司祭の務め5
扉を潜った先。また廊下が続いている。
廊下といっても、先ほどまでのように中庭や窓に面した光の入る回廊ではなく、ただただ白く飾りもなければ窓や開口部もない、外界とは隔たれた廊下だ。
時々扉があり、それらはどれも閉ざされている。
少し行った先から円を描くようにカーブし、緩やかに下り坂になっている。
先導するセドリックについて、私、リドルフィの順に会話もなく歩いていく。
やがて一階層分ほど下った先でセドリックが立ち止まった。
「こちらへ」
私が頷けば、突き当りの観音開きになっている扉の片側を押し、開く。
入った先、二人の司祭が詰めていた。
私たちの姿を見て立ち上がると、左手を己の胸元に当てゆっくりとお辞儀する。
私とリドルフィもそれに合わせ同じように、ここでの挨拶を返した。
先に入ったセドリックがその司祭たちと一言二言会話を交わし、彼らが守っていた奥の扉の前へと私を促す。
「この先に安置しております」
「はい」
私は扉の前まで進み、セドリックは扉の両脇に控えていた司祭たちの方へと退く。
彼が案内するのはここまでということだ。
その様子を私は感情もなく眺めていた。
セドリック自身はというと、私の後ろに視線を向けている。
「……聖騎士リドルフィはどうなさりますか」
「立ち合う」
当然だという風に、抑揚のない低い声が即答した。
彼を知らぬ者なら気づかぬだろうが、これはかなり怒っている。
「では、そのローブはこちらで預かりましょう」
扉の右手にいた司祭がリドルフィの方へと向かい、私のローブを受け取る。
リドルフィは渡してしまえば、数歩前へと進み、私の斜め前に立った。
「ここに二つともあるのですか?」
「はい」
「中の様子は?」
「七割ほどと思われます」
「わかりました」
私の問いには、扉の左手に立っていた司祭が答えた。
一度、目を伏せ、息をゆっくり吐き出し、気持ちを落ち着ける。
両手を胸の前で合わせると、目を閉じた。
「光よ、ここに」
力ある言葉の後、静かに両手を緩く斜めに滑らせていく。
すっかり体に染み込んだ感覚。
目を閉じた私の前に光が凝り、形を成していく。
……その様子に、誰かが小さく息をのんだ音が聞こえた。
ゆっくり十数えたぐらいで瞼を上げれば、私の手には鈍く銀に輝く錫杖が現れていた。
手によく馴染んだそれを確かめるように見つめ、握り直す。
「これを」
「ありがとうございます」
司祭一人が、私の左手に呪い粉を渡した。
瓶から、さらさらと掌にのせられたそれを一度確認して、私は礼を言う。
呪い粉をくれた司祭が扉の方に戻ったのを確認して、私は一度視線を上げる。
こちらを向いていたリドルフィと目が合った。
無言のまま、目が頷く。
私も、同じように目で頷いた。
「開扉を」
門番の司祭二人が同時に呪文を唱え、淡く光る手を観音開きの左右それぞれに当てる。
ゆっくりと音もなく開き始める様子に、リドルフィが私を庇う位置に立った。
手は剣の柄にかかっている。
大きな両開きの扉が半分ほど開いたところで司祭たちが止まった。
「お通り下さい」
「では、処理をお願いいたします」
見送る位置のセドリックの言葉に頷きを返し、私は歩き出す。
こちらの気配に合わせて、剣をいつでも抜ける状態でリドルフィが一歩分先を行く。
私たちが中へと入れば、後ろで静かに扉が閉まった。
……それを確認してから、リドルフィが、ふんと鼻を鳴らした。
「リド、ここから八歩先まで。その先はダメ」
「了解した。……湧いているな」
「みたいね。お願い」
「心得ている」
「……仕方ないのだろうけれど、二つまとめて置いとく、とか……」
「あぁ」
四階層分ほどの吹き抜けになった、円柱型の広い室内。
高い天井部分はすりガラスのドーム状になっており、そこから光が入っている。
壁には神話と植物のレリーフが刻まれ、高度結界を発動させるための輝石が大量に埋め込まれている。
それらが天井からの光を跳ね返し、きらきらと輝いている。
通常であればさぞかし美しく神々しい場所であるのだろう、が。
その中央。
聖杯のレプリカがあるはずのところに、闇が凝っていた。
天井からの光を、輝石が跳ね返した光を、全て吸収して。
そのおかげで室内は不自然に暗い。
本来ならさんさんと降り注いでいるはずの天井からの日光は、床まで届いていない。
七割。
先ほど門番の司祭が答えたそれは、光がどれほど阻害されているかの割合だ。
上からの光で本来なら明るく照らされているはず室内は、真っ暗闇とまではいかないが、薄暗い。
地下一階にあたる場所にいる私たちのところは本来の明るさを十とするならば、三程度の明るさしかない。
それも扉を入ってすぐの、今いる位置での話。
中央へ行けば行くほどもっと暗く、凝っている。
きぃ、と、何かが鳴いた。
闇の中に居たそれらの視線が、一斉にこちらを向いた。
「……細かいな」
男が、剣を、抜いた。
それを合図にしたように、闇色の何かが一直線にこちらに向かってくる。
リドルフィが右手で構えた剣身に左手を滑らせる。
長剣が呼応するように、ほんの一瞬光った。
タイミングを計るように、静かな動きで構え、右上から左下へと……。
「……――はっ!!!」
私たち目掛けて飛来する無数のそれを、男の剣が薙ぎ払った。
たった一振りで、ぼたぼたと床一面に飛んできたモノが何百も落ちた。
それは手のひらほどの大きさの一つ目の蝙蝠に見えた。
私は、右手にもった錫杖で床を叩く。
しゃん。
澄んだ音が、響き渡る。
床に落ちた魔物がほんの一瞬だけもがき、黒い煤のようになって霧散していく。
そうしている間にも、リドルフィは剣を振るい、一撃目を運良く免れた闇蝙蝠を落としていく。
剣が振るわれるたびに、ただ斬っているだけではありえない数の魔物が叩き落とされて床を埋めていく。
一歩ずつ前へと進む彼に合わせて私も前へと進み、錫杖を鳴らす。
しゃん。
錫杖の音に合わせ、落ちた闇蝙蝠が黒くほどけ、消えていく。
「……ここまで、だな」
「えぇ」
扉を入ってから、八歩分。
先ほど私が告げたところで、リドルフィが止まった。
そこまでの間に粗方の魔物を落とすことが出来たらしい。
飛来する闇蝙蝠は、もう目で数えられるほどの数だ。
「ありがとう。ここからは私の仕事だね」
「あぁ、頼む」
私は、もう一歩前へ進む。
道を開けるように右側に一歩分ずれた男の横に、並び立つ。
一度視線を合わせて、大丈夫だという風に笑えば、頷きが返ってきた。
「――……」
唇を開き、音を出す。
今の言葉ではない、今は意味を知る者もいない、歌。
それに合わせて、もう一度錫杖を鳴らす。
しゃん。
ふわり、と、法衣が空気を孕む。
男の斬撃で、中央に凝っていた闇は、幾分か薄らいでいる。
私は男をおいて、一歩進む。
しゃん。
こちらの歌と、錫杖の音に合わせてまだ残っていた闇蝙蝠が飛びながらほどけ、霧散していく。
これなら先日の魔素溜まりより、かなり楽そうだ。
もう一歩。
しゃん。
息苦しさがきた。歌は止めない。
掠れようとする声を腹で支える。
もう一歩……。
しゃ、しゃん!
聖杯のレプリカまで手の届く位置まで来れば、床に錫杖を二回打ち付けた。
左手を振るい、辺りに呪い粉を舞い散らす。
「――……
光よ、この地を照らせ。祝福を……!」
しゃん!!!
声と呪い粉を触媒にして、ぶわりと光が噴き出す。
圧をもった光にバサバサと法衣が、髪がなぶられる。
眩しいのにけして目を射ることのない聖光が、凝っていた闇を一掃した。
きらきらと、残滓のような光がしばらく呪い粉と一緒に室内全域に降り注ぐ。
「……ふぅ」
錫杖を持ったまま私は一度息を吐きだして、振り返る。
問う視線を向けてきた騎士に頷いて見せる。
剣を収めて歩いてきた相手を待って、聖杯のレプリカの前へと進んだ。
二人で並んで腰ほどの高さのそれを確認すれば、二つ、それが安置されていた。
私の親指ほどの大きさの、黒く暗い硬質な光を宿すもの。
鉱石のような質感だが、形は植物の種のような、それ。
人々には名が伝わっておらず、「あれ」とか「欠片」なんて呼ばれているもの。
私は短い呪文を唱え、両の手に光を集める。
その光を手に纏わせたまま、一つそうっと摘まみ上げた。
摘まみ上げたそれを両手で包むように持って、目を閉じる。
意識を手に集中して、それをゆっくりと掌の光の中に閉じ込める。
そうして、ゆっくり、ゆっくりと息を吹きかけた。
びりびりと手の中で暴れるような振動があったが両手に力を籠めて抑え込む。
やがて振動が小さくなり、完全に静かになるまで力を籠め続けて開く。
宿っていた黒い光がなくなり透き通ったものを聖杯のレプリカに戻せば、
もう一つも同じようにして、処理、した。
聖杯に二つ、無色透明になったそれが並んでいるのを見つめていれば、横から背を軽く叩かれる。
「行こう」
「えぇ」
男に促されて、元の清らかさを取り戻した室内を、ゆっくりと扉へと歩く。
光が降り注ぐその部屋には、もう魔物はいなかった。
書き始めて気が付きました……
第3話、もしかして大判風呂敷広げ過ぎてて第2話とかの倍量ぐらいになりそうな。
おばちゃんが食堂に戻れるまで長そうだよ……(汗)
1エピソードずつの長さが1500~4000文字近くとかなりマチマチになるかもです。すみません。(平伏)




