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夜明け(モーゲン)


 しゃん! と、錫杖が鳴った。


 錫杖の音は、場を清める。

教会の鐘と同じだ。

目に見える効果はなくとも、水面の波紋のように広がっていく。

淀んだ空気の中に一筋の風が吹くような、そんな細やかだけど確かに感じる、何か。

ほんの僅かに、周りが明るくなったような錯覚を起こす。


 襲い来る葉の魔物たちを、私はよく知っていた。

多分ここに居る誰よりも、それに近いものを見てきた。

魔素溜まりで時々見つかる、『あれ』。

今、私たちが戦っている神樹の葉は『あれ』とそっくりな質感をしている。

魔族の王が一人シルバーは、神樹を異界の神だと話していた。

おそらくは。

魔素溜まりで見つかっていたあれは異界から入り込んできた神樹の種か、その欠片なのだろう。


 神樹は魔力や魔素を糧に成長する。

魔素はこの世界に満ちていて、そして時々吹き溜まる。吹き溜まり淀んだところが魔素溜まりであり、魔力を求めて異界から彷徨い込み魔素溜まりに落ちて淀んだ魔素を吸い込んで黒化したのが、黒い状態のあれなのだろう。

今、戦っている神樹の葉もまた、私やこの大地から大量に吸い取った魔力や魔素で満ちている。

聖女などと呼ばれているが私も単なる人間だ。自分が清く正しいだけだなどとは言えない。私の魔力を吸った葉が黒化しているのなら、あれは私の中で淀んでいた悲しみや苦しみといった負の感情が長年蓄積された結果なのかもしれない。そうして、私から切り離されて大地に降り、小さな黒ずみが呼び水のようになってこの世界に染み込んだ人々の苦労や悲しみを吸い取ってしまったのかもしれない。

調べることが出来ればもっと詳しいことも分かるだろうが、『あれ』は人が持っていていいものではない。この場には魔素こそ溜まっていないが、戦っている敵が『あれ』なのだとすれば、触れる時間が長ければ長いだけ黒化の危険が高まる。

即座にその症状が出ていないのはここが元は湖の底であり、聖水が長い月日をかけて清め続けていた場所だからだ。おそらく村の方も、そして村の外で戦ってくれている騎士団や魔導士、冒険者がいるところも、カイルの件の時に降らせた光の雨や、リドルフィが皆や家畜たちに聖水を飲ませていたおかげで即座に黒化する者は出ずに済んでいるはずだ。

 全ては、その場の成り行きや、もしかしたらで行っていた些細なこと。それらが偶発的に重なりあって今の状況が出来上がっている。過去の何もかもが無駄ではなかったのだとでもいうかのように、愛しいものたちを守ってくれている。


 杖で陣を描くようにしながら長い前呪文を唱えていたロドヴィックが、大きく息を吸いこんだ。


「偉大なる魔導士ケレスティヌスが弟子、星芒の魔導士ロドヴィックが命ずる。

 星明りよ、凝れ

 一つは優しく朗らかに、全てを見守れ

 一つは尊く聡明に、全てをまとめよ

 一つは愛情深く親身に、内なる光を見つめ

 一つは学識高く賢明に、その知識で導け

 一つは雄々しく荘厳に、輝きを鍛え

 一つは知見広く早急に、辺りを整えよ

 一つは清く粛々と、聖なる光に沿い

 一つは偽りなく大胆に、その背を押せ

 一つは近しく心豊かに、幸せを願い

 一つは先なる全てを継ぎ、光を守り抜け!

 星明りよ、十の鏡となり内なる光を今ここに映し出せ……!!!」


 朗々と謡うような張りのある声が唱えた呪文に、私は思わず彼の方を振り返る。

魔導士は私に気が付けば、少し不思議そうな顔をした。

偶然の一致と思うには、あまりにも揃えられたそれに、彼がケレスティヌスの弟子であることを思い出す。この呪文はおそらく老魔導士が弟子に託していった置き土産。私は涙ぐみそうになって慌てて頭を振った。今は感傷に浸る時ではない。


 目を閉じ、私は錫杖を構える。意識して大地を、突く。


 しゃん。


 呪い粉はない。必要ない。

呪い粉代わり……いや、それよりももっと素敵な触媒が辺り一面に舞っている。


 しゃん。


 唇を開き、音を出す。

今の言葉ではない、今は意味を知る者もいない、歌。

まるで子守唄のような優しい響きの、歌。


 しゃん。


 ふわり、風もないのにローブが空気を纏い膨らんだ。

ローブのフードが勝手に外れ、ところどころ白いものの混ざる黒髪が空気を孕む。

残っていた結界石の欠片がキラキラと光を跳ね返した。

私をずっと守ってくれていたローブや法衣は、あちこちにかぎ裂きができ、ぼろぼろになっていた。

この場にいる他の皆も同じような有様だ。あちこち傷だらけだし、汚れている。立っているのも限界なほどに疲れ切っている。

それでも戦っている。自分の意思で立ち、ここに留まることを選んでいる。


 しゃん。


 村の教会の鐘が鳴っている。

懐かしい、遠く懐かしい学舎を思い出す音だ。

廃墟になったヴェルデアリアであの鐘を見つけた時のことを思い出す。

何もかも壊された街の瓦礫の下、記憶の中と同じように鈍く輝いていたその姿は、まるであの輝いていた日々は確かにあったのだと、ここで学んだことは確かに自分たちの中に生きているのだと、そう言っているようだった。


 しゃん。


 世界に、己の鳴らす錫杖と、己の歌う聖歌が響いている。

教会の鐘の音、周りで戦う皆の物音、神樹の葉のさざめき、たくさんの音が満ちている。

村で待つ子どもたちの、私たちを応援する声が聞こえた気がした。

さらに遠く、遠く、鐘の音のようなものが聞こえた気がした。

……もしかしたら、気のせいではないのかもしれない。


 しゃん。


 大気に、力が満ちていく。

私はゆっくりと瞼を上げる。

周囲に淡い光が集まってきていた。村の皆が送ってくれた祈りの光。

この光がなければ、きっと私たちは今頃地に伏せていただろう。

私に浄化を行う力を戻してくれた、光。

私たちの心を守ってくれた、光。

……あぁ、私たちは、守っているつもりで、たくさんの人たちに守られていたんだね。


 しゃん。


 唱え続ける呪文に、私自身も同じように淡い光を発していた。

その光を、ロドヴィックが出してくれた鏡が何重にも増幅させてくれている。

……この身を満たす、少し切ないような多幸感は何なのだろう。

私は神樹の幹に沿ってゆっくりと視線を上げていく。


 あぁ、そうか。


「――…… 

 ここは生あるモノの場所。

 風とめぐり、水に育まれ、

 火に教えられ、地へと還るモノたちの場所。

 闇に許され、光に守られ、

 健やかなる命のための場所。

 光よ、この地を照らせ。

 …………さぁ、おかえりなさい、あなたの在るべき場所へ

 異界の神よ、この地の神に代わり聖女グレンダが捧げましょう

 神なる樹に、祝福を……!」


 しゃ、しゃん!


 大地に二回打ち付けた錫杖が、澄んだ音を響かせた。

私を中心に、光が圧をもって噴き出す。

その光を、十の鏡が映し出して増幅し、辺りが光にのまれていく。

眩しいのにけして目を射ることのない、聖光。

まるで水面に広がりゆく波紋のように、その光はどこまでも、どこまでも先へと、広がっていった。



 過去、何度も経験した浄化の中で今回が一番規模も大きく眩いように思うのに。

不思議と周りの全てが見えていた。

黒く染まり私たちを攻撃していた神樹の葉が光に晒され、色を失っていく。

それは、私がこの手の中で何度も行っていたのと同じ、こと。

黒く染まった欠片の、浄化。


「リド……っ!!」

「おうっ!!」


 私は体中の力を使い果たしてその場に崩れながら、叫ぶ。

いつもと同じ、太くよく響く声が間髪入れず応えた。

真っ白に染まっていく視界の中で、やっと群がる葉たちから解放された男が神樹の這い出た根の上をいくつも飛びうつりながら、力強く駆けていく。


 あちこちで透明になった神樹の葉が動きを止め、地にぱたぱたと倒れた。ゆっくりと解けるように光の粒になって消えていく。


 ロドヴィックがその場に私と同じように倒れ込んだ。「師匠に勝った」とか満足そうな呟きが聞こえたから大丈夫だろうが、あの呪文を作ったのがケレスティヌスなら、本当に勝っているんだろうか。

イーブンが構えていた矢を、下ろす。拾い集めて貰った矢ももう残り数本だったようだ。深々と疲れごと肺の中の空気を吐き出す。

ミリエルが突然戦意を失った葉を不思議そうに見下ろしている。その肩を近くに寄ったオーガスタが叩いた。私の方を指差して共にこちらに歩き始める。


「……ははっ、やっぱりすごい、な」


 エルノが苦笑する声が聞こえた。そこに嫉妬の色はまったくない。

シェリーもまた安堵したようにゆっくりとその場に座り込んだ。そうだね、疲れたよね。

カイルがそんなシェリーに近づき、手を差し伸べる。抱き上げようとして断られている。結局横から支える形で二人もこちらの方へと歩いてくる。


「……神樹よ、異界の神よ!!」


 リドルフィは、今まで葉の魔物によって近づけなかった幹へと迫り、両手で持った聖斧を大きく振りかぶった。


「今こそ、俺の女を返して貰う……っ!!」


 リドルフィが怒号のように叫びながら、大きな戦斧をその幹に叩きつけた。

聖斧から、斬りつけられた神樹から光が舞う。




「……ちょっ、何言ってるのよっ!?」

「うわー……リド、あれにまで嫉妬するのかー……」


 聞こえてきた言葉に、私は思わずツッコミを入れた。

すぐ横まで来ていたイリアスが、「ちょっとすごいよねぇ」なんて言いながら大笑いしている。

笑いごとじゃないよ、なんでこんな時に何を叫んでいるのよ、あの人は!

真っ赤になって口をパクパクさせている私に、イリアスはもう諦めな、と首を横に振った。


「熱烈ですねぇ」


 うんうん、と何故か納得顔で頷いているのはエルノ。

どこか清々しい表情で、カイルは「お式には呼んで下さい」とか言い出している。そのカイルに支えてもらっているシェリーは、ぽそりと「いいなぁ」なんて呟いているし、他も苦笑している。


「許してやれ、もう四十年も拗らせていたんだ」


 私の近くまでやってきたイーブンがぽそっと言った。四十年って養成校時代の初めからじゃないの!


 叫んだリドルフィはこちら状況なんて気がついていないようだ。

動けなくなっている私やロドヴィックの近くまで集まってきた仲間たちは、めいめいに座ったりその場に倒れたりしながら、呆れたようなことを言いながらどこか楽しそうにリドルフィを見守っている。

居た堪れない気分に真っ赤になった私はリドルフィの姿を見つめていた。そうするのが私の一番大事な役割のような気がした。



 聖斧を持つ男は、満身創痍の体で、それでも力強く何度も斧を振るう。

斧が振るわれる度に神樹がゆっくりと崩壊していく。

空を覆い隠していた巨大な枝が落ちながら解け光へと変じていく……。

その光景は、まるで神樹と男の神話そのもの。

煌らかにその欠片が地へと落ちる前にほどけ、いつの間にか吹き始めた風に乗って遥か先までも飛んでいく。この世界の全ての場所に光の粒となって降り注いだ。


 やがて、聖女が鳴らした錫杖の音と同じ回数聖斧を振るった男は、地に最後に残った切り株に斧を振り下ろす。

その瞬間、ぱぁぁぁっと光が弾けるようにして神樹の切り株は砕け散った。

名残のようにきらきらと光の粉が舞う。

その光の粉が、ふっと空間を歪ませてどこかへと消えた。

……おそらく、ここではないどこかへと還ったのだろう。そんな風に感じられた。

男は、息を吐き出し、満足げに笑った。




「リド、お疲れ! ほぉら、お姫様はここよ。」

「ちょっと、イリー、何言ってるのっ!?」

「あはは、グレンダ、流石にもう逃げられないんだから照れた振りしてないで諦めなよ。人間の英雄は、世界を救ったご褒美にお姫様をお嫁さんにもらうものなんでしょ」


 ゆっくりと聖斧を担いで戻ってくるリドルフィに、イリアスがとんでもないことを言う。英雄はともかく何がお姫様だよ、イリアス自身ならともかく、こっちは見た目はすっかりおばちゃんだし、もう行き遅れどころか人生も折り返し地点をかなり過ぎているのだけども!

私は慌てて彼女の口を塞ごうとするけれど、あちこちぎしぎし軋んでいる上に魔力も体力も気力さえもほとんど使い切った体で出来る訳もない。イリアスはちょっと避けるふりをするだけで笑い転げている。


「おう、皆もご苦労。村の連中も待っているだろう、みんなで祝勝会だな」

「ですね。本当疲れました」

「酒より先にこれは布団だな」

「私はお風呂に入りたいなぁ」

「しばらくは働かないぞ、誰に何言われても……」


 みんな好き勝手に言いながら立ち上がり、肩を貸し合ったり支え合ったりして、歩き出す。

って、ちょっと、私も連れてってくれないと困るんだけど……!


「ほら」


 薄情な連中に置いてかれて、その場にへたり込んだままになっている私の前に、聖斧を背負った壮年マッチョが手を出した。

その大きな手を見て、私は眉根を寄せる。自分でも顔が赤くなっている自覚はあった。


「……」

「どうした?」

「……さっきの、めちゃくちゃ恥ずかしかったんだけどっ!」

「ん?」


 主張しても、リドルフィにはよく分からなかったらしい。

私は目の前で屈んでいる男を見上げ、噛み付くように言う。


「俺の女、とかっ!!」

「あ、あぁ」


 それか、と、壮年マッチョが楽しそうに笑った。


「私をあげる、って言って貰ったからな」


 そう言いながら、いつまでも手を取らない私の腕をとれば、ひょいと軽い動作で引き、立ち上がらせる。

力の入らない私は引き上げて貰ったもののふらついて、そのまま抱き留められた。


「これで完全に俺のものだ」


 その満足げな声に、何か言おうと言葉を探していたら、男の手で顎を上げられる。

見る見る間に近づいてくる深い青に、気が付けば自然と瞼が下りていた。ゆっくりと唇に温かいものが重ねられ、確かめるように柔らかくすり合わされる。やがて重ねられた時と同じようにゆっくりと離れていけば、額に同じ温もりが落ちてきた。


「グレンダ、春になったら式を挙げよう。俺と結婚してくれ」

「……馬鹿っ! 色々順番がおかしいでしょっ!」


 なんでキスや式を挙げる云々が先で、最後に結婚してくれ、なのよ!

そう文句を言えばリドルフィは、わははと楽しげに笑う。笑いながら彼は私を抱き上げた。

先に歩いて行った仲間たちを追いかけるように、皆の待つ村へと歩き始める。


 ふ、と、声を聞いた気がして私は振り返る。

誰も知らない言葉。神樹に奇跡を願う時に使っていた、私だけが知っている言葉。

その声に、私はそっと微笑む。

さっきまで空を覆うように樹があったところが、きらりと煌めいたような気がした。



 すっかり明るくなった空、東の山の端にゆっくりと太陽が顔を出す。

夜明け(モーゲン)と名付けられた、この辺りで一番遅くに朝日を浴びる村にも長い夜が明け、朝がやってきた。

朝日は戦い終わった者たちの背を優しく照らしていた。




ここまで読んで頂き、本当にありがとうございました。

次のエピローグで完結となります。

挨拶などは、次にてまとめてさせて頂きます。

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