夏の嵐18
二人で雨の中を歩いて果樹園の端まできた辺りで、トゥーレが立ち止まった。
「なんか、へんなおとがする……」
「うん?」
どんな音かと聞いても上手く説明できないようで。
不安げな顔を手で拭いてやり、もう一度雨避けコートのフードを直してやる。
「……とりあえず、帰ろう。ここに居ても暗くなってしまうからね」
「うん」
「帰ったらあったかいごはんが待ってるよ。体も拭いて貰おうね」
「いっぱいぬれたものね」
「うん、このままだと風邪引いちゃうからね」
明るい声で促せば、素直に頷いてくれた。
また小さな肩を抱いて、守るようにしながら歩き出す。
「きょうのおゆうはん、なぁに?」
「さぁて、なんだったかな。お楽しみにしておこうか。ママたちと一緒に食べておくれね」
「うん!」
この嵐対策の間はトゥーレの一家も、ずっと母親のノーラの料理ではなく炊き出しとしての私の料理だったが、それでもトゥーレは完食していたと聞いている。
好き嫌いなく素直に育っているようだ。
日頃と少し違う味付けの料理を、これも美味しいね!と、にこにこ笑顔で食べていたそうだ。
なんだか嬉しいね。
「また、あのパンのおかし、つくって! あれ、おいしかった」
「そうかい。そしたら嵐が終わったらまた作ろう」
雨の中でも楽しくそんな話をしながら、歩いて……。
「……」
用水路の手前で、私は絶句した。
「……トゥーレ、おばちゃんが抱っこしよう」
「う、うんっ」
用水路に掛けられた木製の橋。
橋は、さっき私が渡った時とは随分と違う有様になっていた。
ほんの数歩分の、板を数枚渡して固定しただけの小さな橋に、流れてきた倒木やら板やらといった瓦礫が大量に引っ掛かっている。
そのせいで水が堰き止められて水路から溢れ……その瓦礫が、がたがたと動いている。
さっき、トゥーレが言った変な音は、多分、この音だ。
水はすでにかなりの量が上流側に溜まり、横から溢れている。その溜まった水の力は、今にも瓦礫を無理矢理に押し流しそうだ。
これに巻き込まれたら、小さな子なんて間違いなく押し流されてしまう。
いや、トゥーレだけじゃない。私もきっと無理だ。
慌てて少年を抱き上げて、用水路から距離をとる。
「おばちゃん……」
「……大丈夫。なんとかするからね。ちゃんと帰れるからね!」
不安げな幼子に言い切りつつ、必死に考える。
下流側はダメだ。飛び散った瓦礫に巻き込まれる。
橋よりも上流側……水が溢れ出している方へ、大回りに少し移動する。
……でも、この用水路を渡らなければ、村には、帰れない。
抱き上げた小さな体をあやすように軽くゆすりながら、とりあえず溢れている水にまきこまれない程度の距離で止まり、用水路を観察する。
……半刻以上経っても戻らなければ、ジョイスか誰かがきっと見に来る。
だから、これ以上ここを離れてはダメだ。見つけて貰えなくなる。
でも、この橋は、使えない。
今はまだ耐えているが、いつ決壊してしまうか分からない。下手に渡ろうとすれば、それがきっかけで決壊する可能性もある。
その決壊に巻き込まれたら確実に怪我をする。
いや、怪我だけで済めばまだいい。多分それだけじゃ済まない。小さな用水路だと侮ってはいけない。人はほんの僅かな深さでも溺れる時には溺れるのだ。決壊に巻き込まれ足をとられでもしたら、容易には立ち上がれなくなる。最悪の事態もありうるのだ。
用水路の幅は、四メルテほど。
ジョイスとかなら助走をつければ余裕で飛び越せるだろうが、私には無理だ。
自分一人でもできるか怪しいし、今はトゥーレもいる。
なら、水に浸かりながら歩いて渡る?
確か、水路を作る際に土魔法が得意な者に成形してもらったから、底面はそれなりに平らなはずだ。しかし、この状況では水と一緒に何が流れてくるかわからない。
あの橋に堰き止められている瓦礫みたいなものが流れてくる可能性だってある。
今は、堰き止められていて川底が見えている下流なら問題なく歩いて渡れそうだが、いつ橋のところが決壊するか分からないのに、そんな賭けはできない。
上流は濁流になってしまっていて川底が見えない。
抱き上げた少年は、私にしがみついた状態で、不安げに水の流れを見ている。
雨や風は更に強くなってきているし、そろそろ日が暮れる。
「絶対に帰れるからね」
「……うん。ママたちのところに、かえるんだよね……」
「そうだよ、帰るんだよ。みんな心配してるからね」
「うん……」
その声が再び涙混ざりになってきているのは、幼いなりに状況が分かってのことだろう。
大丈夫だ、と抱き上げた子を軽くゆする。
腕に掛けたままの籠からスモモが零れそうになったのを見て、少年がその籠に手を伸ばした。
「おばちゃん、それ、ちょうだい」
「うん?」
「これ、ぼくがとったって、ママにみせるんだ」
こんな時なのに言う様子に、私は苦笑する。
一度少年を下ろして籠を渡すと、少年はそれを大事そうに抱えた。
私は、籠を抱えた少年を、もう一度抱き上げる。
「これでいいかい?」
こくりと頷く様子に、少し救われた。
まだこの子は帰れるって信じている。信じてくれている。
さて、どうやってこの水路を越えてやろうか。私は辺りを見渡しながら、更に考える。
絶対に家族のところに帰してやるからね。
絶対に、私たちはみんなのところへ帰るんだ……。




