食堂のおばちゃん26
雨の勢いが僅かばかり弱まった。
駆け出し冒険者たちを逃がしてしまえば、後は何の心配もない戦いだった。
リリスがバーンとアレフの二人を伴って戦線離脱したが、元々かなり高めの安全係数をとって戦闘に臨んでいる。
複数いるかもと懸念されていた魔物は一体のみだったし、ここに揃っているのは、豊富な経験や力量に裏付けられた腕利き冒険者たちだ。
リリスたちが無事に崖上まで移動するまでの間、前衛二人とシェリーが敵の気を反らし続けた。その間に弓師として討伐隊に参加しているジョイスが良い位置……というか、私の横に移動してきた。
普段なら木の上や目立たぬ場所から射るのだが、今回は隠れずに私の守護盾を使って真正面から射ることにしたらしい。
私がいると気づいたイーブンも早々に寄ってきて治癒魔法を受け、戦闘に復帰した。
少年たちが無事避難した時点でシェリーも盾の中に入る。
気が付けば、遠距離攻撃の三人分の防御をまとめて私が担う形になった。
その頃にはもはや蹂躙戦である。
前衛の二人は好き勝手に暴れているし、弓師二人もシェリーも守護盾の中という安全なところから容赦なく大熊に攻撃している。
私はと言えば、時々前衛二人と熊の攻撃の余波がこちらまで飛んでくるのを魔法で防いでいたぐらいだ。私を便利に使った三人には後で何か請求してもいいかもしれない。
ほどなくして。
ドォォンっと地響きを立てて熊が倒れ、ちょうどその上に降り立ったリドルフィが勝鬨をあげた。
その様子に、彼の方がよっぽど獣みたいだと私は思ってしまった。
「よぉ、結局来たなぁ」
身軽に熊から飛び降りてこちらにやってきた壮年マッチョが、にやにやしながら言う。
私は額についた雨水を手の甲で払いながら顔を顰めた。
もうぽつぽつと時々濡れる程度になったので、そろそろ雨も止むのかもしれない。
「来たなぁ、じゃないよ。ジョイス、ちょっとそこの熊、撃っちゃいなさいな」
「了解」
「待て待て待て……!」
「師匠、すみません、おばちゃんの命令には逆らえません!」
俺は自分のごはんが大事です……!などと演技たっぷりに言いながら弓を構えるジョイス。
それを威嚇するリドルフィ。
じゃれ始めた師弟二人を放っておいて私は倒された熊の方へと近づく。
大きさ四メルテちょっと。
足の裏だけで食堂で一番大きなテーブルほどの大きさがある。
二つある頭のうち一つは斬り落とされ、少し離れたところに転がっていた。
見開いたままの目が空を映している。
「……大きかったですね」
そう言いながらやってきたカイルは、大きな熊の、斬り落とされ少し離れたところに落ちている顔の方に行く。そうして、ゆっくりと屈むと、彼は熊の瞼を閉じてやった。
「あぁ、大きかったね。……悪いんだけどそっちの頭も、持ってきてもらえるかい?」
ここまで異形化してしまった魔物は、いつものように食べてやることはできない。
その命をせめて食すことで繋げたくとも、これほどまでに巨大化し、しかも本来持つはずのない二つ目の頭を具現化させてしまっている以上、魔物のうちに残る魔素が起こす影響を無視できないのだ。
「えぇ。そうかなって思ったから、こっちに来ました」
「察しが良くて助かるよ」
どういたしまして、と笑む。
カイルはスマートにそんな立ち回りが出来てしまうから、その容姿も相まってかなりモテる。
現にうちの村でもカイルのファンは数人いるのだが……今のところ浮いた噂は聞いたことがない。誰か心に決めた相手でもいるの?と、試しに訊いてみたら少し困ったような顔で、俺はそういうの向いてないんですよ、なんて答えていた。
勿体ない、と思ってしまうのは私だけじゃないはずだ。
カイルが斬り落とされた方の頭を胴体の近くに寄せてくれる間に、他の四人もこちらに来た。
一度振り返ったら、崖の上でリリスが手を振ってくれた。
その横から駆け出し三人組もこちらを覗いている。
……あの子達を助けられて、本当に良かった。
崖の上から見ている四人に、軽く手を振ってこたえる。
それから、リドルフィに一度視線をやり、うん、と一つ頷いて見せて。
「送る、よ」
「……あぁ、頼む」
私は、自然と熊の前に並んだ他の人たちより一歩前に出る。
シャン、と、錫杖を鳴らす。
仰向けにひっくり返っている魔獣を見つめ、そしてゆっくりと目を閉じ、私はゆっくりと謡う。
韻を踏んで。
時折、錫杖が鳴る。
その音に合わせて、ふわり、ふわりと魔獣の体から淡い光が生まれた。
やがてその大きな体を覆いつくし。
「――――……」
呪文の終わりに、風が吹いた。
魔獣を覆っていた光がその風に攫われて空へと消えていく――……。
その体もまた、光と共にほどけてなくなった。
いつの間にかできた雲の途切れ目から光が差し、空にはうっすらと虹が出ていた。




