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夏の嵐16


 横殴りになり始めている風雨の中。

何度も転びそうになりながら、私は果樹園の奥へと走る。

地面は綺麗に均されていて躓くものもあまりないのだが、なにせこの強い風だ。

雨除けのコートは雨による体温の低下から体を守ってくれるが、その代わり風も受けやすい。

時々、ぶわりと風をはらんで持って、行かれそうになる。

足元も濡れていて時々滑る。

さっき滑った拍子に少し捻ったかもしれない。しかし、今は後回しだ。

多少の痛みは我慢で走る。


 走って少しでも近づいたことで、探査の魔法で見つけた光の点が何かおかしいことに気が付いた。

小さな男の子一人のものにしては、光が大き過ぎる。

それどころか、よく見ると重なって二つあるようにも見えた。


「……」


 なにか不自然だ。誰か大人が一緒にいるにしてはおかしい。

もし村の大人が一緒なのだとしたら、こんなところで留まらずに帰ってきていたはずだ。

考えられるのはその大人が負傷していて動けず、トゥーレもそこにいるか、あるいは……。

 私は警戒して名を呼ぶのをやめ、一度足を止める。

立ち止まって、しっかりとその光点を確認する。

やはり、大きなものと小さなもの、二つ重なっているように見える。

その一つ、小さなものはトゥーレで間違いないだろう。

流石に村の大人全員の居場所までは確認が取れていない。

でも、そこにいるのは村の仲間ではないように思える。

根拠は、何もないのだけども。


「……行くしか、ないよね」


 ぽそ、と、こぼれた。

私は走ったことで乱れた呼吸を整えるように、すーはーと深呼吸を何度かした。

ここからは走らずに歩く。

この状態で隠れても意味はないから、真直ぐ最短距離だ。

 強い風になぶられている林檎の木の横を過ぎ。

青い実をたくさんつけているレモンの木を避けて。

そうして、もう何本かの木の、向こう……スモモの木の下。


「……?」


 何か大きな灰色のモノが、いる。

それも、こちらの気配に気が付いたのか、顔を上げた。

真直ぐに、こちらを見ている。


「……」


 顔を上げた姿勢のまま微動だにしない相手と目を合わせ、私はゆっくりと近づいていく。

まだ、魔法は使わない。

探査の魔法も少し前に切った。意味がないから。


 近づいたことで、それが狼らしきことは、分かった。

ただ、普通のサイズではない。

とても大きい。下手すると大人が乗れてしまいそうなほどに。

白銀の豪奢な毛皮に、金色の目。

こちらが近づいても逃げる様子はない。襲い来る様子もない。

サイズは明らかにおかしいけれど、魔物ではない。

魔物特有の、ぞわりと背に震えがくるような嫌な感じが一切ない。

むしろ、これは……。


「……ここに、小さな男の子はきていないかい?」


 私は、思い切って話しかけた。

人語を解してくれるかは分からなかったけれど、そうする以外に選択肢を思いつかなかった。


「……」


 やはり通じなかったかと思うような間が空いて。

その獣は、ゆっくりと姿勢を変えた。

寝そべっていた姿勢から静かに体を起こし、座る姿勢へと変え……。

その大きく立派なしっぽをゆるりと揺らす。

……そこに、探していた姿があった。


「トゥーレ……っ!」


 名を呼んだことで気がついたのか、小さな体が揺れる。

私は、少年の方に向いていた視線を、狼へと戻す。

近づいていいか、と訊くように見れば、返事なのか一度だけしっぽが揺れた。

それを勝手に許可と受け取って私は駆け出す。

十メルテほどあった距離を一気に縮め、すぐ横まで行けば膝をついた。

もう一度その大きな獣の目を見てから、しっぽに隠されるようにしてうずくまる少年へと手を伸ばす。


「トゥーレっ!!」

「……ぐれんだ、おば、ちゃん……?」

「そう、グレンダだよ。迎えに来たよ……っ!」


 近づいて初めて、トゥーレの顔が真っ青になっていることに気が付いた。

うずくまったまま、左腕を抱きしめている。


「……怪我っ! 怪我してるんだね?」


 小さくこくりと頷く様子に、ごめんよ、と一言謝ってからそうっと少年を抱き上げる。

姿勢を変えたことで痛みが走ったのだろう。小さな悲鳴が上がる。

頬に小さなひっかき傷、手にも。そして、左の肩から腕。……骨が、折れて、いる?

よく見たら、狼と少年のすぐ近くに、スモモがいくつか入った小さな籠が落ちていた。

ひっかき傷はどれも狼の爪なんて凶悪なものではなく、小枝などに弾かれたと思われる細かなもの。

腕の骨以外は、木登りが好きな子供がよくつけるような、見慣れた程度の傷だ。


「……木から落ちたんだね。もう、大丈夫。治すよ」


 私はわざとゆっくり言った。

口を開ければ私の頭を丸かじりで来そうな狼が、至近距離で、じーっとこちらを見ているが、そんなのは知ったことか。

 抱き上げた少年を落ち着かせるようにゆっくり撫でながら、韻をふむ。

高く、低く。風音に紛れぬよう。雨音に負けないよう。

祈りを力あるものに届けねば、願いは叶えられないから。


「……光よ。この幼き者に慈悲を。あるべき姿を」


 私の祈りに呼応して、ふわりと淡い光が少年を包む。

柔らかく、熱はないのに温かな、光。

それが少年の左腕に集まっていって……すぅっと患部に吸い込まれるようにして消えた。

あちこちにあった小さなひっかき傷も消えている。


「……まだ、痛いかい?」


 膝の上に抱いたトゥーレに訊く。

自分の腕の中に入っていった光を、目を丸くして見ていた少年は、何度も何度も瞬きをしてから、横に首を振った。


「そうかい、それは、良かった」

「うん……っ」


 痛みがなくなって、緊張の糸が切れたのだろう。

その目に涙をにじませて、そのまま堰を切ったように泣き始めた。

首にしがみついてきた少年を、あやすように抱きしめて背を軽く叩いてやりながら言う。


「うん、こわかったね。もう大丈夫だ。おばちゃんと帰ろう」


 それまでじっとこちらを観察していた狼がのっそりと立ち上がった。

やはり大きい。立ち上がった狼の腹の辺りがこちらの肩の高さだ。


「……トゥーレを守っててくれたんだね。ありがとう」


 寒くない季節ではあっても、こんな風雨に晒されていたらそれだけで体力を奪われる。

ましてやそれが幼い子で、しかも怪我をしていたら。

白銀の狼は、自分の体でこの子を守ってくれていたのだろう。


「……あなたは、怪我してないかい?」

「……」


 大きく美しい獣は、一度こちらと目を合わせてから、吹き荒れている風雨をものともせず歩き出した。

どうやら怪我はないということなのだろう。

数歩離れてから、一度こちらを振り返りじっと見て。そして踵を返す。

そのまま徐々に歩みを早くし、やがては駆けていく。

果樹園の向こうの森へと消えていく。

その姿に、私はもう一度目を伏せ、感謝の意を表すのだった。




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