少年の決意
バーンとアレフの大馬鹿野郎っ!
……僕、クリスは、そう大声で叫びたかった。
あれだけ危ないって言われてたのに、なんで行くんだろう。
確かに本物の魔物を見てみたいって気持ちは少しは分かるけど……!
今回のは、普通の魔物じゃない。
ベテラン冒険者たちがパーティを組んで、計画的に倒すようなレベルの魔物だ。
僕たちみたいな新人じゃ、足手まといになるどころか、あっという間に殺される。
なのに、なんで、行くんだ。
二人は、昔から危ないことや怒られることをする時は、必ず僕をおいていった。
単に僕が愚鈍で足手まといになるからっていうのもあるけれど、
彼らは馬鹿だから、それで僕を守った気になってるんだってのも僕は知ってる。
バーンと二人で貯蔵庫に収穫物を運ぶから休んでろ、と、アレフが僕に言った時に気が付くべきだった。
よく考えたらいつものパターンじゃないか。
いつまでも戻ってこない二人に、何かやらかしているのではと気が付いて……。
助けを求める先は、彼女しか思いつかなかった。
そうして、聞くことになったのは、全く知らない呪文だった。
これでも僕はそこそこ記憶は良い方だ。
自分とは違う系統の魔法もそれなりに勉強したつもりでいたのに、彼女が唱えた呪文は、知っているどの呪文にも似ていなかった。
呟くようでありながら、歌うようでもあった不思議な呪文。
「クリス、行くよ!」
僕にそう声をかけて、彼女は走り出す。
普段と全く違う白い法衣姿で。
お世辞にも運動神経が良さそうには思えない、中年の女性。
食堂の店主としてテキパキと働いている姿は見ていたが、年相応に動作はゆっくりで、走っている姿なんて見たことが無かった。
その彼女が、自分の前を走っていく――……。
まるで、白い、鳥のようだ。
はためく白い法衣とローブ。
そこから零れ落ちる黒い髪。
一切の迷いもなく、
真直ぐに、駆けて行く。
まるで白鳥が水面すれすれを滑空するように、真直ぐ、に。
僕もけして運動神経がいい方ではないけれど、それでも若さと性別の違いですぐに追いつけると思ってた。なのに、先導する彼女との距離は縮まらない。
いつもカエル沼に行く時に曲がった道で曲がらず、彼女は森の中を真直ぐにつっきっていく。
獣道みたいに凸凹も多く、藪が塞いでいたりする、道とは言えないような道を。
避けたり迂回することもせず、本当に、真直ぐに。
気を抜けば、見失う。
だから、僕は、息を切らして必死に追いかけて――……。
視界が、拓けた。
崖の、上。
先に立ち止まっていた彼女がこちらに向き直った。
何か言う間もないうちに、錫杖の先で、僕の足元にぐるりと大きな円を描く。
ぶつぶつと聞き取れない呪文を口の中で呟きながら、円をしっかり閉じて、術を完成させる。
「クリス、絶対それから出るんじゃないよ!」
「は、はいっ!」
反射的に返事をして。
僕は、大きく目を見開くことになった。
彼女は自分が意図することを僕がしっかり理解したか、確認するように見つめてきて。
ふわり、と、柔らかく笑った。
「いい子だ。しっかりそこで見ておいで」
こくこく、と、頷いて見せれば、彼女は僕に背を向ける。
「……風よ、光よ、守護を!!!」
音は大きくないのに、強く力ある声が言う。
そうして。
彼女、グレンダさんは、躊躇いもなく崖から身を躍らせた。
普通に考えたら、落ちたら無事では済まない高さを。
「……グレンダさんっ!!!!」
真っ白なローブが、法衣が、ばさばさと翻った。
真っ白な、鳥。
それも、この上なく尊く、
神々しくさえ見える、
大きくて真っ白な、鳥。
けして、穢してはいけない、鳥。
「……」
僕は、見ていることしかできない。
まだ、この場で何かできるほどの力を持っていない。
経験も、足らない。
知識も、足らない。
何もかも、足らない。
彼女が唱えた呪文。あれが単なる身体強化の術じゃないのは確かだった。
……だって、今の目の前にいたグレンダさんは、二十歳かそこらの若い女性にしか見えなかったから。
この村に来てから毎日見ていた目尻の笑い皺も、髪に混ざった白いものも、なかった。
元々はふっくらしていて年相応に緩んだ体形だった。
でも、今、僕の前で飛んだ彼女は、すらりと華奢だった。
面差しは間違いなく彼女なのに、まるで二十年分ぐらいの時間を遡ったように見えた。
でも。
彼女が、グレンダさんなのは間違いない。
だって、ずっと目の前を走っていて、誰かと途中で入れ替わるなんて出来る状況ではなかった。
走り出す前までは身に纏うものこそ違えど、間違いなくいつもの彼女だったから。
だから、あの綺麗で若返ったような姿も、グレンダさんなのは間違いなくて――……。
時間を操る魔法はない、って、学校で習った。
時間は、神の領域だから。
人が弄れるものではないのだ、と。
崖の下で、魔物に激突された守護盾が、眩いほどに光った。
僕は、描かれた円の中で、膝をついて覗くようにして崖下を見つめる。
ギリギリでバーンたちと魔物の間に割り込んだグレンダさんが、魔物の攻撃を食い止めていた。
その向こう側で討伐隊の皆さんが追いすがり、魔物に攻撃を始めている。
……僕は、ここで見ているしか、できない。
今は、
見ていることしか、できない。
強く、なりたい。
自分もあそこに介入できるぐらいに、強く。
……なりたい、なんて思ってたらダメだ。
僕は、強く、なるんだ。
戦いが終わって、
その後に魔素溜まりの浄化も見せて貰って。
更にその後、宴会の席で……。
「グレンダさん、あの時の呪文は……」
僕が訊きたいことが分かったのだろう。
彼女は、ゆっくりと首を横に振って答えなかった。
僕は、それで少し察した。
「まだね、知らない方がいい。……いつか、自分で答えを見つけたら言いにおいで。答え合わせをしよう」
そんな言葉に頷く。
おいで、と手招きされたので近寄ったら、頭を撫でられた。
優しい手つきで。
優しい表情で。
「そのためにちゃんと生き残るんだよ。そして、またおいで。ごはん用意して待ってるからね」
「……はい」
普段は厳しかったり、わざとしかめっ面してみせたり、そんなに笑顔が多いわけではない食堂のおばちゃんが、あの時と同じ表情で笑っていた。
僕は、きっとまたこの村に戻ってくるんだろう。
その時には絶対に強くなってる。
グレンダさんやリドさんには届かなくても、少しは頼りにしてもらえるぐらいに。
僕、クリスは、心に誓った。
駆け出し3人組の中の一人、魔法使いクリス視点になります。
途中察してた方もいるかもですが、グレンダが疲れ果てていた事の種明かし、になるのかな。
彼女の視点では書くに書けなかった部分でした。
余談ですが、クリスはかなりギリギリまで性別で迷っていました。
女の子にするか、男の子にするか。
迷った末にやっぱり男の子の方が「らしい」かな、と。
それに男二人に女の子1人のパーティって、なんだかめんどくさそうで……(そんな理由)
おばちゃんが表の主人公なのに対して、実はクリスが裏の主人公だったりします。
この先も時々出てくる予定なので良かったら彼の成長も見守ってやってくださいな。
あともう1つオマケの別視点を書く予定です。




