夏の嵐20
「よし、帰るぞ」
そう言うと、男は返事も待たずに、ひょいと私を担ぎ上げた。
背負うのでも、横抱きでも、ない。
あえていうなら、子供抱きに近いが……。
片腕を私の膝裏に入れて、そのままぐいと持ち上げるから、肩に担ぎ上げられたというのが一番しっくりくる。まるで農作物か何かが入った麻袋にするような担ぎ方だ。
「ちょっ!?」
吃驚してどこかに掴まろうとするが、この姿勢だとどこも掴めない。
慌てふためいているうちに、ほっほっほっとか掛け声らしきものを掛けながら、リドルフィはやや大回りに上流側へと移動しつつ助走をつけると、踏み切り、用水路を飛び越えた。
「うむ」
「……なにが、うむ、だよっ」
飛び越えた水路を振り返り満足げに頷く壮年マッチョに、容赦なく揺すられた私は思わずツッコミを入れる。
「橋は、嵐が過ぎたら上の方から確認して掛け直しだなぁ」
こちらのツッコミを無視して言う相手の背中を、ぺしぺし叩けば、肩から降ろしてくれた。
いきなり大きく揺すられたせいで、気持ちが悪い。
地面に足はついたものの、思わずふらつけば。
「村まで運ぶか?」
「……誰のせいだと思ってるのっ」
まったく。自分と同じ基準で私を扱わないで欲しい。
五十を過ぎてもごりごりの筋肉だるまで、日頃からがっつり体を動かしている人と違って、私は繊細なんだよ!
膨れて見せれば楽しそうに笑って、手を貸してくれた。そのまま歩き出す。
この年で手を繋いで歩くのも、結構恥ずかしいんだけど……。
「……いつ帰ってきたの」
「ついさっきだな」
「そう、おかえり」
「あぁ、ただいま」
ざぁざぁと本格的に降り始めた雨の音に邪魔されながらも、会話をする。
もう、さっきまでの焦りはない。
後は渡らなければならない水路もないし、何かあっても、この人と一緒なら確実に対処できる。
「大鷲の魔物を倒してきたぞ。……旨そうだったから、肉くれって言ったが食わせてくれなかった」
「当たり前でしょ」
「代わりに風切り羽や尾羽をいくつか貰ってきた。なかなかきれいだぞ」
「ジョイスにやったら矢の材料にするんじゃないかい?」
「そうだなぁ。……ってさっきから返事がおざなりなんだが。やっぱり担ぐんじゃなくてお姫様抱っこが……」
「そうじゃなくっ! 疲れたし、早く帰りたいのっ!」
「……あ、あぁ! そうだな、早く帰ろう」
馬鹿なことを言っている男に最後まで言わせず、被せるようにして言う。
こちらの主張に、何か思い当たったらしい男が納得したように頷いた。
男が思い当たっただろうことに、私は顔を顰める。本当に、この人は……。
さっきからどんどん雨が強くなっている。
遠くの空が時々不穏に光る。遠い低い音が風雨の音に混ざる。
ごう、と風が吹いた。
嵐の風だ。さっきからでたらめに方向を変えてくる。
雨避けコートが煽られて、よたついても、転ぶ前に横から支えられた。
気が付いたら、手を繋いだまま斜め前を歩く男が、さりげなく風避けになってくれている。
口では他愛無い雑談を続けながら、見上げればしっかり真顔だった。
本当、そういうところがずるいんだ。昔から。
やがて、村の正門が見えれば、やはりほっとした。
門番のラムザがこちらの姿を見つけ、手を振っている。
彼にも心配をかけた。
「無事で何より……! 二人で最後です。ジョイスはトゥーレを送ってくるそうです」
「わかった。ありがとう」
「このまま門閉めるぞ。お前も家に帰れ」
「了解です」
リドルフィの言葉に、いつもの敬礼が返ってくる。
私たちが村の中へと入った後、男二人がかりで村の丈夫な門を閉める。
村人たちは皆、門の中だ。
これで門を開けるまでは、外から簡単には侵入されない……。
「……リド。先に戻っていて。私はやることがあったよ」
「ん?」
「結界石をやってる途中で探しに行ったんだ」
「……それで、分かった、先に行く……って、俺が言うと思うか?」
私は小さく肩を竦めた。
言うわけがないのがこの男だ。
自分も同行するかと問うたラムザには、ジョイスを追いかけて貰うことにした。
随分と風雨がひどくなってきているから、こちらへ報告に戻らずにジョイスも自宅に帰れと伝えて貰うためだ。
ラムザ自身も、その後は帰宅だ。
私は、リドルフィを伴って、残りの結界石に祈りを込めにいく。
終わってなかったのは、門から近い二か所だけ。探しに行く前に場所も確認しておいたから、やり始めたらあっという間だ。
柵沿いに歩き、雨に打たれながらも丁寧に祈りを込める。
最後にもう一度、門のところへ戻れば、私は閉じられた大きな木製の門扉に触れ、韻を踏む。
魔法ではなく、祈り。まじない、と言った方が正しいか。
それをすぐ近くで立ったまま眺めていた村長のリドルフィは、終わったのを確認していつものように言った。
「お疲れさん」
「そちらこそ。……家に帰って早くシャワーでも浴びたいね。びしゃびしゃだよ」
「その後に飯だな」
「……あ!」
どうした?と訊く男に、私は申し訳ない事実を言うしかなかった。
「全然帰ってくる気配がなかったから、リドの家に食料を運び込んでないの。悪いんだけど、毎食、食堂に食べに来てもらうしか……」
「それで、わかった、そうする。……って、俺が言うと思うか?」
そもそも村長であるリドの家は広場のすぐそば、食堂の斜め裏ではあるのだけども。
さっきと全く同じ言い回しを敢えてする男に、私は首を横に振る。
「……言わないね」
遠い目になりながら、二階の予備部屋の布団を干したのはいつだったかと考えるのだった。




