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第56話 濃姫・お市・美幸う~ん修羅場?


【カクヨムにて68話まで先行公開中です。べらぼうめ!】


1570年10月30日 甲斐国


武田信玄会談とその内容


武田家の所領は全て江戸幕府に返還する。

先ずは信濃国を1570年11月30日までに返還終了。

次に甲斐国を1570年12月31日までに返還終了。


武田信玄の躑躅ヶ崎館のみ武田家所領として認める。


江戸東区内に江戸幕府が定めた武田一族用の屋敷がある。希望する一族郎党はその居住を認める。


武田一族は幕臣として役目を与える故それを勤め、日本国に貢献する事。


武田家臣団並びに領民の事。

幕府に指定された地域に移り住み各々の役目に全うする事。


その働きに江戸幕府は正当な評価を与え、扶持は織田金貨にて相応な金額を支払うものとする。


上記違えた場合武田家一族家臣団は"朝敵"となり、日本国外追放とする。


信長

「信濃は分かったが甲斐国は本当に大丈夫なのか?」


信玄

「はっ!いざとなれば力ずくでも城から退去させまする。」


「う~ん日本国の人民を内乱で失いたくは無い。上皇后が通信ドローンを置いて行ったであろう、あれで連絡しろ。江戸幕府軍いや、余の直轄部隊を派遣しよう。直ぐに片付く。」


「御意!"上皇使徒陛下様"の仰せの通りに致しまする。」


「信玄、余の息子を帝と呼び、余は上皇もしくは上皇使徒で良い。長い呼称は会話の邪魔!時間の無駄である。今後全国民に徹底させる故、お主もそれにならえ。」


「はっ!畏まりました。上皇使徒様。」


「うむ11月5日までに幕府から、役目や移り住む指定地域が詳細に示される。全ての経費出費等々、全額江戸幕府で賄う。

上皇后行政大臣、織田信治江戸幕府管領代の2人が中心になっておるゆえ従うようにな。」


「はい、経費等負担が無くなり正直助かっております。」


「うむ、武田家の多くが幕臣になるからな。余の家臣に金銭的苦労をさせる気は無い。

それとな信玄、余は明日より毛利元就と今後の話し合いを行う。もっとも床に臥せっており延期要請が出た、破り棄てたがな。

幕府の要請に出頭出来ぬ体調であれば隠居するしかあるまい。

実質的当主の座に留まり延期要請等、怠慢であるゆえ10万の陸軍と6万の海軍で余が自ら赴く。」


「10万に6万でございまするか。。。」


「少ないか?後詰めも4万ほど待機させておくがな。

毛利輝元と吉川・小早川には出頭せぬのだから上皇使徒が"わざわざ"会いに行ってやると申してやった。

そこでだ。

馬場信治と山県昌景!それぞれ2,000の兵を動員しろ。

11月4日9:00に余が迎えに来る。幕府海軍の戦の遣り方、存分に学ぶが良い。

兵糧・出兵にかかる軍資金、全て幕府軍が出すゆえ身体1つでここに集合せい。報酬は玄米1日1升、それとは別に毎日牛丼とCoCo壱番屋を腹一杯食わせてやる。状況によっては焼肉大会も催すつもりだ。」


「「「おおお~牛丼・焼肉にCoCo壱のカレーじゃあ!!」」」


武田信廉

「上皇使徒様!某もお供しとうございます。」


「それは構わぬが、但し幕府軍としての出陣だ。武田家の指揮官は馬場・山県の2人のみ。

お主が居たのでは2人も使いづらいだろう。」


馬場と山県は苦笑している。


「ううぅ。。それでは上皇使徒様の部下で出陣叶いませんでしょうか?」


信玄

「信廉控えよ!上皇使徒様に何という事を言うておる!!」


「良い信玄。もう指揮官・基本陣形・隊列全て決まっておる。

足軽頭として余の直轄部隊300人を率いる遊軍。

それなら空きがあるが、どうする?」


「有りがたき幸せにて、この武田信廉!!カツカレーの為なら全力で戦いまする!!」


信長・一同

「はっ?。。。。。。」


信玄

「ええい!馬鹿ものがーー腹を切れーーー」


信玄にタコ殴りにされた信廉でしたが、希望通り出陣が許されました。

CoCo壱番屋つえーーーです。


**********


同日 17:30


東京都・江戸東区・織田城99F


上皇使徒様専用ルーム


織田信長・上皇使徒様

濃姫・正室・上皇后使徒様

お市の方・信長妹


(側室の面々)

坂氏の方(信孝母)

養観の方(冬姫母)

於鍋の方

あここの方

美幸(みいの方)


ずらり8人のディナーである(汗)

序列等気にせぬように、丸テーブルを用意させた。


濃姫

「みいの方。今宵の主役は貴女ですよ。こちらにお座りになって。」


正室である濃姫が遠慮がちにしている美幸姫を、信長の左隣に座らせた。


信長から時計回りに

濃姫・お市・坂氏・養観・於鍋・あここ・美幸みいの順になった。

今までの最年少あここの方(21歳)を、みいの隣に座らせたのも濃姫である。


あここ

「まあ17歳ですの?わらわよりお若いのですね、初々しいこと。上皇使徒様も若返りますねぇ。」


坂氏

「ほんに。。上皇使徒様もお元気ですこと。」


養観

「ほんとうですねえ。最近ちっともお渡りにならぬので、女子おなごが嫌いになったのかと心配しておりましたが、、、17歳ですか。。何ともはや殿方と言うものは。。みいの方これも大事なお役目。気合いを入れるのですよ!」


於鍋

男子おのこを沢山産みなされ。17歳なら10人は可能でしょう。」


美幸みい

「。。。。。。。。。。」


時は戦国時代。17歳の出産等珍しくもない時代ではあるが、初対面の席でこれでもかと出産の話を振られ、真っ赤になって俯く美幸姫。


濃姫

「皆様これくらいにしときましょうか。楽しいディナーの席が刺々しく感じるようでは不本意極まりない!!

怒りの感情が出る前に話題を変えるのが、上皇使徒様の妻達の役目だと心得よ!」


濃姫の目がキラリと光る。ごく稀にある危険な兆候に、肝を冷やす側室軍団。


養観

「そ、その通りにございます。さすが上皇后使徒様。於鍋様、このあさりとムール貝。出汁とワインで美味しく蒸されてますよ。」


「本当ですね。副菜の筍バター醤油焼きの香りが何とも言えませぬ。」


あここ

「美幸姫、お1ついかがですか?」


美幸姫

「はい、頂戴致します。」


酒といえば濁り酒がほとんどの時代。甲斐でも清酒はあるが、一般的に出回る物ではない。

ましてや馬場信治が手塩にかけて大切に育てた美幸姫。

濁り酒を見た事すら数える程度。カットガラスの美しいお猪口に見とれてしまい、思わず一気に飲んでしまった。


「グイ」よく冷えた八海山

「あら!美味しい!!」


あここ「えっ!」

信長「おい!大丈夫か?」


美幸姫

「何ですかこれは?こんなに美味しいお水初めて飲みました。」


お市

「美幸姫、それは水では無くお酒ですよ。」


「まあ、お酒ってこんなに透き通って美味しい物"らのれす"ねw」

と言いつつ、あここの徳利から手酌でお猪口に注ぎもう一杯

「グイ」


坂氏

「美幸姫ろれつが。。口当たりが良いからと一気に飲むと、立てなくなりますよ。。。私みたいに。。。」


坂氏も先月、冷酒をハイピッチで飛ばし失敗している。。。


美幸

「私は若いから大丈夫れ~す!まら17歳ピチビチでずがだ~」


ダメやないかいw

2杯で終わっとるでわれw

(使い方あってるかな?関西弁?)


信長

「。。。あここ、飲ませたお前の責任だ、最後まで面倒見ろ。」


あここ

「はいい~でもまさか2杯で。。。爆睡してますけど。。」


美幸

「しとさまぁんーーー。。おひめさまだこだこ、。。むにゃむにゃ」


お市

「兄上様。。。おひめさまだことは?」


信長

「市。。みいの方はまだ17歳だ、今後よろしく頼むぞ。。。」


濃姫

「上皇使徒様!!。。。。。

まさか17歳相手にお姫様ダッコしたのですか?令和の世なら未成年淫行条例にて即座に逮捕案件!!」


シュン!"消えた信長"


明日から毛利で~す。


ーーーーーーーーーーーー


少しだけ、時を巻き戻してみる。


越後の狂戦士バーサーカー、江戸幕府軍副将軍・上杉謙信公。


「皆の者!上皇帝使徒様率いる軍勢は、僅か2日で北条家を殲滅し伊豆・相模・武蔵を平定された。上野は越後兵が撤退したのもあるが、1日で制圧しておる。我等とて負けてはおれんぞーーー!!!」


「「「おおおーーー!!」」」


カリスマ性バリバリの出陣前の演説でかましまくる。


「先ずは越中を落とーす。さすれば加賀の一向衆はどうなーーーる??」


「「越前からの織田陸軍と挟撃となりもーーーうす!!」」


「それだーー!!!挟撃したら加賀はどうなーーーる??」


「「一網打尽となりまーす!!」」


「それだーー!!!加賀を一網打尽としたら次はどこだーーー?!!」


「「能登にございまーーす!!」」


「それだーー!!!能登は大城タクの砲撃でボロボロだーーお前等どうするーー?!!」


「「ボロボロをバラバラにしまーす!!」」


「よう言うたーー!!いざ出陣じゃー!!」


「「「おあおおおお!!」」」


10月5日8:00

越後兵1万・織田陸軍APC9部隊2万総員3万で越中に雪崩れ込む。


越前側からは東尋坊牛の谷峠=阿部城に詰めていた、牧秀悟・第9軍団長の3万が、阿部慎之助・第5軍団長の2万を預かり、総員5万のAPC9部隊で攻撃を開始。

石山本願寺滅亡の折に、幹部をほぼ失っている一向衆徒。

加賀一向衆の建て直しは、信長の空からの爆撃による経済封鎖で、全く進んでいなかった。


10月5日に始まった北陸平定戦であるが、10月7日に加賀が10月8日に越中が落ち。能登は大城海軍の砲撃で壊滅状態。


能登国守護・畠山義隆は僅か15歳。家臣の長続連・飯川義宗に支えられ能登畠山氏当主を勤めていたが、異母兄を擁立する重臣の遊佐続光等と争いを繰り返し国内は荒れていた。


ただでさえダメダメ状態を大城海軍にボロボロにされ、そこに越中から3万・加賀から5万の江戸幕府軍が軍事侵攻を行いバラバラにされた。

畠山義隆・長続連・飯川義宗等は捕縛。反乱分子の遊佐続光・畠山義有等は、越後の狂戦士バーサーカーに戦場にて斬り捨てられ生涯を閉じる。


1570年10月10日

江戸幕府軍は僅か5日間で北陸を完全制圧、加賀一向衆も乱暴働きを先導していた、反抗的名ばかりの坊主どもは殲滅され、無事あの世とやらに旅立った。

一般的な衆徒達は捕縛され、社会復帰に向け再教育される。


中には罪状を隠し逃れようとした者達もいたが、濃姫の鑑定により"殺人・性的暴行・強盗"等の罪状が次々と暴かれていった。


死刑判決の極悪人達を信長は、Android達が密かに開発中の極寒シベリア地方に送り、労働力として使われ短い一生を終える事となる。


こうして後の世に

【北陸平定5日間の旅】と呼ばれる戦が幕を閉じたのであった。

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