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祭りの準備4


 男は自宅に入ると洗面所に向かい、身支度を整え始める。

普段は伸ばしっぱなしの無精髭を剃り、髪を梳って後ろに流した。

そうして、男は鏡を見つめる。

若い頃と同じ強い光を宿した目がこちらを見ていた。苦く歯を食いしばるような顔はあの頃と同じだ。

多少皺は増え、髪に白いものも混ざっているが、己の本質はあの頃と何も変わっていないのだと改めて認識させられる。

まだ、何も終わっていない。

あたかもすべてが解決したかのように見せかけて、実際には先延ばしになっていただけだ。


 隣の部屋へ行けば、クローゼットから聖騎士の騎士服を引き出し、チェストの奥から普段は着ない黒のアンダーウェアを引っ張り出す。

着ていた柔らかい手編みのセーターやシャツ、履き慣れたズボンを脱ぎ、用意したものに着替え始める。

帯剣するためのベルトも締め、戦場でも駆けることのできる丈夫なブーツを履く。

首に白いスカーフを巻き、最後に宵闇色のマントを羽織った。

全て身に着け終わってから、男は一度姿見でチェックし、小さく息を吐く。

男は鏡の中の己を睨みつけてから、二階へと向かう。


「俺だ。入るぞ」


 寝室の扉をノックしてから男はしばらく待ち、返事がないのを確認してから、そうと扉を開く。

先ほど寝かした聖女は、今もベッドの上で目を閉じている。

聖女についているよう頼んだ少女の姿はない。

男は枕元に小さな精霊を見つけると問いかけた。


「エマは?」


精霊はその場で立ち上がり、一度扉を指差してから、寝室の窓から見える先を指差す。

示す先にあるのは食堂だ。この部屋の寝室からは食堂の二階にある女の部屋の窓が見える。


「あぁ、足らないものを取りに行ったのか」


 男の言葉に精霊はこくりと頷くと、男の顔を見上げた。そして、おもむろに開いている扉から廊下に出て行く。

普段なら眠っている女が起きたならすぐにわかる場所、すぐに手助けできる場所で待機しているのに、いつもと違う行動を男はつい見守って……小さな精霊なりに気を利かせたのだと悟ると苦笑を浮かべた。

自我はないと精霊を作った魔族からは聞いている。しかし、表情はないものの感情はあるのでは、と疑いたくなる時が多々ある。あの魔族自身も配下の魔物を作ることには慣れていても、聖女の神樹から葉をとりそれを精霊化するなんて初めてのことだろう。

もしかしたら想定よりもはるかに高度な生命体が出来ているのかもしれない。

精霊は部屋から出て行ったばかりか、ぱたんと扉まで閉めていった。

おそらく部屋の前で待機しているのだろうが、その気の利かせ方はどこか王城で男の部屋を管理している年配のメイドを連想するものだった。


「……」


 男は小さく笑って肩を竦めると、ベッドの方へと向かう。

本来は男のものである大きなベッドで女は静かに眠っている。

胸の辺りがゆっくり静かに上下している。先日の十日も寝込んだ時に比べると、今回は顔色もそこまでは酷くない。呼吸も規則正しく苦しげな様子はない。

男は女の額に手をやる。熱も出ていないし下がり過ぎてもいない。

これなら明日の朝には、きっと起きるだろう。

触れている額から、ゆっくりと手をずらし、頬を包む。

自分同様に歳を重ねた分、女の目尻などにも小さな皺はあるけれど、相変わらず綺麗だと男は思う。

先ほど至近距離で見つめ合った、深い森の中の泉のような濃い緑色の瞳は、瞼に隠されて今は見ることは出来そうになかった。


「グレンダ……」


 頬に添えた手の親指の腹で、そうと女の唇をなぞる。

柔らかく、温かい。

ずっとほしいと思っていたものを与えられたのに、まだ喜ぶことは出来ない。


「……お前は、自分のすべてを俺にくれると言ったな」


 目を閉じれば浮かんでくるのは、出逢った頃から今までの様々な光景。

訓練校の廊下で初めて声をかけた時の小さな背中、泣き虫で怖がりだった少女の頃、元気に笑っている姿、故郷を失った時の慟哭、表情をなくしたまま過ごした日々、必死で生き抜くために戦っていた姿、宣誓を行った時の悲しみに暮れつつも神々しかった表情、神樹を受け入れると言った時の強い瞳、お伽噺の姫のように眠り続ける姿、村で初めて過ごした二人だけの冬の日々、食堂のおばちゃんになるから口調を変え始めた時のぎこちなさ、不慣れな料理を必死で練習する様子、照れてよくするしかめっ面、使い慣れた厨房で料理しながら口ずさむ歌、村人たちと笑う声、子どもたちを慈しむ様子、そして、先ほどの泣いていた姿。泣き止んで、微笑んだ表情……。


「なら、俺は、俺のすべてをかけてお前を守ろう」


 その誓いは、聖女の宣誓の時にしたものと同じだけれども。

女の頬に当てていた手をゆっくりと離し、枕に散らばっている黒髪を一房手に取る。

引っ張ってしまわないように丁寧に持ち上げ、男は身を屈めて愛しい女の髪に口付けた。

唇を離し、手に取ったその髪に白いものが混ざるのを見つけ、男は目元を緩ませる。


「……お互い、随分遠いところまで来てしまったな」


 エールをおかわりしようとしたら「お腹のお肉は?」なんて、しかめっ面で指摘してみせたごく最近の女の様子を思い出し、男は笑う。

そんな他愛もない日常こそが大切で幸せだったのだと、改めて思う。


「必ず帰ってくる。……だから、待っていてくれ」


 大事なものを扱う手で女の髪を戻し、もう一度だけ額から頬にかけてそうっと撫でて。

男は眠る女の顔を目に焼き付けてから、背を向ける。


「いってくる」


 立ち去り際、寝室の扉を開けて出て行こうとした時、男は一度だけ振り返った。

さっき青年が真似てくれた、あの言葉が、聞こえた気がした。



リドを主人公にしたら割と硬派な王道ファンタジーになったのではと時々思ったりします。

おっちゃんが暗躍し過ぎていて私には書ける気がしませんが……。

それにしても40年も延々この距離感で居続けるって愛が重いというか、なんというか。

背負う、抱き上げる、抱きしめる、添い寝する、でも、キスはしない、勿論その先もしない。

枷が外れた後が怖いような気がするのは私だけかな……(汗)

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