食堂のおばちゃん25
ビリビリと大気を震わす咆哮を、私は真正面で受け止める。
白い法衣が、フードから零れた黒髪が、圧を受けて後ろへとバタついた。
魔法という不思議な力が無ければ、私などその圧だけで吹き飛ばされても可笑しくない。
それでも、この場で揺らがずに、立ちはだかる。
視線を逸らさない。
圧倒的な力を持つ者を相手に、対峙する者の一人として在り続ける。
絶対に、退かない。
退いてなど、やらない。
魔物化した熊は、狩る側から狩られる側へと追いやられて逃亡を選んだ。
その退路を探した時に、見つけた二つの弱い個体。
熊は、他の敵に比べれば隙も多く容易になぎ倒せそうなその個体を倒すことを選んだ。
そうすれば、この場から逃れられる。
逃げて、探せる。――を。
何を?
何かを。
わからない。
……なのに、その目の前に文字通り壁を作られ、獲物を、退路を取り上げられた。
熊は、それをなした者に怒りを向ける。
やっと見つけられた道を塞ぐ、不届き者。
後ろからは自分を狩ろうとする者たちが追いつこうとしている。
もはや。
目の前の邪魔者を倒す以外に選択肢は残っていなかった。
これは、命の、やり取りなのだ。
あちらもまた死に物狂いで子どもを守ろうとしている。
生き残るために、生き残すために、必死だ。
こちらもまた退くわけにいかない。
ここを突破する以外に、活路は、ない。
本能的に感じる恐怖。
己よりずっとずっと大きく力を持つ者に身を晒す、怖さ。
恐ろしくて、今すぐにでも逃げたくなる。
それでも、退かない。退いてなどやらない。
私は、ぎゅぅと強く杖を握りしめる。
一度はへたり込んでいた若者がもう一度立ち上がった気配を背後に感じて、私は口を開く。
「……いいかい、怯えて勝手に逃げ出すんじゃないよ。そこで大人しく待っておいで。……必ず、必ず守ってやるから」
「あ、あぁ」
「……わかった」
きっちり二人分の返事を聞いて、振り返らずに私は頷いてみせる。
掠れたり幾分震えてはいるが、しっかり声を出して返事できている。
きっとこの子たちは、ここを生き残ったらまた一回り大きくなる。強くなる。
そのことに、少しだけ満足する。
絶対死なせない。
過去、空へと見送らざるえなかった子たちの姿が脳裏でちらついた。
もう、絶対あんなことなど許すものか。この子たちは、意地でも生かして帰す。
弱い個体二つの前に唐突に割って入った、どう見ても強そうには見えないのに退かない個体に、魔物は腹を立て、もう一度咆哮した。
見えない壁を壊そうと力任せに体当たりする。
何度も、何度も。
繰り返される体当たりを守護盾で受け止める私は、地に突き立てた杖をしっかりと握る。
口の中では光の盾を維持すべく詠唱を再開する。
先に展開した盾が、硝子が砕けるような派手な音を立てて光を散らし、霧散する。
盾が砕け散った瞬間に、背後で息をのむ音がした。
その次の瞬間、私は術を完成させる。
先ほどと同じ場に現れた新たな盾に、怒った双頭の熊は更に体当たりを繰り返した。
私は三枚目、四枚目と守護盾を展開していく――……。
「はぁぁぁぁぁっ!!」
声が、響いた。
沼地の逆側から追いついたカイルの斬撃が、大熊を右背後から襲う。
後ろからの攻撃に、ギャンっと熊は悲鳴をあげた。
熊の片方の頭が私から視線を外し、カイルのいる右の方へと向く。
それとほぼ同時に、カイルとは逆側から、銀色の軌跡が熊を薙ぐように走った。
今もまだ私の方を向いていたもう一つの頭が、今度は左背後を見ようと首をねじる。
二つの頭が同時に逆向きに背後を確認しようとして、胴体の動きがほんのわずかの間、止まった。
「頭が二つもあると大変だなぁ」
ふてぶてしく低い声が言う。
よく知った声。
遅いよ、と、私は心の中で文句を言う。
でも、声を聞いたその瞬間から、真っ白になるほど錫杖を握りしめなければ止められなかった手の震えが止まっていた。
もう、何も心配する必要はない。そう無条件に信じられた。
「――……アイスバインドっ!!」
高らかに宣言する女性の声。シャリーだ。
ビシっと音を立てて、熊の後ろ脚が沼地の氷に絡められるようにして氷漬けになった。
二本の後ろ足から尻にかけて分厚い氷に固められ、そこから動けなくなる。
続けざまに重ねられていく攻撃に、双頭の熊は立ち上がり、大きく前脚を振り回す。
敵を排除しようと暴れ始める。
攻撃対象がこちらではなく、討伐隊の面々へと移ったのを感じた私は小さく息を吐いた。
杖を地に突き立て、守護盾は展開したまま、少しだけ肩の力を抜く。
「……ありがとうございます。この子たちを逃がすのは私がやりますね」
熊の気が逸れたのを確認してから来たのか、小柄な女性がすっと私に寄ってきた。
短剣使いのリリス。
気配を消して立ち回るのが得意らしく、事前に話していた作戦でも誘導やフォローを担当することになっていた。
彼女は、こちらが法衣姿だったため私だと分からなかったのか、丁寧な口調で話しかけてきた。
「あぁ、上にもう一人いる。防御陣を置いてきたから、そこで見学させてやっておくれ。」
「わかりました。……って、グレンダさん?」
「えっ!!?」
「……おばちゃんっ!?」
「……いいから、お行き!」
少し間が空いてから、少し躊躇いがちに名が呼ばれた。
それに合わせてバーンたちがびっくりしたような声を上げている。どうやら彼らも私だと分かっていなかったらしい。
シェリーのアイスバインドを、バリバリと音を立てて熊が引っぺがし、動き始めた。
カイルとリドルフィが二人がかりで注意を引いているが、まだいつ熊がこっちを向くかわかったものではない。
今もまだ熊のすぐそばに私たちがいるため、誤射を警戒して射れないのだろう。
弓使い二人が沈黙している。もしかしたら、援護に良い場所を探しているのかもしれない。
早く皆が全力で戦えるようにしてやらねば。
「イーブンさんが少し肩をやっちゃったみたい。支援、お願いします。……ほら、君らは行くよ!」
口調をいつものものに戻して、リリスは私に教えると少年二人を連れて移動し始める。
戦場から少し離れたところに移動して、使えると言ってた風の魔法を使って少年たちを崖の上へ逃がすのだろう。
私は視線は前に向けたまま、彼女の言葉に分かったと頷く。
目晦ましも兼ねて守護盾を展開したまま維持しつつ、彼らが背後から崖の方へと移動するのを待つ。
そうしている間にも、目の前で戦闘は続いていた。
数日お待たせしてしまった分、今回は少し長めになりました。
戦闘シーンは頭の中フル回転ですね。
誰がどこに立っていてどう動いて……細かく書き過ぎると野暮ったいし書かなさ過ぎると薄っぺらくなるし加減が難しい。
上手く臨場感持って書ける方、本当に尊敬します。




