司祭の務め20
イリアスが先に出た後、言われた通り、ゆっくり百数えて。
更にもうしばらく入っていれば、流石に長湯し過ぎたのか、立ち上がる時に少しふらついた。
体の火照りを冷ましてから服を着て、のんびり部屋に帰る。
先に出たイリアスが部屋の鍵をもって行ったので、もし部屋にいなかったら食堂に受け取りに行かねば。
彼女が出てからかなり経ってしまったので、多分もう飲みに行ってしまっているだろう。
少し面倒だなと思いながら割り当てられた部屋のドアノブを回したら、意外なことに開いていた。
「イリー、まだいたのね…… って、明かり付けてないの?」
部屋は真っ暗で。奥の方のソファセットがある当たりで誰かが立ち上がった。
カーテンを開けたままの窓からの月明かりがその人を照らしていた。
「いや、イリアスは食堂にいった」
「……リド?」
「あぁ」
よく知った低い声。名を呼べば、肯定が返ってきた。
「少し、話をしに来た」
静かなその言葉で、イリアスが状況を話したのだと察した。
そう、と、私は相槌を打つ。
「先に着替えとかを片付けてもいい?」
「もちろん。あぁ、明かりをつけるか?」
「大丈夫。手元さえ見えたら済むから」
そう言って、短い呪文を唱える。
ふわっと蛍のような明かりが私の指先から生まれ、私の手元を照らす。これで十分だ。
「少し待っていて」
「ん」
返事をしたリドルフィは、もう一度ソファに座ったようだった。
小さく、からんと氷がぶつかる音がする。
どうやら飲みかけのグラスでも持ってきたようだ。
私は持っていた着替えなどを軽く畳み直すと鞄にしまう。
脱衣室でしっかり洗浄の魔法を使ってきたからね。すでに清潔な状態だからしまうだけで済むのだ。使っていたタオルをタオル掛けに掛け、持ち運びに使っていた布の袋もしまえば片付けは終了だ。
足元を照らすように小さな明かりを漂わせながら、リドルフィの方へと歩いていく。
なんとなく、怒られる気がして少し足取りがゆっくりになる。
「……ハンナからは報告がきていない」
「そうだろうね。彼女が見るのは久しぶりだったから、以前がどこまでか覚えてなかっただろうし」
それに、おそらく彼女が見たのは樹が成長している最中のはずだ。
あの樹は、私の力が弱まっている時に成長する。
今、イリアスが見たものより、私が寝込んだ時にハンナが見た樹は、もう少し小さい状態だっただろう。
「……ハンナに怒るんじゃないよ?」
「わかってる」
小さなテーブルを挟んだ向かいの椅子に座ろうとしたら、手を掴まれた。
引っ張られて体勢を崩したところを器用に受け止められて、気が付いたら相手の片膝の上に座らされていた。
強引なやり方に、私は抗議するように相手の胸元を押す。
体格差で、私が押してもまったくびくともしないが、意思は伝わるだろう。
支えるように男の手は私の肩と腰に回ったままだけど、力は全く入っていない。
「リド?」
「……」
横向きに座らされている私の肩に、こつ、と男の額が当たった。
「……酔ってるの?」
ゆっくりと私の肩に額をこすりつけるようにして、首を横に振る。
「…………」
私はふぅ、と鼻で息を吐きだす。
ゆっくりと向きを変えて、相手の額を肩からずらし、俯いた頭をそうっと抱きしめる。
ほんの少しだけお酒の匂いがする。
今日も一日よく日光を浴びた、ちょっと埃っぽいようなお日様の匂いのする髪に顔をうずめる。
「……私のことだから、私が一番分かってる。まだ、大丈夫。まだ、もうちょっとある」
「……」
「今回の旅の間でなんてことは起きないよ。それぐらいの余裕はあるし、何か起きても大丈夫なようにこれだけの人数なんでしょう?」
「……そういう話、じゃない」
こちらが姿勢を変えたのに合わせて、男の手が背に回る。
少し躊躇うように、親指が私の背筋を辿る。
あの時、彼が唯一見た時の樹のてっぺんがあった腰の少し上から、イリアスから聞いたのだろう、今あるてっぺんの場所まで。
毎年イリアスが彼にきっちり報告していたのだろう、そしてこの男はそれをすべて覚えているのだ。
二十年分の場所を確かめるように、一年分、ずつ……。
「……まだ大丈夫だし、その時はちゃんと村で、準備して臨むよ。大丈夫。その時がきたら、きっとリドたちにたくさん迷惑をかけるけれど、あれは、あれだけは確実に私が持っていくから」
「……グレンダっ」
僅かに怒気をはらんで強く名を呼ばれ、びく、と、私の体が揺れた。
思わず、淡々と紡いでいた言葉が途切れる。
「……もう喋るな」
びっくりして緩んだ私の手から逃れて、男が顔を上げる。
窓からの月光を受けた深い青の瞳が、真直ぐに私を見つめていた。
「自分に言い聞かせなくて、いい」
「……っ」
静かな声に言われて、私は言葉を失う。
口付けでもしそうな至近距離で見つめられて、動けなくなった。
「俺相手にまで強がるな。……泣くのを堪えるな。前も、そう言ったはずだ」
言われて、はじめて視界が揺れていることに気が付いた。
気が付いてしまったら、一気に、涙があふれた。
ぼろぼろと大きな粒を結んで、頬を伝い落ちていく。
男の武骨な手が私の頬を包み、親指の腹が涙をぬぐう。
「……だ、からっ そうやって甘やかすなっ、と」
「怖がっていいんだ、グレンダ。俺も、怖い」
「……っ!!」
「イリアスも、他の連中も、みんな」
涙をぬぐった手を一度離し、一度私から視線を外せば、濡れた親指にそうと口付ける。
まるで何かに誓いを立てるような、仕草、だった。
瞬きも忘れてその様子を見つめていれば、再び視線を上げたリドルフィは笑うように顔をゆがめた。
「だから、お前一人で背負おうとするな。絶対に何とかする。……信じて待ってろ」
…… (脱兎)




