人間の真似をしている猫』だってことですか……?」
若干疲れた声で僕がそう尋ねると、目の前の二人はにっこり笑う。
「ご名答。良くできました」
「さすが生徒会役員だね。理解が早くて助かるよ」
なんだか微笑ましそうな顔で見られてしまった。
少々苛立たしくはあるが、まあ実際この二人から見れば僕は若輩であることは間違いのない事実であるし、我慢しよう。
「……でも、西東先輩が『ネコっぽい』って言う評価はかなり広まってますよ? 人の真似が得意だって言うのに、それでいいんですか?」
「だからいいんじゃないの。『ネコっぽい人』ってことは、あくまで個性的な『人間』だと思わせてるってことなんだから」
「……そういうものなんですか?」
そう会長に返しながらもなんだか納得できない僕を見かねてか、西東先輩は『あはは……』と笑って、
「あのね庶務くん。上手く人をだます場合は、その嘘に小さな真実を混ぜておくと上手くいくの。例えば私の場合、猫のしぐさをすべて抑え込んで『完璧な人間』を演じると、どうしたって細かい所に無理が出てきちゃうでしょう? 本性は猫のままなんだから」
「……そう、ですね」
良くわからないまま相槌を打つと、西東先輩は一つ頷き、
「逆に、日ごろからところどころに私の本性――つまり猫の動作を混ぜ込んでおくと、もし万が一うっかり意識していない猫の動きが出てしまった場合でも、周囲の人は『いつもの事か』って受け流してくれる」
「つまり、いい意味での『おおかみ少年』ね。真実を嘘で巧妙に隠してしまうから、実際に耳やしっぽを出してしまわない限り正体がばれたりはしないでしょうね」
「……なるほど、大きな嘘に足りない説得力を小さな真実で補う訳ですね……」
「そういう事。何事も真っ直ぐ正直にやるばかりじゃ上手くいかないんだよ?」
そう言いながら労をねぎらうように僕の肩をポンと叩いた西東先輩は、傍らに立つ会長に顔を向け、
「ごめんねアヤちゃん。悪いけど、私これから行くところがあるから……」
と、困ったような顔で言った。
話を向けられた会長は、一瞬よくわからないといった顔をしていたが、すぐに『ああ、』と声を上げ、
「おばあさんに会いに行くのね、わかったわ。気を付けていってらっしゃい」
「うん、ありがと。じゃあねアヤちゃん。庶務くんも」
西東先輩はそういうと鞄を持ち直し、僕たちに背を向けて歩き出す。
と、彼女は不意に歩みを止め、顔だけで振り向きながら肩ごしにこちらを見て、
「二人とも、仲良くしてね~。末永くお幸せに~」
とんでもない爆弾を投げ込んで行った。
「――ちょ、何言ってるのよタマちゃん!?」
「不吉な事言わないでくださいよ、西東先輩。縁起でもない」
「………………………………」
「なんですか会長。僕の顔に何かついてますか?」
「……なんでもないわよ」
妙なことを言われて憤っているのか少しだけ顔を赤くした会長は、西東先輩に反論した僕をじっと見つめてきた。
そのじっとりとした視線を不思議に思い質問しても、会長は顔をそむけてしまう。
首をかしげる僕とそっぽを向いたままため息を吐く会長を見て、西東先輩はけらけら笑う。
「あはははは! ……さて、いつまで見てても飽きないけど、あんまり待たせてもいけないから、今度こそじゃあね!」
空いている手をひらひらと僕たちに振りながら、西東先輩は前を向いて歩きだす。
もう振り返る気配のない彼女を見えなくなるまで見送ってから、僕たちは一つ息を吐き、
「……なんだかどっと疲れましたよ。自由な方ですね……」
「まあ、猫だしね。正確には猫又だけど」
「……猫又……?」
唐突に西東先輩の種族らしい名称を告げられて混乱する僕に、会長は少し考えてから口を開く。
「猫又、って言う種族には諸説あるけど、彼女の場合は長く生きた猫が特殊な能力を得た、という事例が当てはまるわ。尾は生きた年数により二本以上に分かれ、変化の能力を持ち、時に人を襲うこともある、そんな種族よ。――もっとも、彼女が人を襲うという選択肢を取ることはないでしょうけど」
『人を襲う』という不穏な言葉に眉を顰めた僕へ、会長は安心させるように言葉を付け足した。
「彼女自身、猫又の中でもかなり長い時間を生きてる強力な固体よ。尾の数も五本。……正直、そんな彼女が親人間派だからこそ、猫又が人を襲うという事件が起きにくくなっているといえるわ」
『本気になったら、血を十分に飲んだ私でも敵わないでしょうね』と会長が呟くように言った言葉を受け、僕はもっとも重要であろう推測を述べる。
「……つまり、西東先輩は若作――」
「――その先を言ったら引っかかれるわよ? 女の子に歳の話題が禁忌なのは人間もそれ以外も一緒なの。加えて彼女は耳も良いわ。猫だから」
絶対零度の瞳で僕を射抜いた会長は、ため息一つで表情を元に戻す。
「もしかしたら今の言葉も聞こえてるかもしれないわね。今度会ったときに私からのフォローは一切ないと思って、せいぜい気を付けておきなさい」
「……またたびでも常備しておけばいいんですか? それだったらすぐにでも探し出してきますけど――」
「――それだけはやめておきなさい。それを持って近寄った瞬間半殺しにされるわよ」
若干おどけた調子で放った僕の言葉は、会長の真剣なまなざしと言葉に打ち消された。
「……西東先輩は猫なんですよね? だったらまたたびをプレゼントすれば喜ぶかと思ったんですけど……」
「普通の猫だったら喜ぶのかもしれないけど、彼女は人間以上の思考能力を持った猫又なの。……雨水君、猫にまたたびをあげたらどうなるか、知ってるでしょう?」
「酔っ払ったようになるそうですね。僕は実際に見たことないので伝聞形になりますけど」
「そう、またたびを与えられた猫は酩酊状態になり、しばらくはその状態が続く。その間、どうしても無防備になるわ」
「……猫として、動物として、自分を無防備にしてしまう相手は排除しなければならない、と?」
そう言った僕に、会長は『それもあるけど、』と前置きして、
「彼女は猫又。猫の性質を持つと同時に人間としての社会性も持ち合わせる存在なの。……普通の女の人は、自分が前後不覚になってとろけてしまった状態を誰かに見られたいとは思わないでしょう? それと同じことよ」
『ああ、なるほど……』と納得した僕に、会長はさらに続けて言う。
「同じように、ここに通う人間以外の生徒は、ほぼ全員種族としての特性と人間としての社会性を持ち合わせているの。だから、接する際にはその両方の面で接するようにしないと、妙な誤解を生むことになるわ。注意しておいて」
「……わかりました。肝に銘じておきます」
僕の答えに満足したのか、会長は一つ頷き表情を元に戻す。
いつも通りの笑顔を浮かべた会長に、僕はふと気になったことを尋ねる。
「そう言えば、西東先輩はどこに行ったんですか? おばあさんに会いにいくって言ってましたけど、猫だった西東先輩に、きちんとしたおばあさんがいるとは思えないんですけど……」
「……ああ、その事ね……。タマちゃんが行ったのは、タマちゃんが普通の猫だったころにタマちゃんを飼っていた人間のおばあさんの所よ。月に一度ぐらいの頻度で会いに行ってるらしいわ」
「ああ、なるほど。それなら納得できますね。……その人は、西東先輩が猫又だって知らないんですか?」
「知ってる知らない以前の問題よ。だって、その人はもう随分前に亡くなってるんだから」
「……え?」
亡くなってるって、それじゃあ西東先輩は……。
「タマちゃんが向かったのは、隣の県にある霊園よ。月に一回って言うのは、おばあさんの月命日だから。本当は誕生日にも行きたいらしいんだけど、そもそもおばあさんの誕生日がわからなくなっちゃったらしくていけないんですって」
「……………………」
なんといっていいかわからない僕の顔を見て、会長はおかしそうに、しかしどこか悲しげな顔で笑う。
「随分面白い顔してるわね。……別に驚くことじゃないわ、良く考えればなんとなくわかるでしょう? 数十年生きている猫又が、せいぜい二十年も生きない普通の猫として一般家庭で過ごせるわけがない。正規の手段ではないにしても、人としての戸籍まで得ているタマちゃんみたいな人なら、なおさらね」
『何日も家を空けたら行方不明扱いになっちゃうし』と、会長はふざけた調子で言い、
「彼女が猫又になったのは、生まれてから二十年程経ったある日の事だったそうよ。そして、それに気づいた彼女はその力で家を飛び出し、何年かいろいろな所を旅して、そしてふと戻ってみたら、おばあさんは亡くなっていて、家も空家になっていたらしいわ」
「……………………」
「そのおばあさんは、ずいぶん前に子どもたちが独り立ちしてしまって、旦那さんも亡くし、家に一人で住んでいたそうよ。だから、たった一匹の同居人であった迷いネコを『タマ』と呼んでかわいがっていたんですって」
「……西東先輩は、そのおばあさんの事をどう思っていたんでしょうね……?」
「さあね。……まあでも、ここに来る際に戸籍を作るって話になって、これから長い間ついて回る事になる自分の苗字を、おばあさんの苗字である『西東』にした、という事実から何を思うかは雨水君の自由よ。……本当の事は彼女にしかわからないし、彼女もわざわざ語ろうとはしないでしょうけど」
そう言って肩をすくめた会長を見て、僕は思う。
期せずして得た自分の力に万能感を覚え、それに酔い、好き勝手にふるまい、そして大切な人を孤独にしてしまったということに気が付いて、その頃にはもうその人は失われてしまっていた。
後悔しか、なかっただろう。
自由気ままに世界を楽しむ猫の、その生の一部を縛ってしまうほどの後悔を得てしまった彼女は、どんな思いでその人のもとを訪れているのだろうか……。
どんな思いで、どんなことを、墓石に語りかけているのだろうか……。
「……まあ、この問題だけは彼女自身でしかどうこうできないから、私達が沈んでたって無意味よ。さっさと業務に戻りましょう」
「……そう、ですね。そうしましょうか」
何とか気分をもとの状態に盛り上げた僕は、会長と一緒に先ほど西東先輩が出てきた教室の中を覗く。
そこには人影はなく、いくつかの机に荷物が置かれているだけだ。
ざっと見渡して誰もいないということを確認すると、隣の教室へと移る。
同じように見て回った結果、この階には僕たち以外の生徒がいないらしい。
誰かの残滓しかない階を後にして、僕たちは下の階へ降りようと階段へ向かい――
「……ぁ……?」
――一人の生徒と出会った。
●
三階から階段を降りようとした僕たちと対面したのは、一人の男子生徒だった。
肩までかかるほどの銀色の長髪を揺らしながらふらふらとしたおぼつかない足取りで階段を登ってくる小柄なその姿は、さながら病人のようにも見えた。
「――刃太君……? なんでこんなところに……」
会長はそう呟くと、スカートのポケットから携帯を取り出して誰かへとメールを打ちだした。
それを横目で確認しながら、僕は会長に尋ねる。
「……会長? 彼は一体……」
「目を離さないほうが良いわ。彼は鏨 刃太君。今年入ってきた一年生だけど、こっち側の人で、しかもかなり要注意な子よ」
「危険って、具体的にはどういう感じですか?」
ぼそぼそと言い合っている間に、件の刃太君は階段を登り切り、僕たちに近付いてきた。
とりあえず会長と共にゆっくりと後ずさりながら、会長の話を聞く。
当の会長は簡単な文面を打ち終え、携帯をしまってから、
「彼の種族は付喪神、しかも刀の付喪神よ。そしてその性格――というか性質は、」
「……性質は?」
「――人切り」
「滅茶苦茶危険な存在じゃないですか!?」
「……まあ、対処法さえ知ってれば何とかなるんだけどね」
そう言いながら、会長は腰を軽く落として身構える。
同時に少しずつ距離を詰めてきた刃太君が、何かを呟いているのが聞こえてくる。
「…………る……。ひ……らな……」
うつむき気味なその顔はまっすぐに伸びた銀色の前髪に隠れ、ぶつぶつと呟くその口元以外を隠してしまっている。
ふらふらと左右に揺れながら歩いてくる彼は、不意にその歩みを止めた。
そして、肉付きの薄い右手をゆっくりと僕たちの方へと向ける。
五本の指をピンと伸ばしたその手刀は、まさに一本の刀に見えて――
「……きる。……ひと、きらなきゃ……!!」
気迫を込めた一声と共に、先ほどまでのおぼつかない足取りからは考えられないほど鋭い動きで、刃太君は駆け寄ってくる。
その目標は、どう考えても僕とその隣に立つ会長で――
「雨水君、早く下がっ――!?」
僕は、一気に距離を詰めてくる彼を見ながら、
「――危ないですよ、会長」
会長をドンと突き飛ばした。
●
さて、いかがでしたでしょうか?
いつも通り、登場する妖怪たちの設定はいろいろといじってありますので、細かい部分がおかしいかもしれませんが、気にしないでいただけると幸いです。
今回登場した人外の内、後の方に出てきた一人は次回紹介しますので、今回は自由なお姉さんである猫又さんについてお話します。
名前:西東 珠
種族:猫又
年齢:調査員がひっかき傷だらけで発見されたため、不明
備考:
最初は単純に天真爛漫な猫お姉さんとして生まれ、その後何故だか重い過去を背負うことになった、私の作品内では一般的な成り立ちのキャラ。←
……というか、重い過去を背負ってない人の方が少ない。
名前の由来は人間の苗字をもらう予定だったので『普通に有りそうな苗字』と『猫でも人でもありえそうな名前』を考えてくみあわせた物。
この学校で学ぶ理由は、おばあさんの暮らしていた人間社会で実際に生活してみたかったから。
人間の演技が上手いので、学生生活も上手い事行っている。
さすがは亀の甲より年の《ここから先は何かに引き裂かれたかのようにボロボロになっているため、判別不可能》
とまあ、こんな感じのキャラです。
さて、次回はこのお話では珍しい――というかそれ以外はたぶん出てこないと思われる――戦闘シーンです。
果たして、彼らはどうなってしまうのか!?
また、いつものように誤字脱字報告・ここはもっとこうしたほうが良いというご意見・感想・きちんと筋の通った酷評など、ぜひ感想まで御気軽にどうぞ。
また、最後になりますが、
ここまで読んでくださった貴方に、最大限の感謝を。
では、失礼いたします。