見習いの少年
小さな懐古シーンもおまけにどうぞ。
少年の世界は、色褪せていた。
少年は、とても優秀で、大抵のことは出来てしまう子どもだった。
王族に生まれ、容姿にもそこそこ恵まれている。まだ成長途中だがおそらく体格にも恵まれるだろう。
小さい頃から家庭教師が教えてくれたことは一度で出来るようになった。剣術も習い始めてすぐにめきめきと上達した。王族に課せられている神樹の庭への扉も、あっけなく通れてしまった。
おまけに六歳の時には、割と強めの光属性の祝福と守護者の祝福、という、かなり珍しい組合せで祝福を得ることが出来た。
守護者の祝福は体力強化系の最上位と言われている。歴代の聖騎士や騎士でも、後に英雄と呼ばれた者が持っていることが多かった祝福らしい。
王位継承権を放棄はしないが、腹違いの兄が数人いるので少年まで王位が回ってくることはないだろう。少年は聖騎士候補生として養成校に入ることになった。
入った学校でも少年は優秀で、手を抜いたりしても大抵のことは出来てしまう。養成校の先輩たちはそんな少年にも優しかった。しっかり仲間に入れてくれて、それなりに楽しく少年は過ごしていた。
しかし、それでも世界はどこか色彩薄く、少年は何のために頑張るのか、さっぱりわからなかった。
そんなある日、少年には後輩ができた。
四年ぶりに養成校に新しい子どもが入ってきた。しかも女の子だ。なんと聖女候補らしい。
前に聖女が現れたのはもう百年も前だというのだから、相当珍しい祝福を受けたのだろう。
どんなすごい子が来るんだろう、わくわくしていた少年たちの前に現れたのは、小さくて心細そうな、けれど、絶対に周りに迷惑はかけまいと健気に気を張った、まだ幼い女の子だった。
少年は、その子を見た瞬間、目を奪われた。
もし誰かに話していたなら、一目惚れだとからかわれたかもしれない。
運命を感じた、なんて言ったら安くなる。少年はその日以来少女をずっと目で追い続けていた。
りんごんと、鐘が鳴っている――……
中庭の脇を通る通路の先、小さな背中を見つけた少年は思わず立ち止まった。
もう何日も声をかけるにかけられなかった少女がいた。
まだぶかぶかの制服。小さな肩は見るからに頼りなさげで、鐘の音に塔を見上げた時にちらりと見えた横顔はやっぱり心細そうだった。
どうしよう、なんて声をかけようか。迷ったのはほんの一瞬。少年は、わざと大きな声で言う。
「……あー、腹減ったー!!」
背後から唐突に飛んできた声に小さな背中が、びくっと体が震えるのが見えた。よし、気が付いてくれた。
振り返った少女に、少年はさも単に心の叫びを叫んだだけという風に取り繕いながら近づく。
うわ、胸の辺りに頭がある。六歳ってこんな小さかったっけ? ……なんて動揺は、なんとか隠した。
「お前は腹減らない? 育ち盛りなのに飯だけなんて足りねぇよな」
「え、えぇっと……」
「家に居た頃はおやつ、食ってただろ? 飯と飯の間とかに」
すぐそばまで来た少年の勢いに飲まれて、少女がこくこくと頷く。
よしよし、会話できそうだと少年は心の中で胸をなでおろした。
「だよなー、腹減るからおやつもくれって言ってるのに全然くれないんだよ、ここの連中。……って、チビなのに難しいの読んでるなぁ」
少年は、たった今気が付いたという風に、少女が持っていた一番分厚い本を一冊ひょいと取り上げる。実際にはその姿を見つけた時から重そうだと気になっていたけど、それは内緒だ。ぺらぺらとめくって、うへぇと顔を顰めた。
「ライザス師の課題だろ、これ。神聖魔法理論。もうこんなのやってるのか。早いなぁ。俺も今習ってるけどちんぷんかんぷんだぞ。術の干渉がどーのとかあれこれ難しいこと言うより実際やった方が早ぇよなぁ。というか、腹減った………よし、厨房いこう!」
「え、えぇぇぇぇっ」
本をぱたんと閉じて、ついでに持ってやると残り数冊の本も、少女が何か言う前に取り上げた。
こんな重いのを持たせるなよ。後で教官に文句を言いに行こう。
片手で少女の手をつかむ、あまりにその手が小さくて、動揺がバレませんようにと祈りながら、少年は歩き出す。
「ちょ、ちょっと待って」
そもそもあなたは誰? と翻弄されながら問う少女に、少年は嬉しくなって笑った。
「俺? 俺はリドルフィ。リドでいいよ」
「リドルフィ、先輩?」
「ううん、リド、で」
まだ細くて高い声に呼ばれて、少年は何故かすごく幸せな気持ちになった。
そうだ、フルネームは教えるのをやめとこう。この子は気にしそうだから、王族だなんて知れたら絶対愛称じゃ呼んでくれなくなる。
敬称を付けたがる少女に、愛称のみじゃないと返事しないと何度も言い含めて少年は笑う。根負けした少女もつられたように笑ってくれた。ぱぁっと世界が明るくなったような気がした。
そうか、俺はこの子を守るためにいるんだ。
名を呼ばれた瞬間に何故か分かった。何故そう思ったのか説明しろと言われても出来る気はしないけれど、分かったものは分かったんだから仕方ない。
この先は、もっとまじめに講義も訓練も受けよう。何があってもこの子を守るために、俺は誰よりも強くなるんだ。少年はそう誓った。
この日以来、少年の世界の真ん中には、いつも少女がいた。
少女がいる限り、少年の見る世界が色褪せることはもうなかった。
ストーカーと言わないでやって下さい。一応は対として生まれた何かを感じたってことで。(苦笑)
40年拗らせた恋をしっかり実らせた二人の結婚式のシーンも、近いうちに後日談として書けたらいいなと思います。




