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祭りの準備9


 大扉を抜けた向こう。

そこは、深い森、だ。

今はもう外界に残っていない植物がここでは生い茂り、遠い昔に絶滅したと言われる小動物や鳥たちがここでは生きている。外界が雨天であっても、ここでは緑と青の合間の不思議な色合いの葉の合間から日光が降り注ぐ。

魔素とは違う……神気とでも言えばいいのだろうか、そういう不思議な気が満ちていた。耐性のない者であれば息をすることすら難しいほどに、大気に、力が満ちている……。


 大扉を抜けた時の感覚を払うように男は軽く体を振るい、まっすぐ前を見据える。小さく息を吐きだす。

しっとりと湿度を感じるのに清々しく植物の香りに満ちた大気は、男には少し息苦しい。

ここに長く居てはいけない。そう、本能が警告を発している。

たくさんの動物や植物といった命があるように見えて、その全ては現実で生きているものとは何かが違う。実態はあるのに幻に似た奇妙な存在。長くここに居たら、男もあれらと同化してしまい戻れなくなる。

……ある意味、ここは魔素溜まりと同じだ。人が踏み入ってはいけない場所。


 男は素足で大地に生えた苔を踏んで、真直ぐ奥へと歩き出す。次第に歩幅を広げ、……走り出す。

ここは時間の流れが違う。一呼吸すら立ち止まっている時間が惜しかった。一刻も早く目的を果たして戻るのだ。


 ばさばさと頭上で鳥が飛び立った。下で大きな獣……男が走り抜けたからびっくりしたのだろう。

素足で踏む大地は柔らかく生えた苔のおかげで、裸のままの足の裏を傷めることはなかった。

男は木漏れ日を浴びながら森を走り抜けていく。湿度を含む風が男を追いかけていく。

本来は大広間一つ分程度の広さしかないはずの森。

なのに、空間が歪んでいてその何十倍も広さがあるような神樹の森。

その森を、黒い聖衣を纏った男が走っていく。


 走ったのはほんの一呼吸の間だったように思えた。

でも、実際にはもっと長い時間だったのかもしれない。

目指す先、ぽっかりと光が差し込む場所を見つければ、男は走る速度を徐々に緩め目的地の前で立ち止まった。なるべくここの大気を吸い込むまいと止めていた息を、吐きだす。

 明るい空間の真ん中には、滾々と水が湧き出ているように見える泉があった。

まるで何もないかのようなほどに透明度の高い、水。

神話と一緒に語られる、聖水。神樹の森の、水。

聖女の聖杯で浄化された水も聖水と呼ぶから紛らわしいが、それでも問題がないほどにどちらも希少で実態を知っている者が少ない。

無理矢理言葉を分けるなら、浄化の力を持つ聖女の方の水を聖水と呼び、時間を狂わせるこちらの水は神水とでも呼ぶのが妥当だろう。

 泉は、覗き込めば底が見えないほどに深い。

ただ、時折きらりと奥の方にある何かが光っている。

聖女が話していた、彼女以外の誰かを待っていた、何か。


「お前が待っているのは、俺だろう?」


 口に出して言ってみたら、自惚れた愚者のようだった。男は聞こえた自分の言葉の陳腐さに笑う。

自分は己を物語の主人公か何かだと勘違いしているのか。

勇者、英雄、救世主。戦乱期にそんな呼び名を与えられ、神輿に担ぎ上げられた者を何人も見てきた。

その肩にかかる途方もない重圧を、守りたくとも守り切れなかった悔しさを、期待外れとなればあっという間に手の平を返す人々の残酷さを、男は同じ戦場に立って見続けてきた。

自ら名乗った者、周りに押し上げられた者、いつの間にかそう呼ばれるようになっていた者。

あの十年の間にいったい何人がそう呼ばれただろう。名声は人を強くし、酔わせる。本人も、周りの者も。そして酔いは、破滅を呼ぶ……。

幸いにしてその称号から逃れることが出来た者もわずかばかりはいたが、そのほとんどは戦場で散っていった。

 男がその呼び名を得なかったのは、亡き同志たちに聖女ごと男も守られていたからだ。

さもなくば、王族にして聖騎士なんてお誂え向きの称号を持つ者が、歴史の表舞台に引っ張り出されなかったわけがない。そうと自覚しながらもひたすらに表舞台に出なかったのは、自惚れではなく、己が本当に切り札なのだろうと気が付いてしまっていたから、だ。

あの時、魔族は言った。聖女は、この世界が異界の神に抵抗するために用意された存在だと。

ならば、その一番近くにいるこの自分はどうだ。揃い過ぎた条件は、偶然と思うより何か理由があるのだと考える方が妥当だと誰かも言っていた。


「今こそ、英雄とやらになってやろうじゃないか」


 泉の底に在る光を睨むように見つめる。

その口元には戦場で魔物に向けるのと同じ、獰猛な笑みが浮かんでいた。

数度肩を上げ下ろしして余計な力を抜くと、大きく息を吸いこむ。


 男は、神水の泉へと飛び込んだ。




長くなりそうなので二つに分けます。

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