司祭の務め7
リドルフィをカイルたちのところに残して、私は部屋の奥へと進む。
手前側のカイルが寝ているベッドと、おそらくバーンとアレフのものだろうベッドの間には仕切りがなかったが、以降のベッドの間には衝立がしてあった。
奥の二人分のベッドの間には、そこに寝かされている者たちの意識が戻っていないからか、衝立はない。
また、特殊な結界でも張られているのか、広いとはいえ同室なのに、衝立の向こう側の声や音は聞こえなくなっていた。
奥に行くほど香の匂いが強くなる。そして腐臭のような、不安になる匂いがうっすら混ざっている。
あぁ、と、私は心の中で印を切る。
間に合う、だろうか……。
「ウィリアム司祭です。隣がマルティン司祭。どちらも一昨日から意識がありません」
私を案内してきた看護職員が、目を閉じたままの二人の名を教えてくれる。
「お二方は王都南方、アズーロの街近くに出現した魔素溜まりを浄化後、そこで発見された欠片を回収、こちらへと運搬を行ったと聞いています。到着後に上位司祭様による治癒を受けるも黒化が進み、三日目には立ち上がることが出来なくなりました。そこからさらに三日ほど耐えてらっしゃったのですが……」
「運搬時に魔封じの瓶は使われなかったのですか?」
「……残念ながら発見時に用意がなく、また、天候が荒れ始めた時だったこともあり、そのままお二方で互いに浄化を行いながら保持、運ばれたそうです……」
「……なんて、無茶を」
思わず上げてしまいそうになった悲鳴を、口元を覆うことで止める。
悲しげな顔をしている看護職員が、こちらの言葉に頷く。
あれが見つかった場合は、可能であればその場で浄化を行う。
無理な場合は、魔封じの瓶と呼ばれる何年にも渡り聖水を入れておいた瓶に回収して運搬、神殿の先ほどの広間……聖杯の間に浄化を行える司祭が来るまで安置する。
運搬する場合、瓶に回収する時にどうしても拾い上げ、瓶に入れるという工程が必要になる。
その過程であれに触れることになった者は、魔素に汚染され、蝕まれる。
魔素への抵抗力には個人差があるが、たいていの場合段々と体の末端から黒く染まり始め、染まった部位から自由が利かなくなる。だんだんと衰弱が始まる。
やがて起き上がることも出来なくなり、意識を失い、死亡する。
稀に、体が魔素に順応してしまう者もおり、そちらは意識を失う代わりに正気を失い狂暴化する。
言ってみれば野生動物が魔素溜まりで魔物化するのと同じようなことが人で起こるのだ。
「日に一度、上位司祭様が治癒にいらっしゃいますが、進行を遅らせることしかできていません」
「……」
私は一番奥に寝かされている青年、ウィリアムを見る。
まだ若い。ジョイスと同じぐらいだろうか。三十手前ぐらいに見える。顔も含め肌は黒ずみ、髪も真っ黒に染まっている。おそらく上掛けの中の体もかなり黒化が進んでいるのだろう。
その隣のマルティン司祭と紹介された青年も年は同じぐらいだろうか。
ウィリアムと同じように黒く染まり、目は閉じられている。
「……浄化を、行います。治癒も」
「お願いします」
私はまずウィリアムのベッドに近づき、注意して上掛けの一部をめくる。
隔たるものがなくなったことで、むわっと死を予感する匂いが鼻をついた。
干からびるように痩せ、元の色が分からぬほど真っ黒になってしまった手をそうっと本人の胸の上に置き、その上に自分の手を重ねる。
看護職員が置いてくれた椅子に腰かけ、もう一度ウィリアムの顔を見つめた。
「……苦しいね。まだ、闘っているのでしょう?」
下唇を舐め、そしてゆっくりと韻を踏む。
錫杖はしまってしまったので、己の声だけで旋律を辿る。
「……光よ、この者を照らせ。
神樹よ、この者に生きる力を。
正しき者、ウィリアムに光の加護を」
力ある言葉を、一つずつ丁寧に発音する。
さぁ、帰っておいで。
まだそっちに行くには早すぎる。
祈りに呼応して私の手が淡く光り始めた。
重ねた手を通して光がウィリアムを包みこむ――……。
光が治まるまで、数分かかっただろうか。
途中から目を閉じてしまっていた私は、看護職員の、ひっくとしゃくりあげた息で瞼を上げる。
「……ありがとうございます! こんな、もう、無理なのかな、って……」
横を向けば、彼女は口元を手で覆い、ぽろぽろと泣き始めていた。
視線をずらせば先ほどまで黒く染まっていた青年の髪は明るい茶色に変わり、肌の黒ずみもなくなっている。枯れた木のようだった手の皮膚も、肌色の張りのある健康な肌に戻っていた。
生きているのか怪しいほど弱かった呼吸も元に戻り、眠っているようなゆっくりの呼吸に合わせて胸が上下している。
おそらく……間に合った、はず、だ。
「あとは、意識さえ戻れば……」
そう言いながら術のために重ねていた手を離し、私は向き直る。
私にできるのはここまで、だ。
後は本人の生きる力を信じるしかない。
敢えてそのことを口には出さず、食堂に居る時のような口調で言う。
「……ほら、他の人も治さねば。涙を拭いてちょうだい」
「……はいっ!」
何度もこくこくと頷きながら返事をした看護職員は、それでも中々泣き止めなくて。
私は隠しからハンカチを出し、その涙をぬぐってから、隣のベッドに寝かされたマルティンと向き合うのだった。




