朝鮮語の種
初めての執筆となります。
時代考証などが甘い部分がありますがエンターテインメントとしてお楽しみください。
※1-5話を納得のいく形に改稿しました。
既に目を通していただいた皆様も再度ぜひ読んでいただけたら嬉しいです。
天文十年(一五四一年)の夏。与六は八歳だった。
晴康のもとで読み書きと算盤を学びながら、もう一つのことを並行して進めていた。
朝鮮語である。
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朝鮮語には、独自の文字がある。
訓民正音——のちにハングルと呼ばれる文字体系だ。
朝鮮王朝の第四代国王・世宗大王が一四四三年に創製し、一四四六年に公布した。
それ以前の朝鮮では、漢字を使って朝鮮語を書き表していた。しかし漢字は習得が難しく、民衆には読み書きができない者が多かった。
世宗大王はこれを憂い、朝鮮語の音を正確に表せる独自の文字を作る。
訓民正音は子音十七字と母音十一字で構成され、組み合わせることであらゆる朝鮮語の音を表記できる。「訓民正音」とは「民を教える正しい音」という意味だ。
しかし創製から百年も経っていないこの時代、訓民正音はまだ民衆に広く普及しているとは言えなかった。
外交文書は依然として漢文が主流で、対馬と朝鮮の間の公式な書状も全て漢文で書かれていた。
対馬の商人たちが朝鮮人と交渉するとき使うのは、口頭の朝鮮語だ。文字ではなく音として覚えた言葉である。
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その「音として覚えた朝鮮語」を、俺は三年かけて耳から吸収してきた。
港に来る朝鮮の商人の言葉を聞き続けた。毎回同じ場面で同じ言葉が出てくる。
荷の確認のとき使う言葉。値段を交渉するとき使う言葉。挨拶の言葉。謝る言葉。怒る言葉。
繰り返しを通じて、意味が少しずつ形になってきた。
厳原の港には、月に一度か二度、朝鮮の商人が来る。
正規の歳遣船ではない。
壬申約条の枠外で動く、非公式の商人たちだが、宗家の黙認のもとで細々と取引をしている。
その中に、一人の老商人がいた。六十がらみ。白い髭が長く、着ているものは質素だが品がある。
毎月ではないが、季節ごとに港に来て、荷を降ろして帰っていく。
俺は以前から、この老商人に話しかけようと考えていた。
この時代において、朝鮮の商人と直接話せる日本人は極めて少ない。
通詞——通訳者——を通して話すのが普通だ。
しかし通詞を通すと解釈を加えられて相手に届く。大事な話は、直接した方がいい。
それに——俺には下心があった。
朝鮮側の需要を、直接聞きたかった。どんな商品が不足しているか。どんな品質が求められているか。
将来の交易設計に使える情報を、今から積み上げておきたかった。
ある日の朝、老商人が一人、港の端に座っていた。交易の荷を降ろし終えて、一人で海を見ていた。
俺は声をかけた。朝鮮語で。
「안녕하십니까(アンニョンハシムニカ)。お疲れのところ、失礼いたします」
老商人が振り返った。驚いた顔をしていた。
「……日本の子供が、朝鮮の言葉を話すのか」
「少しだけにございます。聞いて覚えました」
「耳がいいな。いくつだ」
「八歳にございます」
「八歳か」
俺は次の言葉を考えた。
聞きたいことがある。対馬から朝鮮に渡る商品の中で、何が最も需要が高いか。
どういう品目が、朝鮮側で不足しているか。それを知れば、将来の交易設計に使える。
しかし——どう切り出すかが問題だ。
初対面の相手に、いきなり商売の話を持ち込むのは——俺の経験上、警戒を生む。
クライアントとの最初の会議でも、いきなり「御社の課題は何ですか」と聞いてはいけない。
まず関係を作る。関係ができてから本題に入る。
「なぜ朝鮮の言葉を覚えようと思うた」
老商人が聞いた。
「いつか、朝鮮の方と直接お話ししとうございました。通詞を通さずに」
「なぜ直接話したい」
「通詞を通しますと、言葉の重さが変わります。同じことを伝えても直接言うより軽くなることがございます。大事な話は直接した方がよいと存じまして」
老商人は少し笑った。
「八歳にしては、変わったことを言う」
「よく言われます」
(ここだ)
俺は次の言葉を選んだ。
「朝鮮では今、どのようなものが不足しておりましょうか」
老商人の表情が——変わった。
開くかと思った。しかし変わったのはそういう変化ではなかった。
少し警戒の色が出た。目が細くなり、俺を改めて測るような視線になった。
「八歳の子供が、なぜそのようなことを聞く」
「いつか商いをしとうございます。向こうが何を必要とされておるかを、今から知っておきたいと思いまして」
「……」
老商人はしばらく俺を見た。
そして——立ち上がり、港の方へ歩いていった。
「それは、儂が答えることではないな」
俺は少し固まった。
(失敗した)
老商人の足音が遠ざかっていく。俺はその背中を見ながら、自分の失敗を分析していた。
答えは明らかだった。
初対面の八歳の子供に「何が不足していますか」と商売の話を直接聞かれた老商人にとって、それは複数の警戒を引き起こす問いだ。
「この子供は何かに使おうとしている」という疑念。
「この情報を誰かに売るつもりか」という疑念。
あるいは——「この子供の背後に誰かいるのか」という疑念。
俺は情報を引き出そうとして、先に警戒を引き起こした。
(聞く前に、与えるべきだった)
与えるとは——金や物ではない。
この場合は、俺がすでに持っている情報を先に差し出すことだ。
「俺はお前から情報を取ろうとしているのではなく、交換しようとしている」というシグナルを最初に出すべきだったのかもしれない。
わかっていることとできることは違う——という教訓を、俺は今日また身をもって学んだ。
相手が持っているものを引き出したいなら、まず自分が持っているものを先に差し出す。
しかし実際の場面になると、その当たり前のことを忘れた。頭の知識が体の動きに追いつかなかった。
その夜、与七に話した。
「朝鮮の老商人に話しかけたが、失敗した」
「何をしたんだ」
「商売の話を直接聞いたんだが、相手が口を閉じた」
与七は少し間を置いた。
「聞く前のスタンスを間違えたのか?」
「そうだ。俺は情報を取ろうとした。向こうはそれを感じた」
「次はどうする」
「来月、また来るはずだ。そのときは——俺がまず何かを与える。
港の潮の流れの情報でも、船の入り方の知識でも。先に与えれば、向こうも与えてくれる」
与七は少し頷いた。
「俺は当たり前だと思っていたことを、実際にやり損なった。それだけだ。次はできる」
「……兄貴が失敗を素直に認めるのは、珍しいな」
「失敗を認めなければ、次に進めない。それだけだ」
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翌月、老商人が再び港に来た。
俺は声をかけた。今度は違う入り方をした。
「先月は失礼いたしました。少し考えていたことがございましたゆえ」
老商人が振り返った。先月俺に話しかけられた子供だ、と思い出したようだった。
表情は今のところ中立だ。追い払う気はないが、歓迎する気もない。
「対馬から釜山への航路で、この季節に注意すべき潮の流れを、港の漁師の方たちから聞いて覚えました。よろしければお伝えします」
老商人は少し間を置いた。それから、ゆっくりと座り直した。
「……聞こうか」
俺は知っている限りの潮の情報を話した。
どの季節にどの海流が強くなるか。対馬海峡のどの地点で特に注意が必要か。
鰐浦から釜山に向かうとき、朝の何刻に出ると潮が有利か。
老商人は黙って聞いていた。時折頷いた。情報の精度を確かめながら聞いている目だ。
話し終えると、老商人は少し間を置いた。それから言った。
「よく知っておるな。八歳にしては」
「毎日港を見ておりますゆえ」
「……銅じゃ」
俺は静かに待った。
「朝鮮では銅が足りぬ。仏具や農具の原料として、需要が高い。正規のルートで入ってくる量では足りぬ。足りぬ分は——別のルートで動いておる」
「かたじけのうございます」
「また来なさい。朝鮮の言葉をもっと教えてやろう」
俺は深く頭を下げた。
失敗して、分析して、やり直した。次は通った。
これが——俺が学んだことの本当の意味だ。「知っている」のではなく「できる」ようになること。
その違いは、失敗を通じてしか埋められない。現代で積み上げてきたこともこの時代に転生して改めて使ってみるまでは、本当の意味で「できる」ことにはなっていなかった。
その夜の麦飯は、少しだけ美味かった。
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【佐伯与七】 天文十年・夏 対馬北部
兄から「失敗した」という話を聞いたのは珍しかった。
兄はいつも正確に動く。計算が外れることはほとんどない。しかし今回は、外れた。
「わかっていることとできることは違う」
兄がそう言ったとき、与七は少し安堵した。
兄が失敗を認めて、次に向けて整理していた。それが——与七には、兄らしく思えた。
現代の造船工場でも、設計図の通りに動かない部品があった。図面では合っているはずなのに、実際に組み上げると微妙にずれる。そのずれを体で覚えるのが職人の仕事だった。理論と実際の間の「ずれ」は、理論だけでは消えない。体で何度も経験して、初めて消える。
兄は図を描くことは得意だろう。
しかし今日、兄は「実際に組み上げたら微妙にずれた」という経験をした。
それでいい、と与七は思った。
兄が失敗を経験するたびに、兄の理想は実現に近づいていく。
完璧な図面より、一度失敗した図面の方が、次は正確になる。
しかし与七には、もう一つ別の感慨があった。
兄が「失敗した」と言うとき——珍しいことに、その言葉になんの含みもなかった。事実として言っている。怒りもない。落ち込みもない。ただ「失敗した」という事実を確認して、次に向けて動いている。
(こういう人間が、大きなことを成し遂げるのかもしれない)
与七は静かに思った。
失敗を認められない人間は、失敗から学べない。失敗を引きずる人間は、次の動きが鈍くなる。失敗を事実として受け取って、次の一手を考える——それが、兄のやり方だ。
現代でも与七はその「失敗から学ぶ速さ」を持つ職人を尊敬していた。
ここにも同じ気質を持つ人間がいる。それが自分の双子の兄だということが——与七には、単純に誇らしかった。
夏の対馬の海は、光が強い。
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