夏の嵐19
必死に考える。
いっそ、上流側にもっと歩いて行って、渡れるところを探す?
あるいは逆に下って用水路ではなく川の方の橋を……いや、こっち側にある次の橋はかなり先だ。
川の方にかけてある橋は頑丈だから、たとえこの瓦礫が流れてきても渡れそうだが、その橋に辿り着く前に確実に日が落ちてしまう。
用水路の上流側に移動するパターンも、どこなら渡れるか分からない。
用水路の根本まで行っても渡れない可能性だってある。
そもそもこの瓦礫はどこから流れてきたのか。瓦礫には上流の橋が壊れた残骸も混ざっているような気がする。
やはり、ここから移動するのは違う気がする。
「……おばちゃん、かえれる?」
「うん。絶対に帰れるよ」
不安そうに何度も訊いてくる。そのたびに、私は、出来るだけしっかりした声で大丈夫だと言い切る。少しでもトゥーレを安心させようと思うからこそだけど、自分自身に言い聞かせてもいるのかもしれない。
でも、帰れると言い切ってはいるけれど、私もどうやったら帰れるのか、まだわからない。必死に方法を考えている最中だ。
上流も下流も厳しそうに思えるということは、やはりここでなんとかして渡るしかない。
幸い私は防御や回復が専門の、神聖魔法の使い手だ。
守護盾を展開した状態で、歩いて渡る……のが、やはり妥当なのだろう。
神聖魔法による守護盾は、雨風や自然な水の流れ等は防げない。
渡っている間に決壊した場合、その水の奔流は恐らく守護盾を通過して私を襲うことになる。
でも、襲い掛かってくる瓦礫等は防げる……はずだ。
残念ながらこの手の状況で守護盾を試した経験はない。だから、それは憶測でしかないけれども。
もし、守護盾で防げなかった場合でも瓦礫のサイズから考えて私自身が盾となれば、少年は守れる気がする。
最悪、水路の半分まででも行ければ、トゥーレだけはあちら岸に渡してやれるはずだ。
あちらに渡せれば、少年は道を覚えている。
今ならギリギリまだこの小さな子でも一人で帰れるし、途中で帰ってこないことに気づいたジョイスか誰かと落ち合えるはずだ。大丈夫。
あれもこれも、はずだ、だらけの案でしかないけれど、他に方法が思いつかない。
守護盾が通してしまう水に押し流されることを考慮すると、やるなら下流側。
「……よし」
私は意を決めて歩き出す。一度は危ないと判断した用水路の下流側へ。
もう随分暗くなってきた。早くしなければ。
「トゥーレ、今から用水路を渡るよ。ここから村への道は分かるね?」
「うん」
何を始めるのだろうと不安げな子と、目が合った。
大丈夫、と笑んで見せる。
「もし途中で何かあっても、トゥーレはあっち側に渡すからね。渡ったら村から誰か呼んできておくれ。頼めるかい?」
「……うん!」
「よし、いい子だ。そしたら頼んだよ」
言って、一度深呼吸をする。
幼子を抱き上げたままだから手は使えない。錫杖も出せないし、印も組めない。
それでも集中して韻を踏む。大丈夫だ。
何度も何度も私たちを守ってくれた呪文。
使い慣れた、魔法。
「……光よ、我らを守れ、守護盾!」
私たちの前に、淡い光の盾が形成される。
トゥーレは間近に表れたそれをまじまじと見つめている。
でも、やはり雨も風も防げない。
守護盾を越えて雨は降ってきているし、風は容赦なく二人の雨避けコートをばたつかせている。
この状態で渡っている間に橋が決壊した場合、その瓦礫はどう判定されるのか。
それは、なってみないと、わからない。
でも、待っていられる時間はもう限られている。
雨も風もどんどん強くなっている。
遠くで雷も鳴っている。
どんどん暗くもなっている。
そして、何よりも……。
「よし……」
「――……バカっ!!! そこで待ってろっ!!!!」
橋より十メルテほど離れたところから、恐る恐る用水路に近づいた時。
大音量で、怒鳴られた。
「……おじちゃんっ!!!」
瓦礫と水路ばかり見ていた私より先に、トゥーレが叫んだ。
「おばちゃん、それ、絶対悪手だって!! 戻って戻って!!」
向こう岸からよく知った声がかかる。
上流側に回った影が二つ。助走をつけて、軽々と用水路を飛び越えた。
……私が散々悩んだ四メルテを、軽々と越えてくる。
「…………」
なんだろう、すごく、すごく。
「グレンダっ!!!」
めちゃくちゃ怖い顔をしたリドルフィが近づいて来る。
彼の剣幕にびっくりしたトゥーレが私の腕の中で縮こまる。
それを見たジョイスが慌てて割って入って、私から籠ごと少年を引き取り抱き上げた。
「トゥーレ、皆心配してる。先に帰ろうな」
「う、うん」
トゥーレは一度心配そうに私の方を見ていたが、気を回したジョイスはさっさと少年を抱き上げたまま用水路を飛び越えた。
さっきまで私は決死の覚悟で渡ろうとしたのに対して、あまりにも呆気なかった。
一瞬呆然としかけたが、慌てて声をかける。
「ジョイス! トゥーレは怪我をしていた。治したけれど今夜辺り熱が出るかもしれない!」
治癒魔法は、怪我は治せても、その時に受けたショックや使った体力までは回復できない。
一人で怖い想いをした少年は、怪我がなかったとしても少なからず消耗しているはずだ。
「わかったー。セアンに伝えとくー」
ジョイスは対岸で一度手を振ると、トゥーレを抱いて村の方へ走っていく。
これであの子たちは大丈夫だ。
小さく息を吐く。文字通り、肩の荷が下りた。
あとは……。
リドルフィはこちらの肩に手を置いて、私を確保したまま弟子が迷子を連れて帰ったのを確認し。
こちらへと向き直った。
真正面から両肩を掴まれた状態で、私は待つ。
「……今、無理やり渡ろうとしてただろうっ。この、バカがっ!!!!」
がつんと、怒鳴られた。
やっぱり、叱られた。
私は思わず体を小さくする。それでも顔を上げて、言う。
「……しかた、ないでしょうっ?! こんなの私には飛び越せないし、橋はあの状態だしっ、どっちかに行っても渡れる保証なんてないしっ。これ以上居たら暗く……」
自分でも言い訳なのはわかっているけれども。
「少なくともジョイスが来るのは予想できただろうがっ!!」
「……」
「頼むからっ」
肩を掴んでいた大きな手が離れた。
そのまま、背に回って……。
「……頼むから、もう少し周りを頼ってくれ……」
絞り出すような声と共に、大きな体に抱き込まれた。
「……」
「お前は、……昔から無茶し過ぎだ。誰か守るためには自分の危険を全然考慮しない。少し待てばジョイスか誰か来るのが分かっていただろう。だったら待て。頼むから……」
確認するように。ぎゅうと抱きしめられた。
上背も肩幅もあり、きっちり鍛えられた分厚い体が私を包み込む。
加減を忘れたかのような容赦ない力は苦しくて、体が軋むようだったけれど……。
どこか縋るようなその仕草に、私はそうと抱きしめ返した。
「……ごめん」
「……いや。すまん……俺がいなかったから、だな。お前が無茶をしようとしたのは」
あぁ、そうか。
私は悔しかったんだ。
こんなタイミングでちゃんと駆けつけてくれる、この男に。
こんな風に私のことを分かってくれる、この人に。
ヒーロー登場(ただし50代)(笑)




