老僧の目
初めての執筆となります。
時代考証などが甘い部分がありますがエンターテインメントとしてお楽しみください。
※1-5話を納得のいく形に改稿しました。
既に目を通していただいた皆様も再度ぜひ読んでいただけたら嬉しいです。
天文九年(一五四〇年)の冬、現在の宗家当主である宗晴康と初めての邂逅を得た。
与六が七歳になった年の、ある寒い朝のことだ。
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宗晴康はどういった人物であったのか。
生まれは文明七年(一四七五年)。一五四〇年現在で六十五歳だ。宗氏の分家にあたる豊崎郡主・宗盛俊の次男として生まれ、兄が家督を継いだため出家した。
建総院宗俊と号し諸国を遍歴する僧として長年生きてきた。
九州各地の寺を回り時に朝鮮半島への渡航も経験したと言われている。
ところが天文八年(一五三九年)、この老僧の運命が急転する。
甥にあたる宗将盛が家臣団の反発を受けて追放されたため後任の当主として「担ぎ出された」のだ。
六十五歳での還俗と家督継承。担ぎ出した側の首謀者は守護代・佐須盛廉で俗世経験のないこの新当主のことを「言うことを聞く飾り物の当主」として使えると踏んでいたのだろう。
しかし晴康は佐須の計算通りには動かなかったようだ。
還俗直後こそ家中の様子を静かに見ていたが、半年もすると自ら交易の実務にも介入を始める。
老齢ながら宗氏の権力強化に努めていくことになる。
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その日の朝、与六はいつものように帳場の石段に座っていた。
冬の朝の石段は冷たい。着ているものが薄いと腰から冷えてくる。
さすがに幼い体には答えたが、可能な限り毎日足を運んだ。
寒さより、得られる情報の方が価値がある——そう判断していたからだ。
足音が聞こえた。複数の人間が歩いてくる音だ。慌てた足音ではない。
ゆっくりと、しかし確実に近づいてくる。
顔を上げると、老人が立っていた。
背は決して高くないが、背を張りピンとした立ち姿だ。
日に焼けた顔に深い皺がある。武家の着物を着ているが——どこか、人を落ち着かせるの静けさが残っている。
供の武士が二人、少し後ろに立っている。
目が——静かだ。俺を見ている。品定めでも追い払おうとするわけでもなく、ただ静かに見ている。
何かを確かめようとしている目だ。
(この男が、宗晴康だ)
直感した。根拠のない直感ではない。この老人の目の性質が——権力を持つ人間の目だ。港の端の石段に座った七歳の子供を見るとき、ほとんどの大人は素通りするか、追い払うか、憐れむかだ。
しかしこの老人は——「見ている」。何かを評価しようとして見ている。
「お前が毎日ここに座っておる子供か」
声は穏やかだが、芯がある。
「はい」
「名は」
「与六と申します」
「与六か。どこの子じゃ」
「流れ者にございます。この港の近くに住んでおります」
晴康はしばらく俺を見た。視線を外さない。
こちらが居心地悪くなるような圧迫感はない。ただ——見ている。
「何をしに来ておる」
「港を見ております」
「港の何を見ておる」
正直に言うか、子供らしく答えるか。俺は少し考えた。
この老人には——正直に言った方がいい気がした。子
供らしく「船が好きでございます」と答えればこの場は無難に終わだろうる。
しかし無難に終われば少しだけ傾いている自分への関心が失われる可能性が高い、
この老人との接触を、無難に終わらせる理由はない。
「荷の動きを見ております。どの船がいつ来て何を降ろして、何を積んでいくか。
それを毎日見ております」
晴康は少し目を細めた。「なぜそのようなものを見る」
「面白うございますゆえ。荷の動きを見ておると、この港が何で生きておるかがわかります」
「何でわかる」
「朝鮮から来る船は、降ろす荷より積む荷の方が少のうございます。ですが博多へ行く船は、朝鮮から来た荷をそのまま積んでいきます。ということは——対馬は朝鮮と博多の間に立って、荷の仲介をしておるのだと存じます。仲介することで、この島は収益を得ております」
「それだけか」
「いいえ。もう一つございます」
「言ってみろ」
「帳場の窓から帳場の様子が見えます。船頭が書付を持ってくるたびに帳面に書き込んでおりますが——確認が雑でございます。書付があるかどうかだけ見て、中の数字をちゃんと確かめておらぬ日がございます」
供の武士が少し動いた。緊張しているのだろう。
七歳の子供が帳場の確認の甘さを指摘した——その意味を、供の武士は感じ取ったのだろう。
しかし晴康は静かなままだった。
「確認が雑だと、何が起きる」
「数字が合わなくなっても、わからなくなります。帳面の上では正しい数字が書かれておっても、実際に動いた荷の量と食い違いが出ます。その食い違いを——誰かが利用できます」
「誰かが、とは」
「……それはまだわかりませぬ。帳面の中を直接見たことがございませぬゆえ」
晴康はしばらく俺を見た。長い沈黙だった。冬の風が吹いた。石段の冷たさが、また腰に来た。
(この沈黙は、試されている)
俺は動じなかった。動じる必要がない。
言えることは全部言った。言えないことは言えないと言った。それ以上でも以下でもない。
「読み書きはできるか」
「少しだけにございます」
「算盤は」
「見たことはございますが、使うたことはございませぬ」
「朝鮮語は」
「時々、港に朝鮮の商人が参ります。その方々の言葉を聞いておりますと、少しずつ意味がわかってまいりました」
「聞いておるだけで、わかるのか」
「完全にはわかりませぬ。ですが——何度も同じ言葉が出てまいりますゆえ、だいたいの意味は。
荷の確認のときに使う言葉と、値段を交渉するときに使う言葉は、だいぶ聞き取れるようになりました」
晴康は少し間を置いた。それから静かに言った。
「与六。明日、儂のところへ参れ」
「……はい」
「読み書きと算盤と、朝鮮語の基礎を教えてやる。場所は港から北へ半刻のところにある屋敷じゃ。門番に「晴康様に召し出された」とでも言えば通してもらえるだろう」
俺は深く頭を下げた。「かたじけのうございます」
晴康は踵を返した。供の武士たちがついていく。
その背中が角を曲がって見えなくなるまで、俺は頭を下げていた。
頭を上げたとき、胸の中で何かが動いた。
この老人は——ただの「担ぎ出された飾り物」ではない。七歳の子供が港の石段に座って荷の動きを見ていることに気づき、自ら声をかけ、何を見ているかを正確に聞き出し、読み書き算盤を教えると言った。
帳場の確認の甘さを指摘されても、動揺しなかった。むしろ——その先を聞いてきた。
「誰かが利用できます」という言葉の意味を、この老人はすでに知っているのだろう。
知っていて、俺がどこまで見えているかを確かめていた。
(あるいは秀でている類の人間かもしれない)
その夜、与七に報告した。
「晴康様に声をかけていただいた。明日から読み書き算盤を教えていただける」
与七は少し驚いた顔をした。
「……晴康様が直接か」
「ああ。港の荷の動きを話した。帳場の確認が甘いことも」
「……それで、当主が直接動かれたのか」
「そうだ。晴康様は——帳場の記録に虚偽があることを、すでに知っておられる。
ただし証拠がない。俺が帳場の確認の甘さを指摘したとき、晴康様の目が少し変わった。
「こいつは何かを見ている」と思われたんだと思う」
「晴康様は——信頼できる人間か」
「信頼できると思う。ただし——こちらの手の内を見せるのは、まだ早いな。少しずつ確かめながらになる」
「わかった。俺は北部の情報収集を続けるよ。兄貴が晴康様のところで動けるようになれば、俺の情報が重要になる」
「頼む」
与七は立ち上がり、夜の闇へ消えた。
与六は一人で夜の港を見た。冬の対馬の夜は、風が強い。
おそらく十年はかかるだろう。しかし——動き始めた。
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【宗晴康】 天文九年・冬 厳原
帳場の石段に座っていた子供のことが、頭から離れなかった。
流れ者だと自分で口にした童。名は与六。
港をと荷の動きを見ているようだ。帳場の確認が雑だと言った。
そして——「誰かが利用できます」とあえて口にした。
七歳の子供が、それを言ったのだ。
晴康は部屋で一人、炭火を前に座っていた。老人の体には、冬の夜は堪える。
あの子供は何者なのか。
七歳の子供が港の石段に座って、三ヶ月間毎日荷の動きを見てい流というだけでも変わり者だろう。
それだけでなく儂の問いに意図を察した上で見事に答えたのだ
それは——何を意味するか。
この子供は、帳場の意図的な虚偽に気づきかけている。
佐須盛廉が帳場から不正に抜いている差分に——七歳の子供が気づきかけているのだ。
(怖い子じゃ)
怖いとは——脅威という意味ではない。この時代に、こういう目を持った子供がいることへの、純粋な驚きだ。長年僧侶として生き、多くの人間を見てきた。賢い子供も、鋭い子供も見てきた。しかし——あの子供の目は、そのどれとも違う。
七歳にしては——あまりにも諦念が混じっているようにも思う
何かを、長く見てきた人間の目だった。七歳の子供には到底積み上げられるはずのない経験があの目の奥にある。
何者かは知らない。
わからなくていいとも思っていた。
しかし——この島に必要な人間かもしれない。
晴康は静かに思った。儂はもう六十五歳だ。この体がいつまで持つかはわからない。
しかし——あの子供にいずれ対馬が抱える問題を解決する手段には行き着くだろう。
さらにこの島の影響力を高めることが出来るかもしれない。
そのためにはまず——あの子供が本物かどうかを、見極める必要がある。
明日から読み書き算盤を教える。その過程であの子供の可能性を確かめよう。
炭火が、小さく爆ぜた。
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