夜明け(モーゲン)の祭り5
村でも、奥の方。裏門近く。
牧草地へと続く丘を少し登ったところにある牧場には、酪農家の男と王都からの応援数名、そして一頭の大狼が待機していた。
村の家畜たち全部を保護している大きな家畜小屋を、囲むように何名かずつ冒険者たちが配置されている。
ここは今回、人が配置されている場所としては、湖から一番遠い。とは言え、正直どこまで魔物が出るかもわからないし、魔物が飛来してこなくても家畜が魔物化する可能性もある。
元々は騎士団所属の獣医だった酪農家の男は、緊張した顔で空を見ていた。
「……大丈夫ですよ。この村全体をグレンダさんの雨が浄化してくれている。家畜たちも聖水をしっかり飲んでくれた。きっと、守り切れます」
家畜小屋の前で待機していた僧兵風の司祭は、そんな酪農家に声をかけた。
「えぇ。信じています。信じていますが……」
それでも緊張もすれば恐怖も感じる。戦場で剣を手に戦っていたわけではない者としてはごく普通の反応だろう。怖いと思って当然なのだ。落ち着かない様子で空を見ていても、逃げ出したり叫びだしたりしていない辺り、この男はしっかりしている方だ。
この村の人たちは村にいる家畜たちを家族同然に大事にしている。食肉用でいつかは潰さねばならないような動物に情をうつさぬようにはしているが、それでも、どんなに似通っていても一匹一匹見分けがつくぐらいに目を掛け世話をしている。ましてやここに居るのはその動物たちを直接みていた、村の牧場管理者だ。
そんな男に、気持ちは分かりますと戦棍を持つ司祭は頷く。
「私たちもいるし、森の守護者までここに居てくれています」
その言葉を聞きつけたのか、近くで寝そべっていた大狼がゆらりと尻尾を一度揺らした。
「……えぇ。ただ、本当にトゥーレまでここに居させて良かったのか、それだけがずっと……」
「まだ小さいのに強い子、ですね」
家畜たちに聖水を飲ませる際、特殊な祝福の力を使い協力した少年は、他の子どもたちと一緒に教会に避難するのではなく、ここで家畜たちを宥める役をすると自ら名乗り出た。他の者が持っていない動物とも対話できる能力を使い、村の動物たちをまとめ、今は家畜小屋で待機している。
だが、トゥーレはまだ祝福を受けたばかりの幼子だ。家族や村の皆が心配し反対する中、一人の騎士が少年の護衛役を名乗り出た。この数日、少年と一緒に行動していた狼系の獣人騎士だ。
自分は人間よりも何倍も速く走ることが出来る。少しでも危険が迫ったなら自分が少年を教会に連れて行く。そう請け合った。
何度も話し合った結果、大人たちは少年の強い意志と、獣人騎士の言葉を尊重することにした。
「……そろそろ、ですね」
「……」
二人は、緩やかな斜面を下った先にある湖を再び見つめた。
◆◇◆◇◆
村の広場。
少年たちは、教会の入り口近くに待機していた。
近くにはベテラン冒険者も多数いる。元冒険者や元騎士といった村の戦える者たちもいる。
次期村長としてここを任された青年と元冒険者のその妻や、いつも村で門番をしている元剣士と元騎士の二人を中心に班分けされ、それぞれの持ち場で待機中だ。それ以外にも、司祭や王宮魔導士も何人か応援に来てくれている。王都から応援で来た司祭は、少年たちと一緒に行動することになった司祭見習いの師匠だそうだ。
皆、しっかりと武装し、これからの戦いに備えている。
「……僕たち、これが初めてになるのかもしれないね」
ぽそりと魔法使いの少年が言った。
「あぁ、そうか、クリスはそうなるんだな。俺とアレフはカイルさんの訓練の時に少しだけ魔物相手もやった」
「そっか」
あの熊の魔物の件の後、前衛二人とはしばらく別行動になっていた時期があった。
実地での訓練を受けたとは聞いていたが対魔物まで経験していたのか、と、魔法使いの少年はちょっと置いていかれたような気持ちになる。
「……ルカは?」
「僕もクリスさんと同じで初めてです。頑張りましょう!」
司祭見習いが自分と同じで対魔物は初めてだと知れば、魔法使いの少年は少しほっとした。
少年たちは冒険者として今回の戦いに参加はするが、それでもまだ大人たちの庇護下にある。
いざとなればすぐに教会に逃げ込める場所を割り当てられているのがその証拠だ。
一応戦闘要員として頭数に入れてはもらえているが、戦場になった広場から怪我した人を教会へと保護することが、少年たちの最優先任務だと言い渡されている。魔物と率先して戦うことよりも、戦場をよく観察し負傷者を発見しろ、動く時は必ず四人セットで動け、無理だと思ったら即座に教会内に逃げろ、と。昨日、何度も念を押された。
以前の自分たちだったら、その指示に不貞腐れたりしていただろう。
でも、今ならその言葉に込められている想いが、少しはわかる。
自分たちはまだ駆け出しのひよっこだ。冒険者と名乗ることは許されたけれど、強い敵に睨まれたら立ち竦んでしまったほどに弱く、実戦経験も乏しい。それでもここに居させてもらえているのは、少しでも育つことを期待して貰えているからだ。生き延びる術を身に着けることを願われているからだ。
魔法使いの少年は教会の入口の方を振り返る。
その扉の前にいるのは、二人の門番。
どちらも過去の戦場での怪我が元で足が不自由だ。それでも戦うことを選んだ。退路のないこの場所で、いざとなれば自身が最後の砦になるつもりでそこにいる。
「合図がきたぞー!」
広場の誰かが叫んだ。
ちょうど教会の陰に入ってしまって魔法使いの少年には見えなかったが、予め知らされていた光弾が湖中央から打ち出されたようだった。
「みんな、配置についてるな!?」
「パウロ班、問題なし!」
「イワン班、同じく!」
「……班、大丈夫です!」
「……班、オッケーです!」
暗いあちこちから声が上がる。
剣士の少年が、少年たちと門番を代表して叫ぶ。
「教会前、バーン班、配置ついています!」
「よし、全班クリア。合図頼んだ!」
「はいっ」
予め頼まれていた魔法使いの少年は、教会の影から出た。
少しだけ広場の中央方向に移動すると、呪文を唱える。
手にした杖を振り、空へと向け……広場の皆の準備が出来た合図である光弾をまだ暗い空へと打ち上げた。
◆◇◆◇◆
湖畔、街道近く。
そこには武装した騎士たちが配置についていた。
「光弾、打ちあがりました!」
見張り番の騎士の報告に、隻腕の男は頷いた。
「よし、返せ!」
「打ち上げます!」
その横顔が、こちらから打ち上げた光弾でほんの僅かの間、照らされる。険しく眉間に深い皺が刻まれている。
湖の他二方向、及び、村内部の二カ所からも同じように返答の光弾が打ち出され……。そして、もう一度湖中央より光弾が上がった。
開始の合図、だ。
「ここからは各自判断に任せる」
湖側を見つめたまま、男は言う。
ここには王都の騎士のうち半数近くが待機していた。それも戦乱期を知っているベテラン勢を中心に、だ。
戦場となるモーゲンは王都にほど近い。ここが陥落した場合ほぼ間違いなく王都にも被害が及ぶ。戦乱期と同レベル以上の被害を出したくないのであれば、己が屍になろうともここを死守するしかない。ここに配置された騎士団たちは、それを重々承知した上で志願してきたものばかりだ。
男のその視界の先、一度強めの光が現れ、やがて消えれば、先ほどからずっと淡く光っていた湖の中心部分から光が失われて行く。
ぞわりと何か背筋に走ったような嫌な感じがした。
「各自、戦闘態勢!」
なくなってからもう二十年以上経つ右腕がうずくように痛んだ。その痛みに男は口の端を引き上げて笑う。
今度こそ決着をつけてやる。自分から右腕を、友を、家族を奪ったものとの戦いに。
騎士団長が残った左手で抜刀し、暗い空にその切っ先を掲げた。
「……守れ! そして必ず生き延びよ!」
鬨の声が上がった。




