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夜明け(モーゲン)の祭り8


 避難した教会の中で、少女は祭壇の奥にある大きなガラス窓から外を見ていた。

普通、神殿や教会には神樹を模したレリーフが祭壇の背後に祀られている。

しかし、モーゲンの教会においてそこにあるのは壁一面を使った大窓だ。屋根に近い上部は流線型の複雑な模様を淡い色のガラスで表したステンドグラス。そして、その下部のほとんどは特注品と分かる大きな一枚ガラスである。

村の横にある湖の中央を向いた大きな窓。まるで、祀るものはそこにあると言わんばかりに。

他では見ない、とても不思議な教会だった。

もっとも少女が知っている教会は、生まれ育ったフォーストンのものと、ここ、モーゲンのものだけではあったけれども。


 一緒に教会に避難した大人たちは、子どもたちが窓の外を見ることに難色を示した。

これから外では戦いが始まる。余裕を持って戦っているうちはいい。でも、場合によっては家族や毎日顔を合わせるような隣人が怪我をするところを、無残な死に方をするところをあの窓から見ることになるのだ。

大人たちはまだいい。ここにいる者は皆、多かれ少なかれ、身近な人の死をすでに経験してきている。

だが、子どもたちは違う。やっと訪れた平和な時代で育ってきた子どもたちに、自分たちが苦しんだことと同じ経験をさせたい者など、ここにはいない。

 出来るだけ窓から子どもたちを引き離し、視界に入れさせないように誘導していた大人たちの気持ちを変えたのは、少女の言葉だった。

「あそこで家族が私たちのために戦っているのに、怖いからって目を逸らしたくない。何も知らずに守られるだけでなんていたくない。そんなことしたらきっと後悔する」

ここにいる多くの者にとって身に覚えのある言葉だった。知らずに誰かに守られていたくはない。そういう想いがあるから、自分たちで選びここに住んでいる。今、この場にいる。

子どもたちもまた同じように思うのであるのなら、それをどうして止められよう。

 無理だと思ったらすぐに見えないところに行くこと。絶対に無理はしないこと。そう約束した上で少女は妹とガラス窓の外を見ることを許された。


 窓の外では、先ほどまで幻想的に淡い光を帯びていた湖から、その明るさが失われ始めていた。

遠すぎて、その真ん中で何が起きているかなんてさっぱり分からない。

光源が減ったことへの対策なのだろう、真ん中辺りで蛍のような小さな明かりがいくつも現れた。

その向こう側、少しずつ夜明けで明るくなり始めていたはずの空まで、湖の真ん中辺りを中心に暗闇が広がり始めている。


「……おねえちゃん」


 リチェが腰元にぎゅっと抱きつくのを感じて、エマはその小さな体を抱きしめ返す。

姉妹二人とも窓ガラスの前でぺたりと座ったまま、それでも外を見続けていた。

教会の入り口近くでは大人の何人かが外と相談しているようだった。


「……まっくら。おばちゃんたち、あそこにいるんだよね?」


 訊いてきたリチェにエマは妹を抱く手の力を強めた。

何か怖いことが起きようとしているようにしか見えない光景だからだ。気休めに「大丈夫だよ」と言ってはいけない気がした。


「多分……」

「まっくらだよ、あれじゃ、なにもみえないよ」

「うん……」


 不安さが増して、エマは近くにいたハンナを見上げる。

ハンナはうん、と言う風に頷いてくれた。多分、エマの不安を分かってくれたのだろう。

農作業で少し荒れている手で、エマとリチェ二人まとめてハンナは包むように抱きしめる。


「グレンダはちゃんと帰ってくるわ。……そのためにリドさんたちを連れてあそこに行ったんだもの」

「……そうなの?」

「そうよ。……この話をしたら、グレンダに怒られちゃうかしらね」

「……?」


 ハンナは自分の肩にかかったストールを前に回して、姉妹を温めるように包んでやりながら窓の向こうに視線をやる。その様子を、ハンナの母であるミリムが静かに見守っていた。


「むかーしね、グレンダが毎日湖を見つめているから、私、どうして?って訊いたことがあるの」


 エマが「そうなの?」という風にハンナを見た。「そうなのよ」と言う風にハンナは頷く。


「そうしたらね、自分はいつか一人であそこに帰らなきゃいけないから、っていうの。冷たい湖の中に、よ? ……なんでそんなことしなきゃいけないの? って言ったらね、そうしないと自分が枯れる時に皆を巻き込んでしまうから、って」


 自分が死ぬ時には、枯れ落ちる直前の神樹から多少なりとも魔物が溢れ出てしまうだろう。だから、自分はぎりぎりまで耐えた後には、一人で聖杯の沈んでいる湖に入る必要がある。湖いっぱいの聖水と最期に残った己の力を持って、その魔物を浄化し、滅するために。

あの日、その背に神樹を宿した聖女は苦笑しながらそう教えてくれた。あの時点ではそうするより他に道はなかったから。湖いっぱいの聖水は、最後の最後まで皆を守ると決めたグレンダの悲しいまでの決意から用意されたものだった。リドルフィや他の人たちが何度も考え直すよう説得したが、グレンダの意思は揺らがなかった。情報が足らず他に策を出せなかったリドルフィたちは、その時点ではグレンダの提案をのむより他に出来なかった。


「みんなのためなら、自分は喜んでそうできる、そうするために自分はいるんだ、ってね。グレンダは、自分自身は守る対象に入っていなかったのね、きっと。……本当に、ある日突然、神樹ごと、そっといなくなってそのままになっちゃうんじゃないかって、そんなところがあったのよ」


 ハンナは思い出しながら話す。


「……でもね、エマやリチェと出逢ったことでグレンダは変わったの。自分を大事にするのが下手なのは今も同じだけど、それでも自分も守る対象に入れることを覚えたのよ。エマやリチェを泣かさないようになんて理由があの子らしいけども。……今のグレンダはある日突然いなくなったりなんて絶対しないわ。ここに帰ってくるために、今のあの子はあそこに行ったの。グレンダもリドさんも、他の皆も、きっと帰ってくるわ。大丈夫よ。きっと、帰ってくる」

「……うん」


 ハンナの話を聞いて、エマがこくりと頷いた。

視線の先、窓の向こうではグレンダたちがいるはずの湖の真ん中で『何か』が大きく育ち、空を覆い隠そうとしていた。白み始めていた夜明けの空が、ここからは完全に見えなくなってしまった。闇夜のような暗さが広がっている。中央付近にあった蛍のような小さな光も消えてしまった。代わりに時々あちこちで一瞬だけ光が現れたり、炎のようなものがちらついたりする。


「……おねえちゃん、ハンナおばちゃん」


 姉と一緒にすっぽりとストールにくるまっていたリチェが顔を上げる。


「なぁに?」


 ぐずりと泣きそうになっているエマの代わりにハンナが返事をした。


「あのね、あかり、だしてほしいの」

「明かり?」


 うん、と、リチェが大きくおさげの髪を揺らして頷く。


「暗くて怖くなっちゃった?」

「そうじゃなくて! ……ほしおくりのときみたいにね、あかり、いっぱいだしてとばしてほしいの。おばちゃんたち、まっくらなとこいるから。ねぇ、あかり、だして!」


 まだ祝福を受ける前のリチェは魔法を使えない。日常使いの明かりを出すという小さな生活魔法でさえ。本当は自分がやりたくても、姉や周りの大人にお願いするしかない。

リチェの高い声は、静かな教会内全体に響いたようだった。


「……星送りの、明かり……」

「おばちゃんたち、まっくらなとこでがんばってるんでしょ? リチェ、おねえちゃんとやくそくしたんだもん。ここで、おばちゃんたちのためにおいのりするんだって」


 リチェは姉と約束した。大好きなおばちゃんたちがたくさん頑張るのだから、自分たちも逃げずに教会で待っていよう、と。アメリアと一緒に王都に逃げるのではなく、村の教会でみんな無事に帰ってくるようにここでお祈りをするのだと。

 頑張る人のために祈るのは応援をするってことだと小さなリチェは考えた。

真っ暗はこわい。真っ暗な中、怖いものと戦うなら、きっとただ真っ暗なだけよりもっともっと怖い。でも、真っ暗だったところを明るくしたら怖いのが減るかもしれない。

星送りの時には皆で明かりを出して湖の真ん中の方まで飛ばした。真っ暗な湖はちょっと怖かったけれど、みんなが一緒だったから大丈夫だった。出した光が湖にきらきらしてとても幸せな気持ちになった。

あの時と同じようにしたらグレンダたちのところも少しは明るくなるかもしれない。怖いものも怖くなくなるかもしれない。

リチェはたどたどしい言葉で懸命に説明した。

いつのまにか教会の中にいる全員が、小さな女の子の話に耳を傾けていた。


「……リチェ、えらい。そうだね、応援大事だね」


 初めに口を開いたのはリンだった。窓の前の祭壇までやってきて、リンは皆を見回す。


「みんな、やろう! 今年の星送りみたいに明かりを出して、ここから戦ってる人たちのところに送ろう! ただ守られているだけじゃなくて、少しでもやれることを私たちもやろう!」

「……そうね、みんな無事帰ってきてって祈りながら送りましょ。グレンダたちも、外にいるジョイスや他の皆も、誰一人欠けずに戻ってくるように」


 リンの言葉に、ハンナがほんのり鼻声になりながら続いた。

教会内のあちこちで、やろう、私たちも何かしよう、と声が上がり始めた。


「……なら、私は鐘を鳴らしましょうかね。みんなに応援の気持ちが届くように。鐘の音には浄化の力があるってきいたことがあります」


 そんな風に言ったのはダグラスだ。村の男性の中では数少ない非戦闘員だ。先ほどまでリンと一緒に外との連絡を取ったり、教会内の備蓄品の確認などをしたりで忙しく働いていた。


「ダグおじさん、それ、俺がやる! おじさんはまだやることあるだろ」


 そう名乗り出たのはデュアン。外との連絡用に両開きの片側を開けたままになっている出入り口から、広場にいる父が戦っているのをじっと悔しそうに見続けていた少年は、もう一度「俺が鐘を鳴らす!」と宣言する。

なら任せましょう、と、ダグラスが頷いた。実際、彼の仕事はまだまだある。


「じゃぁ、鐘はデュアンおねがい。手が空いている人はこっちか扉の方にきて。星送りの時と同じ要領でやってみよう。もしダメだったら、きっと外の人たちが教えてくれる。まずはやってみよう!」


 リンの言葉に、教会内にいたほとんどの人たちが祭壇の方か入口の方へと移動する。祭壇側からは湖の方で戦っている人たちへ、入り口側からは広場で戦っている人たちへ、少しでも明かりを届けるのだ。

それぞれに座ったり立ったりしたところで、毎日使う魔法で小さな明かりを出し、それを窓や扉の向こうへ、そして湖の上や広場へと飛ばしながら祈り始める。


 やがて、教会の二つの鐘の音が響き始めた。

いつものように一回や二回ではない。カーン、カーーン、と、澄んだ音がゆっくり何度も、何度も。


 エマはたくさんの人を動かした妹を背中から抱きしめて、その小さな手の上に明かりを出してやる。


「おばちゃんたちにとどく?」


 少し心配そうな声に、「きっと届くよ」と答えて、少女はその明かりを家族の方へと飛ばした。





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